「見栄と利害」

画像の説明 白日の下で、主役が蒋介石から毛沢東にすり替えられているとは、驚天動地である。中国が本音の恥部を遂に露出、臆面もなく曝け出した歴史修正主義の一端である。

中国が9月3日に北京で開催した「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年」の記念式典に併せて公開された戦争映画『カイロ宣言』の歴史改ざん騒動が話題になっている。

ポスターには米ルーズベルト、英チャーチルに、出席していないソ連のスターリンと毛沢東が顔を並べ、出席していた蔣介石の姿がない。予告編では、毛沢東があたかも主役のような存在感で多くの場面で登場、大活躍である。

さすがに中国の国内でも「功績の横取り」「史実の捏造」「恥を知れ」などと、批判の声が広がっている。ネット上でも非難や嘲笑が飛び交い、笑い種である。いわゆる「炎上」狙いで、国内外の世論は中国当局の巧妙な操作に嵌っている、との斜に構えた見方も出てきている。歴史の虚実を不透明にして、白も黒と思わせなければならない国情が垣間見える。

世論操作への「炎上」狙いか?カイロ宣言の蒋介石を毛沢東にすり替え

カイロ宣言とは、第二次世界大戦中の1942年11月に米英中ソの各国代表がエジプトのカイロで開催した首脳会談で、連合国側の対日戦後処理の方針を打ち出した宣言である。出席者は、米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相、それに中華民国・国民政府の蒋介石主席の3人で、ソ連の最高指導者であるスターリン・ソ連共産党書記長は蔣介石との同席を嫌って、欠席していた。

当時、中国では蒋介石が率いる反共勢力の国民党と、毛沢東が率いる中国共産党が凄惨な激闘を繰り広げる内戦状態の下で、侵略してきた日本軍との戦いも余儀なくされ、対峙していたのは紛れもなく国民党であった。その頃、毛沢東はどこで何をしていたのか。

史実によると、中共軍は延安での「延安整風」の途上にあり、毛沢東はその陣頭指揮に立っていたのである。中共軍が国民党軍に追われて、「長征」という名の逃亡の末に辿りついたのが、陝西省の山岳地帯であった。毛沢東はここで「党の気風を整え、改善する」狙いから、共産党員の粛清に手を染め、このときの犠牲者だけでも1万人超と言われている。

中国の辺鄙な山中の延安にいた毛沢東がなぜ、カイロでの首脳会談で先導的な役割を果たすことができるのか。そんなことは「荒唐無稽な話で、史料が証明している」として、歯牙にもかけないのが台湾国士舘の呂芳館長である。

しかし、この映画を製作したのは中国人民解放軍の「八一映画製作所」で、人民解放軍を管轄しているのは中央軍事委員会である。その主席は、言うまでもなく習近平国家主席である。となれば、習指導部のお墨付きを得て仕掛けた上からの世論操作に、その狙いが隠されている。現に、習指導部ではこの戦争映画を鑑賞するよう、国を挙げて推奨している。

映画製作の関係者たちは「中華民族は、ともに戦い、犠牲となった結果として、抗日戦争では勝利がもたらされた。毛沢東が率いる中共軍は、抗日戦争で中心的な役割を果たしている。カイロ宣言は、中共軍の貢献なしにはあり得なかった」と明言して憚らず、共産党を正統化するためのPR映画であり、歴史教育上のプロパガンダ(宣伝、吹聴)の一環である、と開き直っている。

共産党の正統化と威信を内外に誇示虚飾に満ちた中国の軍事パレード

戦勝70年の記念式典と軍事パレードも、この期に及んで改めて共産党を正統化するためのプロパガンダであり、習指導部の威信をかけてそ実権を国内外に誇示し、大いに国威を発揚してプレゼンス(存在感)を高め見直しを迫ることが、主たる狙いであった。習指導部としても、準備に万全を期した。開催前後の5日間は北京市内で国旗を掲揚し、前後3日間は休日とし、テロ防止のため、首都圏に厳戒態勢を敷いて、6万5000人の警官と85万人の警備ボランティアを動員、北京周辺一帯の工場は操業を中止して、青空も確保した。

