「傲慢無礼」

画像の説明 英国のエリザベス女王(90)は2015年10月に公式訪英した中国の習近平国家主席(62)一行が「とても非礼だった」と本音を漏らされたが、女王を慕う英国民は、2014年3月の習氏、同年6月の李克強首相(60)と、過去2回にわたった習・李両氏一行が英国で犯した傲慢無礼の数々を思い起こし、3回の訪英をセットで振り返ってほしい。見えてくるのは《アヘン戦争/1840~42年》など、

中国が英国など欧米列強に刻まれた屈辱の近代史に対する意趣返し。屈辱の中国史を、屈辱の英国史を刻むことで晴らす「復讐の旅」でもあったのではないか。

とはいえ、21世紀に「帝国主義の怪物」を蘇らせた責任の一端は、英国にも担ってもらわねばならない。英米を中心とする欧米列強が、大日本帝國が国民の血の代償として正当に得た権益を強奪し、中国を反日の先兵に仕立て上げた史実を学習してもらわなければならない。

「英国は中国側の傲慢な態度に耐えている」

中国が刻んだ屈辱の英国史は例えば、液化天然ガス(LNG)の対中輸出など2兆4000億円超を成約した李首相訪英(2014年6月)を報じた英ガーディアン紙の衝撃表現にも認める。

《李首相は新たな属国に気前よく金品を与える植民地総督》

ガーディアン紙の行間に、アヘン戦争の敗北で香港は英国植民地となり、英国政府が任命した総督が統治した史実がよみがえる。

実際、中国側は「訪英中止」をちらつかせ、国家元首でもない李首相とエリザベス女王との会見を強要。

李首相の英国到着時に空港で用意された赤カーペットが3メートル短かったと文句を言うなど《植民地総督》を気取った。

英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)の報じ方は、ガーディアン紙に比べても一層痛々しく感じた。

《英国は中国側の傲慢な態度に耐えている》 

しかし、《属国=英国》と《植民地総督=李首相》の“逆転した従属関係”を、必要以上に印象付けた責任は英国政府にある。

英国政府は李首相滞在中、自由を求める人民を大虐殺して25周年を迎えた《天安門事件》を封印したのである。

中国主導で目的・将来図の判然とせぬアジア・インフラ投資銀行(AIIB)に欧州でいの一番に参加表明し、原発建設協力や諜報機関という裏の顔が観測される情報通信機器メーカーとの連携…。英中両国間の経済関係強化は勝手にやればよい。

英国は自らの卑屈な態度に耐えられるのか?

ただし、英国は今後、耐えていけるのか? FTが指摘した《中国側の傲慢な態度》にではない。

《英国の卑屈な態度》に自ら耐えていけるのか、自問すべきだ。

エリザベス女王が「とても非礼だった」と評した習氏の訪英で、英国側に約束した中国の投資額は6兆6800億円と膨張。投資額に伴って態度も不遜の度を膨らませた。

独立国家としての主権を侵犯しかねぬ中国側護衛官の護身用銃器携帯と反習近平政権デモ取り締まりまで平然と要求した、もようだ。

いずれも拒否したが、このときも「訪英中止」を切り出して威嚇した。英国内では、「英中黄金時代の幕開け」などと魂をも売った英国政府に、エリザベス女王が苦言を呈したとの報道であふれた。

英国が加担する中国ペースの帝国主義的国際秩序構築

日本も中国経済なしに自国経済を語れないが、近隣で、安全保障・歴史問題を抱え、ユーラシア大陸東端=極東の危機に関心の薄い現代欧州とは温度差が大きい。

エリザベス女王の発言で、富や武力・策謀で外国を従わせる覇道を歩む覇王・中国の正体や、中国ペースの国際秩序建設の危うさに、英国は目覚めてほしい。

英国が加担する中国ペースの帝国主義的国際秩序構築

他方、英ガーディアン紙は2014年6月、訪英し英中関係を深めた李首相が《新たな国際秩序に歓喜》したと報じたが、中国ペースの帝国主義的国際秩序構築に英国が加担する光景は、それなりに「筋」が通っている。傲慢無礼な怪物・中国を21世紀に蘇生させた立役者は欧米諸国だからだ。

近代史に度々登場する欧米列強の「中国びいき=日本たたき」は日本を孤立させ、悲惨な結末を歴史に刻んだ。《ワシントン会議/1921~22年》もそうだった。

ワシントン会議に出席した日本/英国/中華民国/米国/オランダ/フランス/ベルギー/イタリア/ポルトガルは《九カ国条約》を締結。

欧米列強がアヘン戦争以来、中国より獲得した不公平条約や諸権益を一定の範囲内で公正化し、中華民国を主権国家として扱う方針を決めた。

一見美しい。だが、実体は中国を日本攻撃の先兵に仕立てる狙いが埋め込まれていた。

九カ国条約締結で、わが国は第一次世界大戦(1914~18年)の戦勝国として獲得した中国内のドイツ租借地利権を、中国に肩入れした英米など欧米列強に、ほぼ全面的に放棄させられた。

