「論」

画像の説明 歴史は、国や民族によって、その意味するところが異なるというお話を書かせていただいています。

日本人にとっては、歴史は「過去の先例」ですから、できるだけ正確な事実の把握が必要で、これが日本人にとっては常識ですし、だからこそ「歴史修正」は、当然あってしかるべきというのが、日本人の歴史認識の、ある意味あたりまえの姿です。

けれど、残念ながら、世界70億の人口のうち、歴史をそのようなものと認識しているのは、日本人くらいなもので、他の諸国や諸民族では、認識の仕方がまったく異なるということを書かせていただいています。

ただ、同時に私たちは日本人であるわけです。
歴史には、誇るべきものもあれば、恥ずべきものもあります。
過去を振り返れば、許せない問題もたしかにあります。

たとえば空襲による無差別攻撃がそうですし、原爆投下もそうですし、押し付け憲法も同じです。

けれど、だからといって米国を悪く言ったり、米国を恨んだりということがないのも、また日本人の素晴らしさであると思います。

過去の事実は事実です。
その事実には、それぞれに言い分があります。

和歌や古典の解釈と同じで、原典はひとつでも、その解釈となると、まさに千差万別、様々な見方や解釈や学びがそこにあります。

つまり、「事実はこうだ、文法上はこうだ」までは言えても、その「解釈」となると、これはいかようにも解釈のしようはあるわけで、このことを日月神示などでは「八通りの解釈があるのじゃぞ」などと表現しています。

ここでいう「八」というのは古語の「八」で、それは「数えきれないくらいたくさんの」という意味になります。

三内丸山遺跡には、有名な六本柱巨柱があります。
それがあったということは事実です。
けれど、ではなぜ建てられたのかについては、毎日のようにいろいろな考古学者が遺跡にやってくるのですが、その論は、千差万別、ひとつとして同じ見解がないのだそうです。

つまり、
「論は多彩を持って良しとする」
ものなのです。

だから楽しいし、価値があるのだと思います。

たったひとつの論だけに縛り付けられるのでは、まるで共産主義です。
その場合は、異論を述べる者は殺されます。
私たちは、対等に自由にいろいろな意見を述べることができる、そういう自由のある国に生まれているのです。

その意味で、アンチねずさんの人たちの言論も自由だと思っています。

私が日々書いていることや、講演等で述べていることは、読んだり聞いたりしているみなさまへの、考える機会の提供にすぎません。どのように受け止め、それをどのように活かすのかは、読み手、聞き手の側の自由です。そういう自由こそ、大切にされなければならないものであると思います。

そして、いまを生きる私たちには、未来を担う責任があります。

未来に向けて、子や孫たちが迎える未来を、どのような未来にしていくのか。

過去は、良いものもあれば、そうでないものもあります。
そうした過去に学び、より良い未来を切り開いていくことこそが大事だと思います。

もちろん、この場合も論ですから、議論はまさに百出します。
なかなかまとまらないかもしれません。けれど、良い物には、自然と共感の輪が広がると思います。その「自然と」というところが大事なのだと思うのです。

最後の最後まで、アンチしかできない人たちもいることでしょう。
けれど、それで良いのだと思います。
そのように古事記に書いてあります。

イザナミが1日千人くびり殺したら、イザナキは毎日千五百の産屋(うぶや)を建てるのです。それが日本人だし、それが努力というものだと思います。

先日、公益社団法人 日本青年会議所東海地区 愛知ブロック協議会主催による「ワカモノよ!日本を語らおう!!」と題する新憲法のタウンミーティングが開催されました。

大型連休中のイベントであり、しかも事前申込が少なかったとかで、開催前には成功が危ぶまれたのですが、みなさまのご尽力のおかげで、来場者数は478と過去最高を記録し、スタッフを入れますと、総人員は500名をはるかに上回るものとなったそうです。

これも関係者の皆様をはじめ、ご来場のみなさま、そして日頃から応援してくださっているみなさまのおかげと、心から感謝申し上げます。

このタウンミーティングでは、私の基調講演(30分)のあと、パネルディスカッションが行われたのですが、コーディネーターの河本さんと、作家の塚田さんの掛け合いが大爆笑で会場を湧かせ、また衆議院議員の自民党武村展英先生の強い信念と確信ある言葉、同じく衆議院議員で民進党政調会長の山尾しおり先生の終始にこやかでありながら理路整然としたご発言など、みなさまのご発言の都度、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。

政治的なディスカッションでありながら、こんなにも和気あいあいとした和やかで明るいディスカッションができたことは、本当に素晴らしいことと思いました。

左右に関係なく、やればできるのです。

私は日本人の持つ底力を信じたいと思います。

そしてその底力を発揮するためには、論の前に日本についての基本的素養の共有化が不可欠と思います。

古事記や日本書紀の編纂を命じた天武天皇の御世に倣うべきことと思います。

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