「変化」

画像の説明 9月といえば、毎年13億の国民が一斉に「反日感情」を覚醒させる時期である。9月3日は「抗日戦勝記念日」。戦後70年の今年、この記念日は格上げされ、大規模な国家的行事が計画された。

他方、中国の9月は在留邦人にとっては悪夢である。毎年災いが起こる、この敬遠すべき9月。今年は何が起こるのか。

案の定、「抗日戦勝記念日」が三連休に拡大した今年、“火の粉”を怖れた多くの日本人が退避していた。2012年9月の反日デモを経験した日本人なら、身の毛もよだつ思いだろう。

当時、上海の街全体が五星紅旗の赤い渦に覆われ、デモ隊が日本領事館めがけて怒涛の如く集結、反日シュプレヒコールと横断幕に、在留邦人は強烈なショックを受けたものだ。

ネットでは不穏な雰囲気も街はまったくの平常通り

その悪夢の再来を怖れ、今年、在留邦人は外出を控えた。在上海日本国総領事館も「大規模な反日デモがこの時期に発生するとの徴候は確認されていない」としながらも「日本や日中関係に対して特に高い関心が集まりやすい状況」とし、注意を喚起していた。

大規模な国家的行事に格上げされた「抗日戦勝記念日」がどれほど燃え上がるのか。日本人は静かに動向を見守っていた。

ネット空間はやはり想像以上の“盛り上がり”を見せた。上海在住の男性はこう語る。

「微信(『LINE』に相当するメッセージアプリ)のグループチャットでは不気味なぐらいに反日機運が高まった。特に地方出身者は相当熱くなっている」

ところが、現実の世界はそれとは正反対だった。

「実際、仲間と集まったが反日は話題にならなかった。ネット上であれだけ過熱しても、和食を食べたり、日本製品を買ったりしている」と男性は語る。

メディアは相変わらずの「抗日大特集」だが――

上海の街もいつもと変わらなかった。国家の慶事となれば街中に掲げられる国旗も、なぜか今年は目立たなかった。この時期売られていても不思議ではない国旗をモチーフにした商品もない。「反ファシスト闘争70周年記念グッズ」は、外国人向けのニセモノ専門店でわずかに数種類が売られていたのを目にした程度だ。

メディアは相変わらずの「抗日大特集」ただし論調は3年前より大幅に軟化

一方、テレビや新聞のメディアは「抗日特集」を頻繁に繰り返していた。中国中央テレビ(CCTV)は明けても暮れても「戦後70年」を大々的に特集し、人民日報傘下の「環球時報」も数日間にわたり「抗日戦争」を集中的に掲げた。

だが、ここにも「トーンの変化」が生じていた。「環球時報」といえば、共産党機関紙・人民日報をバックボーンに据える全国紙で、日本人が理解するところの“右傾化メディア”である。これまで国民に「反日」を刷り込む急先鋒として、扇動的な役割を果たしてきたその「環球時報」が、対日批判を和らげたのである。

3年前の2012年9月の記事と比較してみよう。尖閣諸島をめぐって日中関係の悪化が最高峰に達したあのとき、同紙社説はこう述べていた。

「我々は決心を固め、実力でこの日中間の領土問題を最終的に解決する。平和的解決は中国の最高の目標だが、このようなやり方は摩擦をもたらすだけであり、中国は十分な準備を進める必要がある。全面対決に至る可能性があるが、自信を持って不退転の決意でやりとおすのだ」

当時、社説は平和的解決を否定し、短期間のうちに国民の愛国心を焚きつけ、日本との全面対決を国民に覚悟させることに成功した。同時にそれはジリジリと日本の立場を追い詰めて行くものでもあった。

また、連日の社説は、政治、外交、経済、軍事の全方位から対日制裁を強調し、“敵国日本”を際立たせ、日本という悪者を退治することで世界の覇者に君臨しようという論法を展開させた。

当時、経済成長率は2011年の9.3%から2012年は7.76%に鈍化したとはいえ、中国では「下振れは一時的」との見方がまだまだ強く、“過剰な自信”が支配的だった。そこには明らかに「大国に成長した中国は、もはや日本から得るものはない」という驕りも垣間見えた。

ところが、今年9月4日の社説は習近平国家主席の重要演説に倣い、「平和」を強調するようなものにガラリと変化する。

一連の事態から読み取れる“中国の強気”の後退

「中国は敵を作らず、対外平和を求める国家である。習近平が『中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張はしない』と強調したが、これは外交辞令などではなく、中国人の対外(外交)の知恵である」

