「国」

画像の説明 日本は素晴らしいが・・・ 

1 「シラス統治」
民を最高権威の『たから』とする統治。
社会構造は「皇・臣・民」となるが、民は皇の「おおみたから」となる。
臣はその「おおみたから」を預かる立場となる。

2 「ウシハク統治」
「ウシ」は主人、「ハク」は穿くで、大刀を腰に穿くという言い方があるように、領主が領土領民を私有する統治。

シラス、ウシハクは、古事記の大国主神話に出てきます。
建御雷神が大国主に言った言葉です。

「汝之宇志波祁流 此葦原中國者 我御子之所知國」
(なんじのウシハクこの葦原中国(出雲国のこと)は、我が御子(みこ)のシラス国ぞ)

ウシハク統治では、上に立つ者が、下にいる者を私的に私有します。

中共は「人治国家」などと呼ばれますが大きな間違いで、実は人の上に立つ者が下の者を私的に私有する国家です。つまり下の者は「俺のモノ」なのです。すこし刺激的な言い方をすれば、領民の女房は、その夫婦の意思の如何にかかわらず、領主のものです。そういう社会体制が「ウシハク統治」です。

これに対し「シラス統治」では、領民のご夫婦は、天子様(皇)のもっとも大切な宝です。
領主は天子様の臣として、天子様の領民のご夫婦を預かっている立場です。ですからそのご夫婦の幸せを図ることが臣である領主の役割となります。

なぜ建御雷神が大国主に「汝之宇志波祁流 此葦原中國者 我御子之所知國」と言って国譲りを迫ったかというと、大国主神が支配する葦原中つ国、つまり下界が「騒々しかった」からと古事記には書かれています。
「下界が騒々しい」とは何を指すかというと、大国主が支配する下界が、ウシハク国となっていたからです。

なぜ「ウシハク社会」だと「下界が騒々しく」なるのかというと、ウシハク社会は、欲望社会だからです。
とにかく人の上にたちさえすれば、自分より下の者からなんでも奪うことができるのです。自分さえ良ければ良いのです。これは欲望社会です。

人と人とが、常に自分の欲望を満たそうと、大声をあげ、真夜中までネオンサインを輝かせ、ウケを狙って大騒ぎをし、奪う者は、奪うためにギラギラのネオンで人を誘い込み、奪われた者は、奪われたと大声で泣き叫ぶ。そこにあるのは、まさに混沌であり、ドロドロとした欲望のひしめき合いです。

「葦原中つ国が、ドロドロの欲望社会になっている!」そのことを、天忍穂耳命(あめのほしおみみのみこと)は、天の橋(天の川)から下界を見下ろし、「下界は騒々しい」と言っているのです。

当時の葦原中つ国は大国主の統治によって経済的にはたいへんな繁栄をしていたけれど、それは大国主神の一族が贅沢三昧ができる繁栄を謳歌していただけで、民衆は被支配者として収奪の対象になっていたし、収奪されるばかりでは食えないから、少ない富をめぐって互いに相争い、より多くの富を得ようとして、富の奪い合いをしていたわけです。だからその様子を、天忍穂耳命は、「騒々しい」と切り捨てました。

我が国の統治の根幹が「シラス」にあることは、古事記においては、なんと天照大御神がお生まれになった、その瞬間、その時点に、父親であるイザナキから「汝がシラセ」と、明確に指示された、そこにシラスが出てきます。けれどその記述のところでは、では「シラス」とはどういう統治を意味するのか明らかにされていません。

そして古事記は、その後の物語の展開の中で、シラス統治とはいかなる統治なのかを明らかにしていっています。
言いかえれば、古事記は「シラス統治」とは、いったいどういうものかを明らかにした書であるわけです。

日本の国政にいまある政党は、与野党ともに「ウシハク政党」か、騒々しい「欲望政党」であるかのように感じます。けれど国民にとって本当に必要なのは、「シラス党」です。たぶん、いちばんそこに近いのが、中山恭子先生が代表となった次世代の党かと思います。

必要なのは、ウヨクでもサヨクでもない。ナカヨク党です。
そこに「シラス党」の根幹がああります。ただし、悪は許さない。

日本がシラス国を取り戻し、そういう国政に立ち戻り、そういう政党ができていくためには、まずは日本人がシラスという本来の日本のカタチを知ることではないかと思います。

そうでなければ、日本は米中韓の欲望国家に飲み込まれてしまいます。日本は、そういう岐路に立っている。

そういえば、シラス国を漢字で書いたら「知國」なんですね。

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