「正気を失いつつある日本外交」

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1月に日米両政府が東京において、現行の日米安保条約の60周年を盛大に祝った。

60年前にワシントンにおいて、安倍首相の祖父・岸信介首相と、アイゼンハワー大統領が改定された日米安保条約に調印した。

60周年を祝う式典には、安倍首相、麻生副総理、外相、防衛相、米国側はアイゼンハワー大統領の孫娘、新任大使が着任していないので代理大使、在日米軍司令官などが出席した。

式典の一部をテレビで観て、私は感慨深かった。私は1980年に現行の安保条約が20周年を迎えた時に、2年前に防衛庁が設立した、日本初の民間の安全保障研究所の理事長だったが、米国の有力シンクタンクのヘリテージ財団と共催して、20周年を記念する会議を行った。

米国からフォード前大統領を団長として、多くの上下院議員、戦略研究所の幹部が来京した。岸元首相とフォード前大統領が基調講演を行った。鈴木善行首相が来臨として挨拶したが、あくまでも民間の会議だった。

私は日本の安全保障にとって台湾が重要であることから、台湾総統府の国家安全会議の議長一行をオブザーバーとして招いた。政府も反対しなかった。今日なら中国を恐れて、台湾から高官を招くことはありえない。

この4年前に福田赳夫内閣が発足したが、私は翌年に首相特別顧問という肩書をもらって、対米外交の第一線に立った。

その2年後に、三原朝雄防衛庁長官から日本初の民間の安全保障研究所をつくるように求められた。この時、設立趣意書に米国が一方的に日本を守る保護条約を、対等な共同防衛条約に改めたいと述べて、福田総理、三原長官にはかったが、反対されなかった。今日でも、日本より力がない韓国、フィリピンも、米韓、米比共同防衛条約を結んでいる。

新聞各紙が日本安全保障センターの発足を報じたが、サンケイ(現・産経)新聞が「きなくさい日本安全保障センター」と見出しを組んだほかに、朝日新聞も非難しなかった。 日本はまだ多分に正気を保っていた。

1992年に、宮沢喜一内閣が翌年に天皇御訪中を目論んでいたが、天皇御訪中について有識者14人を選んで、首相官邸に招いて、個別に30分ずつ意見を聴取した。私はその1人として招かれたが、3人が反対意見を述べ、多数が賛成するという出来レースだった。私は有識者が招かれるのでなく、政府が招くから有識者になると揶揄(やゆ)した。

各紙が報じたが、読売新聞は木村尚三郎東大名誉教授、私、平山郁夫画伯、作曲家の黛敏郎氏、清水幹夫毎日新聞論説委員長の順で顔写真を並べて、取り上げた。黛氏、私、3人が反対し、木村、平山氏など10人が賛成した。毎日新聞の清水論説委員長は、「意見がない」と述べた。意見がないのに、なぜ招きに応じたのか、分からない。

私は「天皇陛下が外国に行幸されるのは、国民の祝福をお伝え下さるためだ。中国は人権を蹂躙しており、陛下が行幸されるのに価しない」と述べて、反対した。

中国は3年前に天安門広場で大虐殺を行って、先進諸国から経済制裁を蒙っていたために、天皇御訪中によって国際イメージを改善することを狙っていた。御訪中後、諸国は対中制裁を撤回した。

政府は4月に、習近平主席を国賓として招くことを決定している。私は18年前と同じ理由で、強く反対している。

中国は新疆ウィグル自治区で100万人以上のウィグル人を強制収容所に送り込んで、チベット、内モンゴルで民族浄化を強行している。香港でも人権を蹂躙している。そのために国際的に孤立している。

習主席が国賓として来日すれば、答礼として天皇陛下が御訪中になられることとなる。

天皇陛下を人身御供として差し出して、よいのものだろうか。

加瀬

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