「処刑の連続」

画像の説明 煙い奴は消す独裁者・・

北朝鮮が昨年末に「事故死」を発表した金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の側近、金養建(ヤンゴン)前朝鮮労働党書記が、処刑された張成沢(チャン・ソンテク)氏に代わり、水面下で中国とのパイプ役を担っていたとみられることが18日、複数の消息筋の話で分かった。

正恩氏が核実験実施を決めたのは死去の発表の直前で、事実とすれば中朝関係の悪化を決定づけた核実験の前に、“窓口”はすでに閉ざされていたことになる。改めてその死に注目が集まりそうだ。

「金養建同志が交通事故で(昨年)12月29日(午前)6時15分、73歳で逝去した」。朝鮮中央通信は翌30日、こう発表した。

養建氏は2007年から対南工作に当たる党統一戦線部長を兼務。地雷事件で緊迫した昨夏の南北協議も担当し、「対韓国交渉のエキスパート」との印象が強い。韓国政府は死去発表直後に公式に弔意を表した。

だが、即座に「深い哀悼の意」を示した国がもう1つある。中国だ。外務省報道官が「両国のハイレベルの往来のために積極的貢献をした」とまでたたえた。

金正日(ジョンイル)総書記の訪中にたびたび随行するなど中国となじみがあった。中朝関係者によると、中国高官との親交がさらに深まったのが14年春、北京にある人民解放軍301病院への入院だったという。正恩氏肝いりで造った馬息嶺(マシクリョン)スキー場で初滑りを無理強いされ、骨折。中国高官専用の病室で治療することになった。

中国人脈を一手に握った張氏の13年末の粛清後、空白になった対中人脈の調整役を担うことになったが、さしたる成果もないまま、昨年12月の正恩氏の「水爆保有」発言、それに続く同月15日の核実験実施の命令書への署名を迎えた。

消息筋は「穏健な対話派といわれる養建氏なら実験を支持しなかっただろう」と言う。北朝鮮では事故を装った高官の謀殺がたびたびあり、養建氏の死についても陰謀説がくすぶる。

統一戦線部長の後任には政権きっての強硬派の名前も取り沙汰される。ただ、正恩氏が弔問し、国葬も営まれており、事故を否定する確たる証拠はない。

張氏粛清後の対中外交は安定性を欠いた。正恩氏の最側近とされた崔竜海(チェ・リョンヘ)書記が昨年9月、中国の抗日戦勝70年行事に出席。翌月に訪朝した中国高官の接待にも当たったが、不調に終わり、最近、復権が確認されるまで僻地(へきち)の農場に追放されていたと伝えられる。

中国なしには経済が立ち行かないことを知りながら、正恩政権は張氏処刑後も、国内の「親中派」摘発や中国系住民への抑圧を続けている。

その最中、パイプ役を喪失した直後の核実験強行に、消息筋は「北朝鮮は対中関係で引き返せない川を渡ったと言わざるをえない」と指摘する。

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