「勉強しよう」

古事記に学ぶ日本の間違い

画像の説明 古事記

古事記の解説本は、来年2月に出る予定ですが、その古事記に学ぶ日本の3つの間違いを書いてみたいと思います。
ほんとうは、もっともっとたくさんの学びが古事記にはあります。
そのなかのほんのサワリになります。

今日書くのは、次の3つです。
1 単独で戦う間違い
2 日韓関係の間違い
3 人事権の間違い

以上の3つは、おそらく国政の問題としてではなく、日常の会社の経営や、あるいは部門の統率に際してもいくらでも応用がきくことではないかと思いますので、ご紹介してみたいと思います。

ちょっとおもしろいかもです。
ここでは、要点だけです。
なぜ古事記の原文との照合等については、後日本になりますので、そちらをご欄いただければと思います。

古事記から読み解く 経営の真髄

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1 単独で戦う間違い
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これは古事記における神武東征の物語から学ぶことができます。

神武天皇は、ナガスネヒコの一味と戦うに際して、心配した高天原から神の太刀を授かります。その太刀は、手にしているだけで、敵はホロホロと崩れて気を失ってしまうという、たいへんな霊力を持った太刀です。いまの時代なら、さしづめ核ミサイルに相当する兵器かもしれません。

ところが高天原は、それだけの兵器を神武天皇に渡していながら、熊野をまわって仲間を集めろと言います。つまり、どれだけ強い兵器を持っていたとしても、戦うときは、まずは「仲間を集めろ」と古事記は書いています。

その意味で、先の大戦において米国は、連合国を組成しました。日本が単独で戦ったのに対し、米国は世界を仲間につけました。

ちゃんと神話で、どんなに強い武器を持っていたとしても、戦うときには、まずは仲間を集めよと、日本の建国神話にちゃんと書かれているのに、日本は単独で戦い、対する米国は、神話がないのに仲間を集めて戦ったわけです。結果は、みなさまご存知の通りです。

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2 日韓関係の間違い
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古事記は、海彦山彦の物語で、山彦は、兄の海彦から、太平洋に落とした針一本を探しだして持ってくるように言われました。
これはできない相談です。はじめから不可能なことです。
しかも相手は、兄、です。無視することはできない。

つまり古事記の海彦山彦の物語は、実は、無視することのできない相手から、誰がどう考えても理不尽としか言いようのない難題を突きつけられたときに、どのように対処したら良いかを教えてくれています。

この答えは、海の大神が明確に出してくれています。
1 相手に謝る必要はない。
2 相手に経済的制裁を加えよ
3 経済制裁で困った相手が攻めてきたら、まえもって準備万端整えておいて完膚なきまでにやっつけよ
4 相手が詫びを入れてきたら、赦してあげよ。

このことは、日韓関係にまるごと当てはまります。そもそも「従軍慰安婦」など存在しません。「従軍」というのは、軍に所属していることを意味します。ですから「従軍牧師」といえば、軍から給料をもらっている牧師さんです。「従軍慰安婦」というのは、軍から給料をもらっていたのでしょうか。

要するに韓国は、はじめからありもしないことを、「あった」と決めつけて、無茶な金銭の要求をしてきているのです。そのようなものに対しては、「一切詫びる必要はない」と明確に古事記は書いています。それどころか、経済制裁を加えよ、と古事記は書いています。

そもそも昭和40年(1965)に、日本と韓国は、日韓基本条約(正式名称:日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)を締結しています。

この条約で、日韓両国は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」において、次の2項を合意調印しています。

1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する(個別請求権の問題解決)。
2 一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益において、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって1945年8月15日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。

つまり、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく請求は、韓国は一切主張することができないと、両国で明確に定めているのです。

ということは、この協定を無視して韓国が慰安婦の賠償請求をするということは、韓国は、自ら日韓基本条約を破棄する意思表示をしたことになります。

ならば、日本は、1945年8月15日以前に日本が韓国に投資したすべての資産および投資金額を、時価で韓国に返還要求すれば良いことです。

また、日韓基本条約締結時に日本が韓国に支払った経済協力金も、返還請求すれば良いだけのことです。

さらに古事記は、そうした理不尽な要求を突きつけてくる者に対しては、経済制裁を加えよと書いています。日本は、韓国に対する一切の技術提供や器具部品の輸出を停止し、また韓国からのいかなる製品の輸入も禁止とすれば良いだけのことです。

