アジア大会から失踪した４選手

　彼らはなぜ消えたのか

韓国・仁川（インチョン）で開催中のアジア大会で、ネパールとパレスチナから来た男性選手４人が行方不明になった。過去の五輪や国際スポーツ大会でも、選手たちの失踪騒動はたびたび起きている。それぞれの事情を抱え、選手村をしのび出る彼らは、どこに向かうのか。

ひっそりと人気（ひとけ）もまばらな９月２４日午前２時２７分。仁川市庁舎にほど近い、高層アパート群からなる選手村のゲートを、黒いスーツを着た１人の男性がリュックを背負って通り抜けた。ネパール代表でセパタクローのアマン・ポデ選手（１７）がチームを離脱した瞬間だ。監視カメラが捉えた様子を、地元警察が取材に対して説明した。

ネパールは武術の２人も２５日未明に無断外出し、連絡が取れなくなった。ニラジャン・アレマガール（２６）、ソンビア・タマング（２７）の両選手。アレマガールは長拳で最下位の１１位。タマングは散打で初戦敗退。警察当局は７人態勢で逃亡を手助けしたとみられるブローカーを中心に捜査を進めるが、３人の所在はまだ確認されていない。

韓国には約２万８千人のネパール人が住み、コミュニティーが点在する。買い物客が行き交うソウル・東大門（トンデムン）。大通りの路地裏に、通称「ネパール通り」がある。料理店や旅行代理店が集まる小さな集落は、ファッションの中心地として栄える繁華街の喧騒（けんそう）がうそのようにひっそりしていた。

通りで、サッカーワールドカップ日韓大会が開催された２００２年からレストラン「エベレスト」を経営するハルコマン・グルンさん（３８）は「先進国での大会ではこういう事件が度々起こる」と顔をしかめた。

今大会のネパール選手団長と親交が深いグルンさんは、最大の要因は「金」だと指摘する。母国語しか話せない選手が選ぶ仕事は主に工場での労働。「韓国では１カ月で百数十万ウォン（十数万円）稼げる。ネパールの１０倍以上」。主要産業が農業で１人当たりの国内総生産が約７０３ドルのネパールに対して、韓国は２万３８３７ドル。３４倍の開きがある。

ネパール政府は財政難でスポーツ選手への支援は薄く、「活躍の場がなくなった選手の生活は厳しくなる一方だ。選手としての未来がない、と考える人が失踪することが多い」と話す。

頻発する失踪を防ごうと、ネパール選手団は仁川への出発前、「必ず帰国する」という家族への誓約書を選手たちに書かせたという。それでも３人はパスポートを監督らに預けたまま、大会組織委員会が発行する顔写真つきの資格認定証（ＡＤカード）を持って消えた。カードはビザの役割も果たすため、大会開幕から１カ月後の１０月１９日まで不法滞在にならない。

組織委の一人は「違法になる前に姿を現すはず」と楽観するが、グルンさんの見方は違う。「断定は出来ないが、彼らは国に帰るつもりがないから逃げたのだろう」。大会を取材するネパール人記者は、「逃亡は過去に何度もあったし、これからもあるだろう。２０２０年東京五輪でもね」。

また組織委は２９日、パレスチナ代表の重量挙げ選手（２１）が、帰国するはずの仁川空港で行方不明になったことを明らかにした。

お金以外の切実な問題で消えた選手もいる。

２００３年、韓国の大邱（テグ）で開かれた大学生世代の世界大会、ユニバーシアード。アフリカの小国ブルンジから陸上の男子長距離に出場したボジンゴ・ドナティエンさん（当時２６）は、閉会式を終え、空港へ向かう途中でブルンジ選手団から離れ、誰にも何も告げずに姿を消した。韓国に入国する前から、その「覚悟」はできていた。

４年前に韓国籍を取得したというその男性に、仁川から南東へ３００キロ離れた昌原（チャンウォン）市で会った。

待ち合わせ場所は、韓国の大手自動車メーカーの部品工場。彼は製品管理部の正社員だった。住み着いた街の名前から、金昌原（キムチャンウォン）と名乗った男性は重い口調ながらも、しっかりとした韓国語で言った。「私は逃げてない。大会が終わるまで役割を全うした。帰国しなかったのは、身を守るためだった」

当時、母国は内戦の渦中で両親も失った。言葉も通じない韓国で１人、向かった先はソウルにある国連の出先機関。難民申請を提出し亡命する道を選んだ。大会のＡＤカードは失効前だったから、合法だった。

「いなくなったネパール人らにどんな事情があるか知らないが、人それぞれ境遇は違う。私とは一緒に見ないでほしい」と金昌原さんは言った。

昼は働き、夜は大学に通いながら、人生の支えになったのはマラソンだったという。韓国のマラソン大会で表彰台の常連で、２時間１８分３９秒の自己ベストタイムを持つ。

「今の会社にもマラソン仲間の紹介で入社できた。そして２カ月前、結婚もしまして」。韓国で出会ったブルンジ女性と新たな道を歩み始めたことを話してくれたとき、初めて白い歯がのぞいた。

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