監督は元伝説営業マン

画像の説明 青学大V「ちゃらいは褒め言葉」 

第91回箱根駅伝で3日、驚異的なタイムで初の総合優勝を飾った青山学院大は、選手たちの楽しそうな笑顔が印象的だった。9区を走った主将の藤川拓也選手(広島・世羅高)は、「みんなが自主性を持って明るく取り組む。このチームなら強くなれると思っていた」と青学大で走った4年間を振り返った。

箱根駅伝、青学大が総合優勝 20回目の出場で初
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サザンオールスターズの桑田佳祐さんの出身校で、東京都渋谷区にキャンパスがある青学大には、おしゃれなイメージが強い。「青学はちゃらい」とよく周囲に言われてきたという原晋(はらすすむ)監督(47)は、「最高の褒め言葉です」と胸を張る。「宝塚音楽学校と同じ。見えないところでは泥臭く努力しても、表舞台では華やかにしていたい」。大会前の記者会見で発表したテーマは、見る人を驚かせ楽しませたいという思いを込めて、「ワクワク大作戦」。異彩を放っていた。

練習の拠点は、渋谷区ではなく神奈川県の相模原キャンパス。原監督は近くの寮で妻と暮らし、選手と一緒に午後10時に消灯、午前5時起床の毎日だ。

2004年に監督に就任した頃、選手の生活は乱れていた。「急性アルコール中毒で選手が運ばれ、夜中に病院に呼ばれたこともある」。箱根駅伝への出場も1976年を最後に遠ざかっていた。

立て直しに役立ったのは、陸上を離れて仕事をした10年間のサラリーマン生活の経験という。「自分で言うのも何だけど、伝説の営業マンだった。箱根駅伝もビジネスも一緒です」

広島・世羅高で主将として全国高校駅伝で準優勝。中京大から中国電力に進み、1年目に故障して5年で選手生活を終えた。同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の営業所。「一番下に回されたお陰で仕事を覚えることができた」。企画、広報、営業と何でもこなした。社内公募に手をあげ、出向して5人で始めた子会社を3年間で100人規模に育てた。

駅伝強化に乗り出した青学大から嘱託職員として監督就任を打診された時、「中途半端では学生に見透かされる」と、退社して退路を断った。「あなたにできるわけがない」と妻にも反対されたが、母親の「日本一になりなさい」の言葉に奮起。大学の理事長には「10年で優勝争いします」と宣言。選手のやる気を引き出すことに腐心し、専用グラウンドもない中で始めた頂点への挑戦は11年目で結実した。

寮の壁には、選手のリポートが何重にも張られている。毎月の目標と反省を書いて重ねる。サラリーマン時代と同じ手法だ。

「こんなアットホームな部はない。明るいカラーで勝ちたい」がモットーの原監督は、東京・大手町で選手たちに胴上げされて、目を潤ませた。往路5区の山登りで快走して優勝の原動力になった神野(かみの)大地選手(3年、愛知・中京大中京高)は「夢なんじゃないか」と、うれしそうに話した。

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