それが不服で韓国が日本に攻めてくるというなら、日本は、まさに自衛権を行使して戦うだけのことです。それが国政というものだと、古事記に書いてあります。これが、国家が神話を失うことの馬鹿らしさです。

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3 人事権の間違い
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古事記は、天の岩戸の前と後とで、高天原の統治の形態が180度変った様子を描いています。前は、あらゆる意思決定を天照大御神が行っていました。後は、日常の政治活動の一切は、八百万の神々が取り仕切るようになりました。

ただし、条件があります。
その条件とは、人事権だけは、天照大御神がしっかりと握って放してないことです。

日本の統治が、法や神を最高位に置くのではなく、常に天皇を最高位においてきた理由もここにあります。国家最高の超法規的存在が、人事権を持つこと。結局は、人で政治は動くのです。会社でも同じです。誰をどこに配置するかで、結果は見なくてもわかる。それが人事というものです。

いまの内閣も同じです。
安倍首相は、日本を取り戻すために、本当によく頑張ってくださっていると思います。けれど総理の人事権は、閣僚人事だけで、それ以外の人事権は行使できません。

天皇に至っては、親任権があるだけで、任命権がありません。拒否権もない。これでは、まともな統治などできようはずもないのです。

会社の社長に人事権がなければ、会社は崩壊します。あたりまえのことです。会社の社長が、引退して会長に退く場合でも、実権を持っていたいなら、人事権は手放さないことです。
そう、古事記に書いてあります。

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以上のことが「古事記に書いてある」というのは、不思議に思う方もおいでかもしれません。けれど、そもそも古事記は「天皇指導の書」として書かれたと、古事記の序文に書かれています。そのつもりで読めば、古事記は知恵の殿堂です。それを古事記を、ただの神話やお伽話としてしか理解しようとしないから間違うのです。

もうひとつ、言いたいことを書いておきます。

古事記には、有名なイザナキ、イザナミの神話があります。
ご存知の方は、そのラストシーンで、半狂乱になって黄泉の国から追いかけてきたイザナミが、千引岩を挟んで夫のイザナキと対峙したときの対話です。

ミ「愛しき我が夫の命(みこと)よ、お前がこのようなことをなさるなら、私は汝の国の人草を一日に千人絞(くび)り殺しましょう」

キ「愛しき我が妻よ、おまえがそうするなら私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」

女性が半狂乱になって追いかけてくるシーンばかりが強調されているようですが、この会話が重要です。イザナミは「毎日千人殺す」と言っています。そう言われたら、普通はどうするでしょうか。

たとえばISがが「日本でこれから毎日千人殺す」と言ってきたら、どうするでしょうか。そういう設問なのです。普通なら、「おい、やめてくれ!」と懇願するか、怒鳴るか、千引岩を開けて黄泉の国へ攻め込むか、つまり相手に軍事的制裁を加えるか。そんな選択しかないと思います。

けれど古事記は、「ならば私はこれから毎日1500の産屋を建てるよ」と答えているのです。

相手の主張に対して、怒るわけでもなければ、拒否するわけでもない。叱るわけでもない。受け入れ協調するわけでもない。相手の言いなりになるわけでもない。まったく第三の選択として、もっと多くの子を生むよ、と答えています。

これが日本的和の精神の神髄です。
協調でもなければ、迎合でもない。
対立でもなければ闘争でもない。
相手を受け入れ、それ以上の良い結果を見出しています。

これが古事記に書かれた日本人の知恵です。こういうことを、1300年前の古事記が書いているのです。

古い時代に書かれた書を、あからさまに見下す人がいます。
特に左前の学者さんに、そんな傾向が顕著であるように感じます。

百人一首の世界など、まるで色キチガイの男女の織りなすたわごとの世界のように解説している本もあります。

私には、むしろ、現代人の方が、かつての日本人より、はるかに遅れ、劣化しているように思えます。

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