「時間短縮?」

画像の説明 努力を長く続けるスポーツ選手、研究者
時短・効率化をすすめる日本企業

スポーツ選手や研究者の地道な努力が讃えられる一方、会社員の世界では「残業ゼロ」「休日の増加」の風潮が強まっている

ラグビーW杯イングランド大会で活躍した日本代表チームは、決勝トーナメントには進めなかったものの、優勝候補の南アフリカを含む3勝という快挙を達成した。これは、ポテンシャルの高い選手たちが、科学的に根拠のある過酷なトレーニングを行った「努力」の結果だ。

選手たちの天性の才能だけでもなければ、監督の指導力だけでもない。彼らは常日頃、早朝5時から3部練習、4部練習……と、とんでもなく長い時間トレーニングし続けていたのである。

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』などを見ていてもわかるが、偉業を成し遂げた研究者もスポーツ選手も、みんな長い時間努力に努力を重ね、失敗に失敗を重ねている。

その結果、やっと光明が見えて、その後も懸命に努力し続けたのちに、やっと成功を掴んでいるのだ。振り返ってみると、「無駄打ちだったな」という過程もたくさんあったことだろう。

一方、昨今の日本の大企業の多くは「時短」「効率化」「無駄の排除」がキーワードになっている。会社の業務は無意味で無駄な時間の塊だ。長時間会社にはいるけれど、その実、ダラダラと無意味な会議や時間を過ごしているだけで、非効率的、非能率的になっていることも多い。

「仕組みを変えて、無駄を排除し、全員が早く帰れるようにしよう」というのは、素晴らしいことだと思う。早く帰れば、仕事だけでなく私生活も充実する。非常に結構なことではないか。

ただし、これは基本的な仕事の枠組みが確立されている「オペレーション業務」に関しての話である。それであれば、「時短」「効率化」「無駄の排除」を追求することによって、一定の生産性の向上、個人の満足度向上にも寄与できる。

ところが、プロフェッショナルの世界、イノベーションの世界ではそうはいかない。プロフェッショナルな人材に求められるのは、「限界への挑戦」である。

よく考え、動き、トライし、学びと気づきを繰り返し、鍛錬を重ねる。どれだけ、そのサイクルを回してきたかがものを言う。そして、イノベーションは、失敗の連続である。誰もやったことのない価値を見つけ生み出すプロセスは、すべてが試行錯誤なのである。最初から答えにたどり着くことなどない。

一流の仕事人は泥臭い努力を必ずしている

マネックスの松本大社長は「人間のもともとの能力に大きな個人差なんてない」と断じたうえで、長時間労働して始めて優れた仕事ができると説いている。努力の投入量によってアウトプットが変わってくるからだ。

サッカー日本代表の監督を務めたオシム監督は、「サッカー選手は24時間サッカーのことを考えろ」と言っていた。イノベーションの専門家は、声をそろえて、数限りない失敗を当たり前のこととして覚悟することを説く。

電通の「鬼十則」ではないが、一流の仕事をするためには、泥臭い努力が必要なのだ。仕事を成し遂げた人たちは、それを身をもって知っている。

残業ゼロ、休みの増加が「普通の人」のコミットレベルを下げる

たしかに、「わが社は残業ゼロ。社員には休日をしっかりとらせていますが、事業はうまくいっています」とメディアに取り上げられる企業はたくさんある。それが嘘だとは言わないが、後付けのケースがほとんどではないだろうか。

「いいタイミングで、上り調子の業界に参入し、運よく当たった」「そして構造的にその優位性が継続できる状況にある」から、社員を5時に帰社させる余裕ができたのだ。しかし、そんな夢のような状況はあまり長くは続かない。いつかは事業環境が変化し、彼らも休日返上で必死に働かなくてはならなくなるはずだ。

早く帰社して、仕事以外の活動をすれば、何らかの「気づき」を得ることはできるだろう。見聞を広げることもできる。それは私も否定しないが、そこで得た「気づき」がイノベーティブな仕事の本当の意味での「核」になるとは思えない。

思いつきをビジネスで使えるレベルにまで昇華させるには、やはりとんでもなく努力を投入する必要があるし、嫌がる周りを巻き込んでいくことも必要だ。また、日頃からたくさんの思考錯誤をしている人と、そこまでの経験がない人とでは、得られる「気づき」の質も、到達できる「アイデア」の質も決定的に違う。

「オン・オフを切り替えて効率的な仕事を」など美辞麗句

さらに、情報セキュリティ強化が叫ばれる時代にあっては、多くの企業では社外にPCやデータを持ち出すことができない。リモートアクセスすることもできず、残業も許されないとなれば、成果を上げるために外で努力し続ける人はほとんどいないだろう。多くの人は「企業が仕事をさせないのだから」と働かなくなってしまう。こんなことでいいのだろうか。このままでは日本企業の国際競争力はどんどん落ちていくばかりだ。

かつて日本企業は、「普通の人」の仕事へのコミットメントの強さが圧倒的だった。普通の人が、「よりよいサービス、商品を作り出そう!!」と、みんながガムシャラに努力した。その集積こそが、競争力のある高いレベルの商品サービスを作り出したのである。

今の風潮は、時短、時短、時短。「外の世界を見て気づきを得よ」「オンとオフを切り替えて効率的な仕事を」などの美辞麗句のもと、たいして働かなくてもいい状況が作られている。それによって、「普通の人」の仕事へのエネルギーの投入量が大幅に低下している。

さらに平均レベルに合わせた画一的な運用をするせいで、本来、がむしゃらにプロを目指すべき人や、イノベーティブな仕事をすべき人たちも、仕事に対してそれほどコミットできていない。今もすでに不足しているが、このままの状況が続けば、今後ますますイノベーティブな仕事やプロフェッショナルな仕事ができる人材は枯渇していくだろう。

いまこそ「キャリア採用」復活のとき?

こうなっては、しかたがない。「キャリア採用」を復活させてみてはどうだろうか。キャリア(上級職)とノンキャリア(普通職)を採用段階から完全にわけ、入社後も完全に別枠管理してしまうのである。

いざキャリアで入社したなら、極限まで頭を使って、最高峰を目指し、死ぬ気で頑張る。会社の競争力の源泉であるイノベーティブでプロフェッショナルな仕事に従事してもらうわけだ。企業は、「ホワイトカラー・エグゼンプション」にのっとって、最初から1075万円以上の年収を出せばいい。

日本人は本当に働きすぎなのか?

ノンキャリアで入社したら、オペレーション業務に従事し、5時に帰社して、有給休暇もきちんととる。給与や待遇でキャリアと差が出るが諦めてもらうしかない。仕事としてやりがいを感じられるのはキャリアだろうが、「死ぬ気で頑張る」わけだから、とくに若い間は、趣味や家庭生活も充実させることはかなり難しいだろう。

考え方次第で、どちらの道を選んでもいいのだ。このような運用なら、失われつつある日本企業の国際競争力を少しは復活させることができるかもしれない。

私とて、このような強引なやり方が良いと思っているわけではない。しかし、このままでは “日本まるごと” 働かない国になってしまう。いまだに、日本人は働きすぎだということになっているが、大企業は年間休日が120日を超えている。

さらに有給休暇を8割も取得するようになれば、135日~140日程度も休む。そして毎日定時に帰って、国際競争力のある仕事などできるわけがない。

勝つチーム、一流の選手たちは、みんな当たり前のように物凄い努力をしているのだ。努力をしない、サボることを、巧みに正当化する言説に惑わされることは、もうそろそろ終わりにしたい。

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