日本の国宝を守る

画像の説明 「伝説の英国人アナリスト」が提言 

「観光立国を実現すれば
雇用が生み出され経済成長ができる」

1990年代、日本の銀行が抱える不良債権額が20兆円にも上るとするレポートを書き、銀行業界に大論争を巻き起こしたデービッド・アトキンソン氏。ほどなくして彼の主張の正しさが明らかとなり、伝説の金融アナリストとして一躍有名になった。そのアトキンソン氏は今、「小西美術工藝社」の社長として、国宝や重要文化財の補修に情熱を傾ける日々を送っている。冷静なアナリストの眼には、日本の「観光立国」の現状は、どう映っているのだろうか?

永田町で注目を集める“提言”
「文化財保護予算を増やせば景気回復に寄与する」

各社の世論調査で「アベノミクスの効果が実感できない」という声が8割を超え、「第三の矢」である成長戦略にも懐疑的な声がでているなか、永田町である“提言”が注目を集めている。

文化財保護予算を増やすことによって、「雇用400万人、GDP8パーセント成長」が実現できる――。この成長シナリオを提唱するのは先月発売された「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」(講談社+α新書)の著書、デービット・アトキンソン氏だ。

デービッド・アトキンソン

小西美術工藝社代表取締役社長。元ゴールドマン・サックスアナリスト。裏千家茶名「宗真」拝受。1965年英国生まれ。オックスフォード大学にて日本学専攻。アンダーセン・コンサルティング、ソロモン・ブラザーズを経て、1992年にゴールドマン・サックス入社。日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。98年に同社マネージングディレクター、06年同社パートナーを経て07年退社。09年に小西美術工藝社に入社し、11年から同社会長兼社長に就任。

かつてゴールドマンサックスやソロモンブラザーズの銀行アナリストとして活動し、日本の金融行政に大きな影響を与えるレポートを発信してきたアトキンソン氏は、日本の観光産業を以下のように分析する。

「最近、多くの外国人観光客が日本を訪れているというような報道をよく見ますが、日本の観光産業は国際的にみると驚くほど遅れている。私の試算では、これを世界の平均並みに引き上げるだけでGDPを38兆円押し上げる効果がある。そのカギのひとつが、重要な観光資源である文化財です。残念ながら、日本は貴重な文化財をほとんど活用できていません」

思わず言葉に力が入るのは、彼がその惨状を目の当たりにしているからだ。実はアトキンソン氏、アナリストを引退後、趣味の茶道に没頭するなど気ままなリタイアメント生活を送っていたのだが、ひょんなことから全国の国宝や重要文化財の補修をおこなう「小西美術工藝社」の経営を任せられることになる。

持ち前の分析力で問題を洗い出し、職人の正社員化などを進めて300年以上の歴史をもつ老舗企業をみるみる生まれ変わらせていく一方で、我々一般の日本人でもよく知らない「文化財の世界」に足を踏み入れ、古いしきたりや、業界のルールなどに戸惑いながらやがて見えてきたのが、全国に点在する文化財の多くが「宝の持ち腐れ」となっている現状だった。

本当に外国人は京都に満足しているのか?

京都は本当に外国人を満足させているか?
「宝の持ち腐れ」に気づいていない日本人

それを最も象徴するのが京都だという。

言わずもがなの日本を代表する観光都市で、日本文化を楽しみたいという外国人観光客も多く訪れているイメージがある京都は、日銀京都支店の試算では年間195万人もの外国人観光客が訪れており、今年は過去最多となった。十分に「文化財」という強みを活用しているように感じるが、デービッド氏によればそれは大いなる勘違いだというのだ。

「京都には国宝が40件、重要文化財は207件あります。このような観光資源の量と質を考えれば200万人というのは驚くほど少ない。大英博物館は年間420万人の外国人が訪れている。街全体にこれほどの文化財を有する京都の集客能力を、まったく生かし切れていない」

それは外国人観光客の落とすお金を見ても明らかだ、とアトキンソン氏は指摘する。海外の様々なデータを見ると、文化財に興味を持つ外国人観光客は1日10万円前後の消費をおこなうというデータがあるが、京都では外国人観光客1人当りの消費額は1万3000円前後しかない。

「京都を訪れている外国人は台湾、米国、中国が多いのですが、実は観光客の1人あたりの支出ランキングを見ると、オーストラリア、ドイツ、カナダ、英国、フランス、イタリア、ロシアという国が並びます。これらのなかには文化財に関心が高い国が多い。つまり、京都は文化財に関心があって多くの消費をする外国人が来ていないのです」

つまり、厳しい言い方をすると、文化財などをゆったりとまわり、贅沢な海外旅行を好む良質な外国人から、京都はそっぽを向かれてしまっている部分もあるのだ。

なぜ魅力を感じないのか。アトキンソン氏はこの最大の原因は文化財が「冷凍保存のハコモノ」になっているからではないかと分析している。自身も京都の町家を購入し、完璧に復元するなど京都の住人であるアトキンソン氏は、自宅から歩いてすぐという二条城を例に出して、この言葉の意味するところを説明する。

予算不足で外国人向けの案内が不十分

予算不足でガイドも案内板もなし
文化財の補修も不十分な日本

「ご存じのように、二条城は徳川慶喜が大政奉還を諸大名に伝えた大広間があり、日本の歴史を語るうえでも非常に重要な観光スポットですが、外国人観光客の多くはそのような歴史ドラマがあったことさえ知らないので、将軍や大名などの人形が置かれた部屋をとりあえずカメラで記念撮影して足早に去っていきます。文化財を楽しんでもらおうというサービス精神がまるでない。これでは外国人からすれば、ただの“古いハコ”を見ているだけですから面白いわけがありません」

なぜこのようになってしまうのか。ひとつには、圧倒的な予算不足がある。「小西美術工藝社」の社長となってまず驚いたのが、日本の文化財保護予算があまりにも少ないことだという。

「日本の国宝・重要文化財に対して建造物の修理代として出している予算は年間81.5億円。海外に比べたらゼロがひとつもふたつも少ない。思わず文化庁の資料が間違っているのかと何度も見直しました。この予算では壊れたら修理をして現状維持をするだけ。しかも予算は建造物だけにしか適用されませんから、敷地や壁がボロボロのままなんてことになる。みなさんもベルサイユ宮殿や、モン・サン=ミシェルを観光して、壁や道がボロボロだったらガッカリしませんか。しかも、予算がないのでガイドも置けなければ外国語の案内板もない。これで日本文化を楽しめという方が無理がありますよ」

たしかに、海外の文化財は、外国語の音声端末の貸し出しサービスや専門ガイドは当たり前である。なかには、高齢者による味のあるシルバーガイドなどもいる。また、フランスのベルサイユ宮殿などはイベントでの貸し出しなども行なって、その文化財が本来もつ魅力を最大限、観光客に伝えていく努力をしている。

このような文化財の魅力を引き出すためには、やはりそれ相応の予算が必要だというのだ。その成功事例として大いに参考になるのが、アトキンソン氏の祖国・英国だ。

「英国は80年代から文化財保護に力を入れ、指定文化財に対して日本円で500億円程度の予算を出しており、それがしっかりと結果に出ています。分析によると、文化財を中心とした観光経済は約2兆1080億円。その中の約4割は外国人観光客によるものと推定されています。また、GDPに反映される波及効果としても3兆5020億円にものