風俗嬢にもなれない「最貧困女子」問題の解決法とは?

画像の説明 「プア充」たちの実態

「貧困」を私なりに定義すると、次のようになる。

ひとは人的資本、金融資本、社会資本から“富”を得ている。人的資本は働いてお金を稼ぐ能力、金融資本は(不動産を含めた)財産、社会資本は家族や友だちのネットワークだ。この3つの資本の合計が一定値を超えていれば、ひとは自分を「貧困」とは意識しない。

その典型が『最貧困女子』のなかで「プア充」と紹介されている地方の若者たちだ。彼らの年収は100万~150万円で貧困ラインを大きく下回るが、日々の生活は充実している。

本書に出てくる28歳の女性は、故障寸前の軽自動車でロードサイドの大型店を回り、新品同様の中古ブランド服を買い、モールやホムセン(ホームセンター)のフードコートで友だちとお茶し、100円ショップの惣菜で「ワンコイン(100円)飯」をつくる。肉が食べたくなれば公園でBBQ(バーベキュー)セットを借り、肉屋で働いている高校の友人にカルビ2キロを用意してもらい、イツメン(いつものメンバー)で1人頭1000円のBBQパーティをするのだという。

家賃は月額3万円のワンルーム(トイレはウォシュレットでキッチンはIH)、食費は月1万5000円程度だから、月収10万円程度のアルバイト生活でもなんとか暮らしていける。負担が重いのはガソリン代だが、休みの日はみんなでショッピングモールの駐車場に集まり、1台に乗ってガソリン代割り勘で行きたいところを回る。宮藤官九郎の「木更津キャッツアイ」で描かれた世界そのままで、彼ら彼女たちの生活は友だち同士の支えあいによって成立している。

誰もが同じような経済状況で貧富の格差がほとんどないから、「生活がキツい」と感じることはあっても自分が「貧しい」とは思わない。不幸や貧困は相対的なものだから、客観的な基準ではプアでも主観的には充実しているひとたちがいることは不思議でもなんでもない。

ちなみに彼らは将来についても現実的で、「さっさと彼氏と共稼ぎになったほうが生活も人生も充実」するから早婚が当然で、「(この辺では)女は30代になっても賃金上がらないし、むしろ年食うほどマトモな仕事がなくなる」から、金はなくても体力がある20代で第一子を産んで、30歳になるまでに「気合で」子どもを小学校に上げるのだという。

乏しい資本を社会資本(人的ネットワーク)で補うのは、東南アジアなど貧しい国ではごく当たり前のことだ。そこに日本的な特徴があるとすれば、フィリピンなどでは家族のつながり(血縁)が大切にされるのに対し、地方のマイルドヤンキーたちは「友だち」を社会資本にしていることだろう。

日本における「友だち」とは、たまたま同じクラスになったという偶然から生まれる人間関係のことだ。そこには厳密なルールがあり、同じ学校でも学年がちがえば「友だち」にはならないし(先輩、後輩と呼ばれる)、中学の「友だち」と高校の「友だち」は混じりあわない。同級生からなる5~6人の「イツメン」を強固な核とし、同い年の仲間が30人くらいいて、先輩や後輩を合わせれば100人程度の集団を形成するのが地方の若者たちの友だちネットワークだ。

プア充は地元愛にあふれ友だちを大切にするが、彼らが人的資本や金融資本をほとんど持たず、「資本」が人的ネットワーク(社会資本)に大きく偏っていることを考えればこれは当然のことだ。

若い女性と貧困

バイトや非正規で貯金がなくても、分厚い社会資本を持っていればけっこう充実した人生が送れる。これは素晴らしいことだが、ここで問題になるのは、誰もが「友だちの輪」に入れるわけではないことだ。

友だちグループというのは、「俺らに合う」奴を仲間とし、「ウザい」奴を排除することで成立する集団だ。これはあらゆる共同体(コミュニティ)に共通する法則で、参加資格に(しばしば暗黙の)高いハードルがあるからこそ内部の結束は高まるのだ。

しかし先に述べたように、「友だち」はきわめて特殊な人間関係だ。身近に自分の親友になり得る相手がいたとしても、学校や学年がちがえば「友だち」にはなれない。これほど条件が厳しければ、どの友だちグループにも所属できない層が一定数生まれるのは必然だ。

いったん友だちネットワークから排除されてしまうと、地元にいても面白くない。こうして学校を卒業すると(あるいは中退して)東京や大阪などの大都市を目指すのだが、そのときじゅうぶんな人的資本か金融資本を持っていないと、(社会資本は地元に捨ててきたのだから)すべてをかき集めてもほとんど「資本」を持たない状態になってしまう。これが「貧困」だ。

これまで経済大国・日本では、若い女性は貧困とは無縁だと考えられてきた。「若い」というだけで社会的価値があり、それを利用して金銭を獲得できるからだ。いわゆる「水商売」や「風俗」のことだが、中村敦彦氏は『日本の風俗嬢』で、2000年あたりを境に風俗の世界に大きな地殻変動が起きたという。

