「昔の経済」

画像の説明 「日本最古の貨幣は和同開珎で708年のこと」と教わったものですが、富本銭は西暦683年に鋳造が公式にはじまっていて、これが学会ではいちおう、現存する我が国最古の鋳造銭とされています。

そうなると、まるで富本銭以前には日本には貨幣がなかったかのようなのですが、実際にはもっと古い時代から、銅よりももっと価値のある銀が銭として使われていました。

これを「無文銀銭」といいます。
それが存在した証拠としては、現時点で全国17の遺跡から120枚、この無文銀銭が出土してます。

さらに『日本書紀』の顕宗天皇2(486)年には、「稲斛銀銭一文」という記述があります。
この時点で「文(もん)」という単位が使われていたことがわかります。

一文(いちもん)、二文(にもん)といった貨幣単位の呼称は、明治初期まで約1400年間、日本で使われていたわけです。

さらにいいますと、日本書紀の天武天皇12(683)年には、「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」とあります。

ここでいう「銅銭」というのは、「和同開珎」のことで「銀銭」は、おそらく富本銭のことを指しています。
つまり通貨が「実際に使われ、流通していた」ということです。

ちなみに銀銭といえば、古代のシュメール文明(約4千年前)では、銀銭が使われていて、通貨の単位は「ギン」と呼ばれていたのだそうです。

シュメール語と日本語の共通点を指摘する人は多いのですが、もしそうであるとすれば、日本本土でも同じ時代に銀貨が使われていたわけで、なんだか古代のロマンが広がります。

ところがこうなると不思議なことがあります。
お金、つまり通貨が現にあったにも関わらず、どうして日本では年貢、つまり税の支払いが米であり、あるいはまた江戸時代の武士の給料も「俸禄」と呼ばれるくらいで米で支払われていたのか、ということです。

繰り返しになりますが、すくなくとも日本には、7世紀の中頃には貨幣があったわけです。

江戸時代には、みなさまよくご存知の慶長小判など大判小判がザックザク、神田明神下では銭形平次が寛永通宝をピシリと投げていた(ほんとかどうかは知りませんが)なんてシーンが出てきているわけです。
実際に通貨が使われていたのです。

弥次喜多道中では、やじさん、きたさんが、旅の途中で行き倒れたときの用心に、着物の襟に小判を縫いこんで旅をしていました。

小判一枚で、いまの6万円相当です。
そのお金で、万一何かあったら、オイラの遺体の処分をしてくだせえよ、というわけです。

通貨は庶民の間でもちゃんと使われていたのです。
にもかかわらず、給料は米だった・・・「どうして?」という素朴な疑問です。

飛鳥、奈良、平安の昔も同じです。
鎌倉時代も、室町時代も同じです。
我が国では、ずっと一貫して、税はお米で支払われ、官庁の給料もすべてお米での支払いです。
剣術道場に納める月謝も、寺子屋の月謝も、支払いは多くの場合、米でした。
すべてが全部、貨幣で支払われるようになるのは、明治以降のことです。
どうしてでしょうか。

理由があるのです。
通貨は「貯め込める」けれど、米は「貯め込めない」からです。

富を社会資本と考えたとき、通貨なら一握りの大金持ちが独占して貯めこむことができますが、米は貯めこんだら腐ってしまうのです。

だから、どんどん世の中に還元していかなければなりません。
しかも、お米は食べればなくなってしまいますから、次々に生産していかなければならないのです。

そしてお米が経済の中心である場合、お米は人々が生産しなければならないものだけに、働くことや、つくること、共同することを大切にする社会が自然と熟成されていくのです。

もちろんコメ経済には弊害もあります。
お米は財布にはいらないし、支払いもたいへんです。
支払いのためには、一時的に保管しなければなりませんが、古くなれば痛んでしまうし、虫害も起きます。

これに対し、貨幣は便利です。
なんたってお財布に入ります。
いまどきは電子化までされていて、ネット上で、決済することもできます。

ところが、貨幣を経済の中心にすると、実は思わぬ弊害が生まれるのです。
何かというと、通貨は「貯めこむことができる」ということです。

ひとりが何十両、何百両と貯めこむことができる。
信じられないことに、いまでは、ひとりで兆単位の年収がある人までいるくらいです。

つまり、貨幣経済のもとでは、誰かが何兆円も貯めこむことができてしまうのです。

これは電子マネー経済になると実はもっと顕著になります。
そしてこのことは、富の偏在を生みます。
富が偏在すれば、一部の大金持ちは贅沢三昧の暮らしをし、大多数を占める民衆は、残りの富をめぐって貨幣を奪い合うことになります。

もっと貨幣を得ようとすることが社会活動の中心となるわけです。そしてこれは人々の欲望となり、その欲望と欲望が(富を得るために)常時衝突し、世の中が喧騒状態となります。
そしてその富を最も多く独占する者、つまりもっとも強欲で欲の深い者による富の独占が始まり、そうなるとますます富の偏在が進んでいきます。

中共でも、米国でも、南米でも、中東でも、いわゆるお金持ちは権力者であり、そこに多くの人がぶら下がり、誰もが富を得るために、騙し合い、奪い合い、叩き合う、そんな社会が育成されていきます。

人が一生を生きるには、1.5億円程度の費用がかかるといわれていますが、ひとりの人が数兆円の資産を持ったりもするわけです。

そして、何回人生を生きるのだ?と思うほど巨額のお金を持っていると、今度は、自分のお金を奪われるのではないかと神経過敏になり、カネを得るために人を殺し、カネを守るためにまた人を殺すようになります。
まさ守銭奴になるわけです。
言いかえれば、貨幣経済下における最高の人生の過ごし方は、守銭奴になること、お金の奴隷になること、になるわけです。

「金は天下のまわりもの」という言葉がありますが、実はこれは江戸時代の言葉です。
貨幣経済下では、カネは天下をまわりません。
どこかで吸い上げられ、奪い合って、誰かが独占していきます。

独占する者は、それを放出しませんから、人々の価値観が貨幣経済中心になると、カネは天下をまわらず、誰かの金庫に入って鍵をかけて保管され、そこに屈強なボディーガードが付くようになるわけです。

実は、古代の日本人には、そのことの良し悪しがはっきりと認識されていました。
だからこそ、コメ本位制が敷かれていました。
通貨は便利だから、日常用には使うけれど、経済の柱はあくまで「コメ」という体制を崩さなかったのです。

お米は重たいから、通貨とくらべたら、不便なものです。
それでもお米を経済、財政の中心に置いたのは、そこに意図があるからです。

銭は貯め込めるけれど、お米は貯め込めないからです。
お米は、貯めこんだら腐ります。
つまり、天下に流通させなければなりません。

天下人であろうが、そこいらのおっさんだろうが、一日に食べれる量は決まっています。
そして経済の中心が貨幣ではなく、お米なら、お米は貯めこんだら腐ってしまいますから、もしたくさんのお米を入手できたなら、それを世のため人のために還元していかなければなりません。

そういうことが普通に起きるのが、お米経済です。
つまり富が偏在しないのです。

ところが貨幣経済だと違います。

ひとりで何兆円も貯めこむ奴が出たかと思えば、明日の食い扶持さえない貧しい人がたくさんできてしまいます。
世界一の大金持ちというのは、実は世界一自分のカネが出て行くことにアレルギーを持った人達でもあります。

時代は進化しているといいますが、そういう点では、いまの日本よりも、昔の日本人の方がはるかに頭も良くて優れていたといえそうです。

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