大戦中に調印した日米共同公文書《石井・ランシング協定》の廃棄・解消を意味した。日米協定では既に《日米両国は中国の領土保全・門戸開放・機会均等の尊重を約束》を明記する一方、《中国における日本の特殊権益を認める》としていた。

大戦後の《パリ講和会議》でも、日本が発議した《人種的差別撤廃提案》の取り下げを条件に英米も日本の利権を認めており、完全な裏切りだった。

「侵略国家」の汚名を着せられていく日本

欧米列強が第一次大戦まで狂奔してきた領土強奪という国家戦略を一部放棄したワケは、人道に目覚めたためではない。帝国・植民地主義は当時、国際法上違法ではなかったが、欧米列強が繰り広げる植民地のパイ取り合戦は飽和状態期に入っていた。

従って、英米を筆頭に経済・金融支配に野望をシフトさせつつあった。それでいて、欧米列強は尚広大な植民地を保有し続ける。ところが、後発の帝国・日本の海外進出には待ったをかけた。「白人倶楽部」より放逐し、孤立させ、「侵略国家」の汚名を着せていくことで、戦争へと追い込んでいったのだ。

属国に気前よく金品を与える習近平皇帝陛下

日清戦争(1894~95年)→義和団事件(1900~01年)→日露戦争(1904~05年)→第一次大戦と、国際法を順守し、暴力的大国の出現を阻止し、東アジアの安定に貢献したわが国の東アジアにおける権益・影響力を葬らんとしたのである。

国民の多大なる犠牲の下に獲得した当然の権利を蹂躙したのである。

「属国に気前よく金品を与える習近平皇帝陛下」

既述したが、ワシントン会議には日英中米の他、オランダやフランス、ベルギーも参加した。いずれも、太平洋やアジアに権益を有した国だ。李首相に先立ち2014年3月、習氏はオランダやフランス、ベルギー、ドイツを訪れた。李首相が《総督》なら、主席就任後初めて欧州を歴訪した習氏は「皇帝」だった。

オランダとベルギーの国王がおのおの開いた晩餐会に、習氏はドレスコードなど眼中にないかのごとく人民服で臨んだ。フランスとドイツでは中国との経済関係がいかに有益かを上から目線で説諭。「属国に気前よく金品を与える皇帝」を演じた。

とりわけドイツで、「習皇帝陛下」は中英間の「アヘン戦争以来、列強に奴隷扱いされた歴史の悲劇」に触れた。

アヘン戦争後、英国が中国と交わした不平等条約を“手本”とし、列強は同様の条約を次々に結んだ。経済支援に、この「中国・欧州関係史」をまぶし、「富が欲しくば、国内の虐殺・弾圧や軍事拡大に口を出すな」と言葉には出さず凄みを利かせる、サディスティックな復讐劇の幕開けであった。

中国に魅せられ続けるルーズベルトの異常

アヘン戦争といえば、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領(1882~1945年)が思い浮かぶ。ルーズベルトの祖父はアヘン戦争時代にアヘンを含む対中貿易を手掛け、巨利を得た。

幼少より中国に魅せられたルーズベルトの「中国狂い」とさえ言い切れる性癖は、英国首相だったウィンストン・チャーチル(1874~1965年)をして疑問を抱かせるほど、異様・異常であった。

支那事変が起こるや、自国の侵略にはほおかぶりを決め込み、ルーズベルトは世界にまん延する疫病=無法を隔離すると、日独を念頭に《隔離演説》で非難した。いわく-

「罪なき人々や国々は残酷にも、正義感も人道的配慮も欠如した力と覇権への貪欲さの犠牲となっている▽他国の権利と自由を尊重し侵略に終止符を▽条約違反と人道的本能無視に共同で反対せねばならない」

「国際的無法状態は条約違反の外国領侵略で始まり、文明基盤自体が深刻に脅かされる段階に達した。法や秩序や正義のある状態へと文明を進展させた実績と伝統は払拭されつつある」

まさに、少数民族大虐殺に民主派粛清、海洋侵略…を止めぬ現代中国に向けられなければならない演説だ。

だのに、米国は《隔離》すべき中国を、ワシントン会議後の支那事変(1937年~)から大東亜戦争(~1945年)にいたるまで、国際法を逸脱しても一貫して支援し続けた。

目覚めた「ウソつきの獅子」

ところで習氏は欧州訪問中の2014年3月、フランスで、皇帝ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)が「中国は眠れる獅子。一度目覚めれば世界を揺るがせる」と語った故事にならい講演した。

「獅子はもう目覚めているが、平和で、親しみやすく、文明的な獅子だ」

「ウソつき獅子」を目覚めさせた責任の一端を、欧米はどう取るのであろうか。

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