「日本人なら忘れてはいけない日」

画像の説明 12月23日を教えない現在の日本。しかしこの日は未来永劫、日本人自らが語り継いでいかなければならない日といえます。

戦後、東京裁判でいわゆるA級戦犯(講和条約後にA級戦犯はいないと国会で決議した)として処刑された7人。この7人全員の名前を言える日本人はどれほどいるのでしょうか。

この7人が東京裁判で主張したのは「日本は自存自衛の戦争であって侵略戦争ではなかった」ということもありましたが、一番重要であったのは國體護持でありました。

すでに大東亜戦争の末期から「國體護持」のために日本人は命を捧げて戦いました。では、なぜ「國體護持」なのか?

それは國體、つまり天皇陛下がいなくなると日本国は日本でなくなることを戦前の日本人は知っていたからです。では、なぜ知っていたのか?

神話を知っているからです。天照大御神が孫のニニギノミコトに天孫降臨させた時に3つの神勅を持たせました。その3つは現在も守っているのです。

そのうちの1つが「天壌無窮の神勅」(てんじょうむきゅうのしんちょく)です。これは簡単に言うと「我が子孫が天皇として日本国を治めていく」とされ、今も125代として今上陛下がおられます。

幕末の吉田松陰は「天壌無窮の神勅がある限り日本は滅びない」という言葉を残して処刑されました。

戦前の日本人の頭にはこのことがしっかり刻まれていました。だから「國體護持」なのです。

歴史上、そして現在も、大きな戦争をして破れた国の皇帝や国王は殺されるか、他国に亡命します。そして国は共和制になります。

しかし日本は大東亜戦争という世界の大国と戦うほどの大きな戦争をしたのに、戦後も天皇陛下は存在しておられるのです。これは世界でも奇跡といえます。なぜでしょうか?

日本人が命を捧げて國體を護持したからです。これを理解すれば、日本人ならば誰もが靖国神社に感謝を捧げに行くようになるはずです。

東京裁判でA級戦犯という汚名を着せられた7人は、自分のことよりも戦争責任が天皇陛下におよんで処刑されることを何より憂えていました。

しかし天皇陛下に責任追及が及ばないことを知った7人は安堵し、自らの処刑の時に「天皇陛下万歳」をしたいと申し出ました。

ユダヤ人のウェップ裁判長は「どうぞ」と言いましたが手錠は外させませんでした。7人は手錠をしていたので手が上がらないまま「天皇陛下万歳」をした。

日本人であれば仏心(ほとけごころ)や武士の情けがあります。最後の時にはそっと手錠を外させて天皇陛下万歳をさせてあげる心があります。しかしユダヤ人はそうではない。

12月23日は皇太子殿下(今上陛下)のお誕生日です。そのことを知っていて昭和23年12月23日にA級戦犯として7人を処刑しました。皇太子が天皇陛下になってもお祝い出来ないように。・・・

12月23日は天長節です。同時に7人が処刑された日です。しかもこの7人は天皇陛下を護持するために東京裁判を戦った殉国の士です。

その殉国の士に手錠をかけたまま手を上げられず天皇陛下万歳をさせたことは、日本人として忘れてはいけない出来事であり、歴史に残していく日です。

今や多くの日本人がこのことを知らない中、畏れ多くも陛下こそこの日を忘れることはないはずです。

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