ひとつは少子高齢化と価値観の多様化(草食化)によって風俗の市場が縮小したこと、もうひとつは女性の側に「身体を売る」ことへの抵抗がなくなって風俗嬢志望者が激増したこと。需要が減って供給が増えたのだから、当然、価格は下落する。これが「セックスのデフレ化」で、かつては月100万円稼ぐ風俗嬢は珍しくなかったが、いまでは指名が殺到する一部の風俗嬢の話でしかなく、地方の風俗店では週4日出勤しても月額20万円程度と、コンビニや居酒屋の店員、介護職員などとほとんど変わらないという。

貧困線上にある若い女性にとってさらに深刻なのは、景気の悪化によって風俗業界が新規採用を抑制するようになったことだ。そのため現在では、10人の求人のうち採用されるのはせいぜい3~4人という状況になっている。日本社会は(おそらく)人類史上はじめて、若い女性が身体を売りたくても売れない時代を迎えたのだ。

このようにして、金融資本と社会資本をほとんど持たずに地方から都会にやってきた若い女性のなかに、唯一の人的資本であるセックスすらマネタイズできない層が現われた。彼女たちは最底辺の風俗業者にすら相手にされないので、インターネットなどを使って自力で相手を探すか、路上に立つしかない。それでもじゅうぶんな稼ぎにはほど遠く、家賃滞納でアパートを追い出され、ネットカフェで寝泊りするようになる――すなわち「最貧困女子」の誕生だ。

風俗業界に介護関係者が多い理由
女子大生の3人に1人が風俗嬢!?

最貧困女子を生み出す要因となったのが風俗嬢の大量供給だが、中村氏は『日本の風俗嬢』で驚くような例を挙げている。

慶応義塾大学を卒業後、某一部上場企業で働いている女性は、大学2年のときに吉原のソープランドに入店して4年生の春まで働いた。そのほかにも福原のソープランドで働く神戸大学法学部3年生や、千葉市内のデリバリーヘルスに勤務する千葉大学大学院修士課程に在学中の女性などが次々と出てくる。

彼女たちに共通するのは地方出身で実家が貧しいことで、最初は家庭教師や塾の講師などで生活費を賄おうとするが、それでは学業と両立できないことを悟って、より短時間で高収入が得られる風俗に“転職”する。いまや地方出身の女子大生にとって風俗は主要な収入源で、「男性に売れるレベルの容姿、体型、素人っぽさを持っている地方出身の一人暮らし」で「仕送りが平均より少ない」という条件に限定すれば、女子大生の3人に1人が風俗の仕事をしていても不思議はないと中村氏はいう。

風俗の仕事が若い女性たちに認知されたのは、獲得した顧客に応じて収入が増える実力主義・成果報酬の給与体系で、出退勤や労働時間、休日を自由に決められる完全フレックスタイムだからだ。これはグローバルスタンダードにおける最先端の働き方で、サービス残業で会社に滅私奉公するのが当たり前という日本的労働慣行に適応できない若いひとたちにはきわめて魅力的なのだ。
『日本の風俗嬢』でもうひとつ驚いたのは、風俗嬢たちがきわめて堅実な将来設計を持っていることだ。

東京新大久保のファッションヘルスに勤める33歳の女性は介護福祉士の資格を持ち、あと2年実務経験を積めばケアマネ(介護支援専門員)の受験資格ももらえるという。育児休業中の時間がもったいないのでAVデビューするという35歳の女性は介護老人保健施設の現場主任をしていた。また大坂難波のSMクラブでは、9人の女王様のうち3人は介護の仕事をしていた。彼女たちはみんな、年齢的に“性”を売ることができなくなったら介護の仕事に戻ることを考えている。

風俗業界に介護関係者が多いのは、介護業界の賃金が低くてそれだけでは食べていけないということもあるが、仕事の性質がよく似ているからでもある。彼女たちからすれば、介護において高齢者に提供していたサービスを男性一般に拡張すると風俗になるのだ。

かつては身体を売ることが女性にとっての最後のセイフティネットとされていたが、今では風俗で働けなくなった女性のセイフティネットが介護業界になっている。

指名トップの風俗嬢は一流企業でも通用する

風俗が若い女性にとってごく当たり前の職業選択のひとつになったことで、“職業人”として求められる要求も厳しくなってきた。かつて風俗の世界は社会の常識に適応できないひとたちが生きる場所だったが、いまでは「時間に遅れる」「約束を守らない」「自己管理できない」など社会性が欠落した女性はまっさきに解雇されてしまう。

指名を獲得するには技術だけでなくコミュニケーション能力も大事で、どんな男性とも対等に話ができるために、社会問題、政治経済、法律、国際問題から映画、テレビ、スポーツ、アニメ、お笑いまで多様な知識を持つ必要がある。風俗嬢として成功するには社会人と同等かそれ以上のプロ意識を要求され、人気の風俗店で指名トップを争うような女の子は美人でコミュ力が高く頭もいいから、能力的には一流企業でも通用するのだという。

