2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
「意見」
バトミントンの桃田賢斗選手と、2012年ロンドン五輪代表の田児賢一選手が違法賭博で、どうやらオリンピックの出場ができなくなるらしいのです。
しかし、これもおかしいのです。よく考えてごらんなさい。
スポーツ選手を何様だと思っているのでしょう。スポーツ選手や芸能人などは、所詮河原乞食です。役に立つことといえば、見世物くらいのものなのです。役者もそうです。何もできなくても演技はできます。スポーツも一つの演技です。
その演技を職業とている河原乞食の連中に何の倫理を求めているのでしょうか。もともと倫理などありません。無いからスポーツ選手で「勝か、負けるか」やっているのです。プロレスはインチキですが、一般の他のスポーツも同じで、スポーツ自体がギャンブルです。
スポーツ選手がギャンブルをやったところで何の不思議はないのです。
麻薬で捕まった清原も、たかだか「野球ができる」というくらいです。そんなものが覚せい剤を打とうが関係ありません。あまり買い被らないほうがいいのです。
スポーツ選手は河原乞食です。見世物にされているのです。見世物は河原乞食です。本当はプロ野球の選手も、オリンピックの選手ですらも、河原乞食です。
歌舞伎の役者といえども、元は京都の河原乞食です。歌舞伎は河原乞食が発祥です。江戸時代は下層民だったのです。
そんなものをもてはやしたり、朝から晩まで放送したり、馬鹿ではないのでしょうか。僕はそのように思います。そんなことはどうでもよいのです。ちなみに僕は、一切のスポーツはやりません。スポーツもやらないし、見ないから、またギャンブルもやりません。
パチンコ、競馬、麻雀、競艇など、僕はギャンブルは一切やりません。そんなものに対して興味もありません。お金が欲しければまともに働くことを考えて価値創造すればよいのです。スポーツやギャンブルでお金を稼ぐことなどできないのです。
今回報道された2人の選手は、1千万円くらいギャンブルにつぎ込んでいるのです。ギャンブルとは、胴元が儲かるようになっているのです。
そんなところに口を出して突っ込む奴は、頭が馬鹿なのです。
まだギャンブルはあります。株もギャンブルです。株も上がるか下がるか誰もわかりません。1ヶ月先のこともわかりません。
評論家、経済評論家の言うことはすべてデタラメです。未来のことはわからなくて当たり前です。
一番儲かる人間は株式相場をつくっている人間です。上がっても下がっても儲かるのです。
用意して「さあ、おいで。賭博を開帳します」と言っている人間が一番儲かるのです。他は誰も儲かりはしません。そのような仕組みになっているのです。
パチンコもそうです。なけなしのお金をはたいてパチンコをやっているのです。たまに大当たりすると、2~3万円儲けて有頂天になるのです。何をやっているのでしょう。パチンコをやっている胴元は、今はコンピュータ管理です。
何個打つと大当たりが出ると決まっているのです。だから、パチンコをやる側は儲からないのです。それでも儲かったときのことが頭から抜けないのです。ギャンブルをやる奴はみなそうなのです。また、儲かるのではないかと思ってやるのです。
ギャンブルは儲からないから僕はやりません。だいたいお金を賭けて勝負するなど、下卑た人間の考えることなのです。世の中の仕組みがわかっている高級人間は、そんなものに手出しをしません。
ギャンブルをやりながら、「成功したい」だとか、馬鹿なことを言うのはよしなさい。勝負ごとに手を出して実業家になった奴は誰もいないのです。僕の知り合いだった不動産屋の社長はお金が足らなくなると、金庫の有り金をもって皆に配って「馬券を買って儲けよう」などという会社もあったのです。
たまたま誰かが儲かったのです。それで給料が払えたとか聞きましたが、そんなことはいつもあるわけではないのです。社長が率先して「給料が足らないから馬券を買ってもうけようぜ」と金庫から200万円くらい出してきて、20万円ずつ10名に配るのです。
それで一斉に競馬場に行くのです。一番利口な奴は馬券を買わないで、20万円ポケットに入れてしまうのです。「馬券を買って儲けよう」などと思っている人間は馬鹿なのです。そんな金は酒を飲んでしまえばよいのです。
何事もそうです。博打で儲かるものはありません。近寄らないことが一番よいのです。自分の頭の中に「ギャンブルはない」というのが一番よいのです。従って僕の子供は誰もギャンブルをやりません。親がそのような姿勢をとっているので、皆成功するのです。
ギャンブルに手を出した奴は、途中で人生が終わりです。あまり、スポーツ選手をかいかぶらないことです。
この連中は、河原乞食と同じだからなんだってやるのです。女もひっかければ、麻薬もやるし、ギャンブルもやるし、野球賭博もやるし、何でもやる連中です。
こんな連中に焦点を当てることじたいが間違っています。
僕はそのように思います。もっとやらなければいけないことは、たくさんあります。有益なことをやらなければいけないのです。
こんなことをやっている時間などありません。皆さんもそのように考えるべきです。