シラス国と士農工商

画像の説明 「全ての民を、我が国最高権威である天皇の『おおみたから』とすることと、江戸時代の士農工商という身分制度の関係が理解できない」というご質問をいただきましたので、こちらでご回答したいと思います。

まず、「全ての民を、我が国最高権威である天皇の『おおみたから』とすること」を、古い言葉で「シラス」と言いました。

これは古事記の大国主神話に出てくる言葉で、古事記には建御雷神が大国主に言った言葉として、「汝之宇志波祁流 此葦原中國者 我御子之所知國」と書かれています。
「なんじのウシハクこの葦原中国(出雲国のこと)は、我が御子(みこ)のシラス国ぞ」と読みます。

「ウシハク」というのは、本居宣長によれば「ウシ」は主人のことで、「ハク」は穿く、これは大刀を腰に穿くという言い方をしますが、今風にいえば「私有する」という意味になります。

つまり「ウシハク」は、「領主が領土領民を私有する社会体制」ということになります。

けれども「ウシハク」社会では、領主のもとに全ての民が平等という、いわゆる「文鎮型」の体制にはなりません。
社会体制は統治のためにピラミッド構造を持ちます。
そして上に立つ者は、下の者を所有します。

ですから、たとえば家庭において妻は夫の所有物とされ、その夫は領主の所有物ですから、すべての妻は領主の所有物となります。ですから領主が領民の妻を、勝手に自分のものにしても、どこからも苦情は来ません。領主、つまり王(支那では皇帝)は、全ての支配者であり全ての所有者だからです。

朝鮮半島には、李氏朝鮮がありましたが、その李氏朝鮮は支那の柵封国です。つまり支那皇帝の配下です。
ですから李氏朝鮮王は、勝手に民衆から女性をさらって支那皇帝に献上しても、李氏朝鮮国内から苦情など来ませんし、支那皇帝が朝鮮からの献上女性を殺しても、どこからも苦情は来ません。それが、上下と支配の「ウシハク」体制です。

これに対し「シラス」は、すべての領土領民は、国内最高権威である天皇の「おおみたから」とされます。
「たから」とは、いちばんたいせつなもの、という意味です。
そして政治権力は、天皇のもとにあって、その「おおみたから」をたいせつに護り育むために存在します。

領主は、天皇によってその権力を与えられた人です。
その領主にとって領地領民は、天皇の「たから」であり、天皇からの預かりものです。ですから簡単にいえば、領民の妻を奪うことは、領民の妻ではなく、天皇の「たから」を奪うこととなりますから、これはできないことになります。

ただし、社会を営むためには、社会体制としての役割分担が必要になります。火災が起きたときを想像したらわかりますが、火を消す人、非難誘導する人、消火用水を運ぶ人など、それぞれ役割分担をすることで、効率的な消火活動ができます。そのためには、それぞれの役割を明確にするとともに、それらを統率するリーダーが必要になります。

このリーダーのことを、昔はリーダーなんていう言葉がありませんから、親方といいました。親方は、当然配下の部下を持ちますが、けれどもその部下たちは、親方の所有物ではありません。親方が面倒見ている部下たちは、親や天皇からの預かり物です。だから部下を我が子と考えました。この世に我が子ほど可愛くて大切な存在はありません。

これが大規模な工事になりますと、大勢の親方達が、それぞれ分業をして工事を行うことになります。すると親方の中の親方が必要です。さらにもっとおおきな、社会全体になりますと、親方たちの親方のさらに親方が必要になります。こうして社会は階層社会に似た構造ができあがります。
これを「身分」と言います。

昔の人達は、その「身分」を世襲しました。
そうすることで、より安定して優れた社会をつくろうとしました。世襲制を否定する人がいますが、オリンピック選手同士が結婚すると、やっぱり身体能力の優れた子ができます。能力でも同じです。人の上に立つ人の子というのは、自然とその能力が備わります。それが何代にもなると、やはり違いができてます。「血は争えない」といいますが、やはり血統というのは世の中に存在します。

以前、上杉謙信の直系のご子孫という方と職場でご一緒したことがありますが、どうということはない、普通の人だし、決して特別頭が良いわけでも喧嘩が強いわけでもないのだけれど、どういうわけか、いつもみんなが彼のもとに群がりました。
優れた人望も、遺伝するのかもしれません。ある程度は躾でなんとかなりますが、いくら躾けても、ダメな子はダメです。

ですから、言葉は悪いですが、品種を固定することで、より優れた社会のリーダーを社会全体で育てる。そのために行われたのが世襲制です。

ただし「世襲よりシラスが重要視」されてきました。
大昔から、社会的身分の上下に関係なく、教育の機会は誰にでも均等にあったし、身分が低くても優秀な人は、奈良平安の昔でも、武家社会でも、どんどん朝廷にも武家にも取り立てられました。

農家や商人の出身者で、学者や家老や剣術師範になった人はたくさんいます。身分の低い出の優秀な人が家老となり、殿様の子と娘や息子が結婚して、できた子供が次のお殿様となったというケースも、多々あります。

一方、たとえ高貴な身分の人の子であっても、ダメな者は放逐されました。身分の世襲より、統治の安定を大事にしたからです。百人一首にある凡河内躬恒(おおしこうしのみつね)は、

心あてに折らばや折らむ初霜の
おきまどはせる白菊の花

と歌を詠んでいます。
多くの解説書がこの歌を「初霜と白菊が見分けがつかないことを詠んだ歌だ」と解説していますが、普通の視力をしていれば、菊と雪の区別くらいつきます。
全然違うのです。たとえ身分の高い者であっても、能なしならば首にして宮中を追い出せと言っているのです。

また戦国時代、織豊時代、江戸時代においても、主君押込(しゅくんおしこめ)といって、能力不足なら殿様であっても、座敷牢に幽閉されています。上杉鷹山は、とびきり優秀なお殿様として知られますが、彼も主君押込されています。

江戸時代は士農工商の身分制度が置かれたといわれています。
けれど我が国においては、士農工商の四民すべてが天皇の「おおみたから」です。

ですから士農工商は「身分制度」というより、もともと「老若男女」と同じで一般的な所属カテゴリーを指す言葉です。
もちろん武士と町人は服装も違いますが、いまだって制服警官と普通のサラリーマンでは服装が違います。

職業は家の保持のため原則固定ですが、運用は緩やかです。
武家は長男が跡を継ぎます。すると次男以下は家を追い出されます。もちろん他所の家に養子に入ったり、能力があれば剣術や学問道場の師範として食べていくことができますが、多くは普通の子です。そういう子は、たいていその武家の知行地内の農家で土地を借り、農家の小作人となっています。

そもそも武家という存在自体が、新田の開墾百姓なのです。
いうなれば、新田の開墾百姓たちの自治制度が、武家社会であり、士農工商の身分制度であったわけで、これをウシハク国の固定した身分制と同一視することは、根本的に間違っています。

そもそも富の順番は、商工農士の順です。

どんな会社でも、組織でも、社会において何かを共同してなそうとすれば、そこに組織は必要です。ただし、それを「上下と支配のウシハク体制」にするか、それとも「みんなが共同するためのシラス自治体制」にするかは、その国の社会の選択です。そして間違いなく後者を選択してきたのが、日本なのです。

このように書くと、いままで習ってきたこととあまりに違うので、驚かれる方もおいでかもしれません。ならば、ご自分でお調べになることです。
詳しく知れば知るほど、日本がシラス国であったことがわかります。

コメント


認証コード8987

コメントは管理者の承認後に表示されます。