「努力」

画像の説明 「御社のトイレには入りたくない」
お客の一言に奮起した広東省の日系企業

中国からの撤退を模索する日系企業も増えたが、中国ビジネスには経済指標だけではわからないポテンシャルがまだまだある。トイレ掃除1つで会社が蘇るケースもあるのだ

「もし5S活動がうまくいかなかったら……自分は会社を辞める覚悟です!」

今春、中国広東省深セン市にある日系刺繍メーカー・深セン志専刺綉(以下、志専刺綉)副総経理の安強氏は、全社員に向かって、大きな声でこう宣言した。

「5S活動」とは「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」の5つを行うことで、国内はもとより中国の日系企業でも基本中の基本となっているが、同社ではこれまで徹底してこなかった。しかし、ある小さな出来事がきっかけとなり、安氏は「やはり、5S活動をしっかりやらなければダメだ」と強く実感したという。

その出来事とは、同じ広東省にある別の日系企業・東莞田中光学科技(以下、田中光学)の社員が同社を訪問したときのこと。双方の社員数人で食事をしていたとき、志専の社員が「弊社の工場を見ていかがでしたか。率直な意見を聞かせてください」といったところ、田中光学側から「社内が整理整頓されていない。特にトイレが汚い。御社のトイレには入りたくない」という辛辣な声が次々と飛び出したのだ。

事実、同社では刺繍に使う糸が散乱していたり、書類の整理もきちんとできていなかったが、同じ広東省内の日系中小企業、しかも同じ中国人から感想を言われた社員たちは、驚くと共にメンツを傷つけられ、恥ずかしい気持ちになった。

生産管理を担当する王愛霞氏は、「正直な意見にびっくりしました。と同時に、私たちみんな、俄然やる気が出てきたんです」と話す。

これまで他社の工場を見学する機会はなかったが、安氏らと共に田中光学を見学してみると、塵1つ落ちていないだけでなく、工場の隅から隅まですべて雑巾がけしてピカピカになっており、そのあまりの違いにショックを受けた。田中光学は5S活動が完璧なだけでなく「6S活動」(整理、整頓、清潔、清掃、躾、安全)にも取り組んでおり、社員の目が生き生きと輝いていた。大いに刺激を受けた志専の社員たちは、「自分たちも変わらなくては……」と心に決めたという。

今年5月、安氏を中心に「5S委員会」を設立。毎朝8時から20分間、掃除を始めた。事務所のファイルの整理から開始し、特にトイレ掃除は安氏を中心として念入りに行った。最初のうちは嫌々やっている社員もいたが、きれいになっていくと段々気持ちがよくなり、いつの間にか社員たちが率先して掃除を行うようになった。

社員に笑われながらも1人でトイレ掃除を続けた総経理

本格的に5S活動を開始してから約半年。今では来社した取引先の人々などから「工場の中がきれいですね」と褒められるまでになった。総経理の高橋元氏は、「社員たちの意識がかなり変わりましたね。5Sを行うことによって『ここは自分たちの大事な工場なんだ』という意識が以前より強くなった気がします」と語る。

同社の中国進出は古く、今年で丸30年になる。もともとは刺繍製品を企画・販売する中小企業として大阪で起業したが、1980年代の急激な円高などが背景となり、85年に深セン工場を設立。

以来、中国各地やバングラデシュなどに進出してきた。同工場では約120人体制で刺繍・ワッペン製品のOEM製造を行っているが、ファッション業界は流行の変化が早く、浮き沈みが激しい上、中国は年々コスト高になっている。安氏は「もっと社員の満足度を上げたい。士気を高め、会社をワンランクアップさせたい」との思いがあり、何か突破口を開きたいと考え、冒頭の出来事をきっかけに、業界の異なる田中光学の5S活動を学ぼうとしたのだ。

社員に笑われながらも1人でトイレ掃除
「5S活動」の精神を浸透させた総経理

同工場から車で約1時間半の場所にある田中光学は、スマートフォンに使用する赤外線カットフィルターなどを製造する企業。埼玉県に本社があり、2001年に東莞市に進出した。董事・総経理の石野千尋氏は、2011年から2度目の赴任中だが、赴任してすぐに5S活動に力を入れ始めた。同氏の1度目の帰任後、社内でトラブルがあり、取引先からクレームが寄せられるなどの問題が発生して、赤字に転落した時期があった。

「最初のうちは社員の誕生会をしたり、報奨金を出したりしてみたのですが、陰で『やくざの親玉』と陰口を叩かれてしまいました。小手先でどんなに褒美を与えたところで、社員の心はまったく動かなかったんです。悩んでいたとき、トイレ掃除を思いつきました。以前、著名な経営者の小山昇氏の著書で、トイレ掃除によって会社が変わる、という話を読んだことを思い出したからです」

石野氏は悩みながらも、毎朝たった1人でトイレ掃除を始めた。社員からは中国語で「精神病!」(頭がおかしい)と笑われたが、石野氏は決して掃除をやめなかった。黙々と掃除を始めてから約半年。「社長、私も手伝います」と、数人の社員が少しずつ手伝ってくれるようになった。1年経ってみると、全社員が自ら毎朝30分間、掃除をするように……。床や壁、どんなところもモップではなく自らの手で雑巾がけするという独特のやり方だったが、社員たちはついてきてくれて、全体のモチベーションが上がったという。

1年後に工場の生産性が4倍、赤字も解消した奇跡

そして、なんと1年後には工場の生産性が4倍にアップし、いつの間にか赤字も解消した。今では前述の志専刺綉のように、会社見学にやって来たり、5S活動についてわざわざ相談に訪れる企業もあるという。

同社に経営アドバイスなどを行っている東莞在住の改善アドバイザー・林徹彦氏は、掃除の効能をこう話す。

「掃除をすることで“気づきの心”を養うことができるのです。日本企業のモノづくりのすごさは、パート社員でも小さな異常に気づくという細部にありますが、それはやはり掃除など5S活動を行うことによって培われるもの。東京ディズニーランドでは雨の日でもベンチを雑巾がけすることで有名ですが、それは単なる清掃ではなく、ベンチに異常がないか、点検する意味もあるからです。

毎日雑巾がけをすれば、真近で見て、自分の手の感触で小さな異常を早期に発見することができます。石野氏の会社では、倉庫にある段ボール上のホコリまできちんと拭き取っていますが、ここまで丁寧な掃除の積み重ねが、社員全員の意識を高め、細かな異変や間違いも見落とさない仕事につながっているのだと思います。もちろん、掃除をすることでさっぱりし、精神的な健康も保たれますね」

田中光学では、掃除した場所に担当者の名前と顔写真を貼りだすなど、「5S活動」における社員のモチベーションを高める工夫をしている

田中光学では他にも様々な工夫をしている。たとえば、誰がどこを掃除したのかを明確にするため、掃除した場所に担当者の名前と写真を貼り出すこと、データをすべてサイボウズに入れておき、紙は必要なときしか出力せず、机の上には電話とパソコンだけしか置かないことなどだ。

筆者が取材後、トイレを借りようとしたところ、廊下にはわかりやすくトイレの表示があり、すぐにわかった。通常、店舗などでしか見ない表示だが、石野氏によると「お客様にもっとわかりやすくしましょう」と社員が提案した改善の1つだったという。

同社の経営企画部長、張夢林氏は「会社で掃除をするようになって意識が変わり、家庭でも掃除をするようになった。周囲が整理されていると頭も整理され、物事がスムーズに運ぶようになった」と話してくれた。

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