「中国の国際民主への渇望とは覇権を強奪するものではない、また中国人も自国が新たな帝国になることを望んでいない」

中国政府は事前から軍事パレードの目的を「平和維持」だと繰り返したが、好戦的な中国が平和を連発するその変貌ぶりは、むしろ違和感さえ覚えさせるものでもあった。

国際社会での孤立を怖れた?“中国の強気”の後退

一方、同社説は日米牽制も忘れていなかったが、その一文は次のようなものだった。

「米日が中国に圧力をかけ利益の最大化を実現させている、これは打ち破るべき虚偽である。平和と安定は事実に基づいて真実を求めるものでなければならない」

中国語による2700字の原稿中、わずか79字にとどまるものである。

上海市民もその変化を敏感に感じ取っていた。民間企業に勤務する会社員の女性は「軍事パレード開催時に行われた習近平国家主席の重要演説からは、日本への恨みや憎しみが薄れたことを感じさせる。メディアも民衆に対し扇動的な記事を書かなくなった」と話す。

確かに重要演説は「抗日戦争」というキーワードがちりばめられていたものの、現在の日本を名指しで批判する箇所はない。

中国政府は、9月3日に北京で開催される記念式典について「現在の日本や日本人に向けられたものではない」と繰り返していたが、軍事パレードそのものは、むしろ習近平が政権基盤を固めるための国民向け政治ショーだったということだ。

そこから読み取れるのは“中国の強気”の後退である。日中関係を注視する中国人識者は次のように語っている。

「天津の爆発事故など国内問題は山積みだ。軍事パレードには“朋友”のはずの欧州首脳陣が欠席したが、このままでは国際社会での孤立は免れない。株価暴落や日本企業の中国離れなど、経済成長の鈍化とともに中国が失う求心力、こうした複数の要素が指導部を変化させた可能性は十分にある」

日本人の想像を上回る「一大日本ブーム」到来

戦後70年の節目に行われた「安倍談話」について中国が大きな反応を示さなかったのも、こうした事情によるものだろう。

対日感情がガラリと変化  市民は「反日」に飽きつつある?

一方で、軍事パレードと前後してデマも飛んだ。「安倍首相が辞任した」というニュースがスマートフォンに着信したり、習近平国家主席の画像に「私は国民に3日間の休日を与えたが、これは訪日旅行に行かせるものではない」など偽のテロップをつけた悪戯も出回った。

この仮想空間での悪戯に相反して、日本はこの連休も中国人観光客でにぎわった。銀座四丁目の化粧品専門店は「軍事パレードのさなかも商品は売れた。政治的な動きがあったとしても、もはや日本の商品への信頼を損なうものではない」と手ごたえをつかんだ。

確かに習近平の演説の核となったのは「抗日」だが、それが「反日」に転化することはなかった。上海でも「過去は忘れない」という声はあちこちで聞くことはあったが、「今の日本や日本人を恨む」というような反日的な発言はほとんど耳にしなかった。

こうした態度の軟化には、重要演説の影響があるだろうが、上海ではそれ以上に市民が「反日」に飽きてきた可能性がある。

もともと政治よりも経済、理屈よりも実利を志向する上海人である。反日を唱える以上に、むしろ訪日旅行を軸にした新たな日中関係に活路を見出したとさえいえるのだ。

その上海は、日本人の想像を上回る「一大日本ブーム」が訪れていた。今や日本は中国人が選ぶ三大観光目的地のひとつにまで格上げされ、日本は「行かなければ話題に取り残される」(上海市在住の50代主婦)ほどの人気スポットになった。

2014年、訪日中国人がもたらした消費は前年比2倍の約5600億円、今年はさらにそれを上回る勢いを示しているが、中国人の生活に日本製品が深く入り込んでいることに、もう疑問の余地はない。そして訪日旅行は今や富裕層から中間層に、さらには沿海部から内陸部にまですそ野を広げている。

滞在中、よく耳にしたのは「民衆は同じ」という意味の言葉だった。「戦争は民衆を犠牲にしたという点では、中国人も日本人もない」と述べる上海市民は少なくなかった。数年前、それこそ3年前の9月には、上海でさえこうした寛容さは皆無だった。

もちろん、中国にはまだまだ反日色が強い地域もある。だが、地域差が存在するにせよ、以前のように国民が一律に反日であるとは限らない。中国の国民感情はすでに「反日一色」ではなくなってきているのだ。

中国人にとって日本は永遠の敵であり続けることができるのだろうか――。そんなことを実感した「抗日戦勝記念日」であった。

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