風俗嬢はいまでも世間の偏見に晒されているが、その一方でAVプロダクションには応募が殺到し、自分の名前で作品を出せる単体AV女優はグラビアアイドルやレースクイーンなどよりはるかに狭き門で、(一部の)女性たちの憧れの職業だ。風俗店でもライバルたちとの競争に勝って指名を獲得するのは高いモチベーションになっていて、収入だけでなく自己実現や承認欲求も満たされてしまうのだ。

こうした現状を知れば、もっとも現実的な対応はオランダやスイス、ドイツなどヨーロッパの国々と同様に売春を合法化することだろう。労働基準法でセックスワーカーの権利を保護し、年金や健康保険など社会保険制度への加入を促し、業者を法の管理下に置くことで暴力団の関与を絶って適正な納税を行なわせれば、(顧客を含む)関係者全員に多大な利益をもたらすはずだ。

だが売春を合法化したところで、風俗業界に入ることのできない「最貧困女子」の問題は解決できない。

「3つの障害」が最貧困を引き起こしている

なぜ彼女たちは「最貧困」の世界に落ちてしまうのか。鈴木大介氏は多くの最貧困女子を取材したなかで、そこには「3つの障害」があるという――精神障害、発達障害、知的障害だ。これは現代社会の最大のタブーのひとつで、それを真正面から指摘したことが『最貧困女子』が高く評価されるべきいちばんの理由だろう。

最貧困女子は社会資本を失っているが、その理由は(不幸な生い立ちなどがあるとしても)「3つの障害」によってつき合うのが面倒くさいからだ。これが地元の友だちネットワークから彼女たちが排除される原因になっている。

同様に福祉事務所のひとたちも、社会人・家庭人・公務員として、「3つの障害」を持つ相談者に公的サービスを提供することは面倒くさい。その結果、家出少女を保護しても家庭に連絡するか地元の施設に引き渡すという画一的な対応をとることになり、当の家出少女が公的サービスを忌避することにつながっている。

だったらどうすればいいのか。

これは社会全体で受け止めなければならない重い問いだ。たんに「日本の福祉はけしからん」といっていれば済む話ではない。

『最貧困女子』問題を解決するために

原則論からいえば、リベラルな社会の基礎にあるのが「機会の平等」であることに誰も異論はないだろう。「結果の平等」については議論があるとしても、リベラリストであれば、すべての市民が対等な条件で社会に参加することの重要性には同意するはずだ。だが現実には、「3つの障害」によって社会(家族や友だちのネットワーク)から排除されてしまったひとたちがいる。

この問題をすぐに解決できる特効薬はないとしても、『最貧困女子』を読んで2つほど思いついたことがあるので最後にそれを記しておきたい。

ひとつは、最貧困女子が乗り越えなければならない最大のハードルが住居であること。日本では家を借りる際に保証人を要求されるが、社会資本を失った彼女たちにはこの要件をクリアすることができない。子どもを抱えたシングルマザーの場合、住み込みの仕事が最適だろうが、そのような募集はたとえあったとしてもきわめて競争率が高く応募してもすべて落とされるのだという。

なぜこのようなことが起きるかというと、雇用者にとって住み込みは住居費などの追加負担がかかるため労働コストがきわめて高いからだ。こうした状況を改善するには住み込みの仕事に補助金を出すことも考えられるが、経済学的に正しい処方箋は最低賃金を撤廃するか、住居費などの福利厚生を最低賃金に組み入れることを認めることだろう。

限界状況に置かれたシングルマザーにとっては、自分と子どもが安心して暮らすことのできる住宅がもっとも重要なはずだ。住居費などを最低賃金から差し引くことは研修制度など一部で認められているだけだが、人口減で日本じゅうに空き家が余っているのだから、会社がそれを一括で借り上げて従業員を住まわせることが経済合理的になるような制度にすれば、最貧困女子のホームレス化はかなり防げるのではないだろうか。

もうひとつは、公務員に過大な期待をしないこと。誰だって面倒なことには巻き込まれたくないし、彼らはそのための特別な訓練を受けているわけでもない。

だが世の中には、面倒なひとたちとかかわってなんらかの援助をしたいと考える奇特なひともいる(ここで紹介した著者たちもそのなかに入るだろう)。だとしたら福祉を公務員に任せるのではなく、民営化によってより多くの奇特なひとたちが市場に参入できるようにすればいい。

私は10年ほど前にニューヨーク市の福祉制度を見学したことがあるが、そこではホームレスへのサービスがNPO団体などにアウトソースされていた。福祉はボランティアではなくビジネスで、参入希望者は企画書を市に提出し、それが認められて予算が下りると廃ビルなどを改築してホームレスシェルターなどを開業する。その成果は毎年点検され、利用者の満足度が低い施設は予算を削られたり、廃業を迫られたりする。

福祉を民営化すれば、奇特なひとがビジネスとして、社会から排除された面倒なひとにさまざまなサービスを提供できる。日本では生活保護制度を悪用した貧困ビジネスが問題になったが、ニューヨーク市のように競争原理を導入すれば悪質な業者は淘汰されていく(インターネットを活用して業者の評判を可視化してもいいだろう)。

鈴木氏や中村氏が指摘するように、現状のままではすべての資本を失った「最貧困女子」は救われようがない。タブーを廃した率直な議論がいま望まれているのだ。

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