開幕を告げる70発の号砲が鳴り響き、来賓の各国首脳をはじめ、中国共産党の新旧の指導者たちを従えて、習主席が天安門の壇上に立った。習主席は演説で「中国は永遠に覇権を唱えず、拡張も図らない」で、平和な発展を目指す姿勢を強調し、「30万の兵力を削減する」と宣言した。

軍事パレードでは、兵士1万2000人を動員、米大陸を射程に収めるICBM(大陸間弾道ミサイル)「DF(東風)5B」など、過去最多の7種類のミサイルを公開、空母に艦載する海軍の主力戦闘機「殲⒂」や陸軍の主力戦車「99A式」などを次々と披露、計500以上の兵器が登場し、そのうちの「84%が初公開」との触れ込み。近代化を加速した軍事力の威力を国内外に誇示すると共に、習主席の陸海空3軍に及ぶ掌握力をアピールして、天安門広場を埋めた約4万人の党及び軍の関係者や市民を圧倒した。

しかし、その割にはどこか高揚感に欠けた、白けた記念式典で終わった印象が拭えないのは、筆者だけではあるまい。

1つには、海外から参加した賓客の顔ぶれが寂しかったことである。49の国と11の国際機関の代表が参加したとはいえ、米英仏など欧米の主要国からの首脳級の姿は見えず、国連常任理事国のうち、首脳が参加したのはロシアのプーチン大統領だけ。

いわゆる西側世界の指導者としては韓国の朴大統領だけであった。中国当局は、「招待を受けて代表を派遣しなかったのは、日本とフィリピンだけ」(中国メデイア)と成果を強調するが、ICC(国際刑事裁判所)から戦争犯罪などの罪に問われているスーダンのバジル大統領をはじめ、参加国には皮肉にも独裁色の強い発展途上国が多く、目立っていたことは否定できない。反ファシストの看板倒れである。

出迎えは時代錯誤の皇帝スタイルで「空回り感」が否めない演出の数々

2つには、虚飾と見栄で固めた過剰な演出はいかにも時代錯誤で、その割には誰のための式典で、何のためのパレードであったのか、その意図する狙いが不透明というよりも、逆に透けて見え過ぎていたことである。全員が背広姿の中、ただ1人、中国の正装である中山服姿で身を固めた習主席と彭麗媛夫人は、故宮の大和殿の中庭に立ち、各国の来賓たちを迎えた。

来賓たちは一組ずつ赤じゅうたんを踏みしめて、習主席夫妻の前へ進み出て、挨拶する。この儀式は、中国の伝統的な皇帝スタイルで、今では時代劇の中でしか見ることができないが、習主席は終始一貫、この皇帝スタイルで押し通した。

これは、宗主国と周辺の属国が主従関係にあった、清朝の頃までの冊封体制の名残で、皇帝に敬意を表して、ご機嫌をうかがうための年中行事であった。その再現を髣髴とさせる立ち居振る舞いには、違和感を禁じ得ない。

3つには、習主席の演説が象徴しているように、中国の言行不一致が目に余り、改めて中国の二枚舌への不信感を募らせたことである。習主席は、演説で「永遠に覇を唱えず、拡張も図らず、自らが経験した悲惨な境遇に他の民族を押しやることなく、世界各国の人々と友好を保つ」と言明したが、国内外における中国の平素からの言動と立ち居振る舞いに照らしてみる限り、にわかに信じ難い文言で、これを宴の譫言(うわごと)で終わらせないよう、世界の耳と目で厳しく監視していく必要がある。

中国が今置かれている厳しい内外情勢の中で、あえて挙行したこの度の式典とパレードを俯瞰したとき、習指導部のこの宴に賭けた思いや意図は、どうやら空回りしている感が否めない。

中国の無辜の一般大衆の五感には、分不相応の、途方もないミスマッチの大きさにむなしさを禁じ得ず、やるせない思いに苛まれているに違いない。  

そんな中にあって、習主席と朴大統領の「蜜月」の演出効果は、ひときわ印象的であった。式典前日の中韓首脳会談では同時通訳を入れての2時間に及ぶ意見交換で、会談後には習主席が朴大統領のために昼食会を開いた。式典当日の各国代表団を招待した昼食レセプションでは、朴大統領だけに専用の待機室まで用意した。

習主席にとっては、朴大統領が西側世界から参加した唯一の首脳であったため、文字通りの貴賓で、ロシアのプーチン大統領を凌駕する接遇であった。朴大統領の背後に、日米をはじめ、西側世界の関係各国に対する習主席の配慮があったに違いないが、この舞台裏には公私にわたる習・朴両者の10年越しの交流があったことも、無視できない。

2005年7月のことである。浙江省党委員会書記の習氏が訪韓した際、朴氏の父・朴正熙元大統領が1970年に始めた、経済成長を支える農村近代化のための「セマウル運動」を学びたいと考えており、そこで出会ったのが当時の最大野党であるハンナラ党首の朴氏であった。

朴氏は、党首と地方自治体のトップという格の違いから一旦は断るが、「次の国家主席に最有力の人物」と聞き、昼食会を準備してもてなした。それ以来、両者はセマウル運動に限らず、北朝鮮問題をはじめ、朝鮮半島情勢などについても意見を交わせる仲となり、今では毎年、誕生日などを祝う便りを交わしている。したがって、習主席にとって朴大統領の式典への参加は、「友、遠方より来る」思いであった。

朴大統領の式典への出席の背景には、始めから本人の強い意志があった。北朝鮮との平和統一外交に強い意欲を示し南北外交を進めていくには、朝鮮半島に影響力を持つ中国の協力が必要不可欠であるとして、出席に固執した。日米両政府はこれに対し、出席には反対こそしないが、それぞれに懸念を伝えていた。

特に、日本は中韓両国が歴史認識などで連携し、対日批判を強めるようなことは避けてほしいと要望した。韓国の外交筋によると、朴大統領の意向を受け、日米両国の懸念にも配慮、その解消に奔走したという。米国には、米国が望む朝鮮半島の緊張緩和を進める上で、中国の果たす役割の重要性を強調して、理解を求めたという。

クローズアップされる習・朴の蜜月ぶり日中韓首脳会談で日本はどう動くべきか?

中韓首脳会談では事前の根回しも功を奏して、終始和やかなうちに、主題であった日中韓首脳会談の開催が内定したという。外交筋によると、中国は8月末までに日中韓首脳会談の開催を「10月半ばから月末頃であれば、対応が可能」との考えを、議長国の韓国に伝え、韓国から日本の外交筋に伝えられ、日中韓3国の間で一気に合意したと聞いているが、正式な公式発表はまだである。

日中韓首脳会談は、その必要性が以前から強調されながら、具体化への根回しが懸案で再開できずにいたが、朴大統領のこのたびの尽力を以って、3年ぶりに再開され、今後の年次開催の実現へ漕ぎ着けたならば、このたびの式典外交の最大の成果であるといっても、過言ではない。

本来であれば日本がそのイニシアティブをとり、その役割を果たすべきであったが、日本に代わって朴大統領が果たしてくれたことは、混迷する東アジア外交を仕切り直すための契機となるに違いない。

ただ、中韓両国の接近、共同歩調が日本に負の影響を及ぼす可能性も少なくない。習主席は中韓首脳会談の冒頭で「中韓両国の人民は日本の植民地化と侵略に抵抗し、民族解放を勝ち取る闘争で団結し、助け合った」と語り、朴大統領に対し、いわゆる歴史共闘を呼びかけている。

中韓両国が歴史問題で共同歩調を取るならば、日本との溝を深め、来月にも開催が予定されている日中韓首脳会談の成否にも影響が及ぶ。安倍政権発足後、いまだ実現していない懸案の日韓首脳会談の開催にも影を落としかねないことになる。

日中韓3国の間では今、FTA(自由貿易協定)交渉が進んでいる。日中韓の3国はお互いに対立点を煽ることなく、相互理解を深め合いながら、アジアの平和と安寧に寄与・貢献するにはどのような協力体制が必要か、英知を結集していくことである。その上で、日中韓3国の間に横たわる溝を埋めていく努力をいかに重ねていくか。

この努力の集積こそが、将来世代に対する現代世代の責務である。

コメント


認証コード0012

コメントは管理者の承認後に表示されます。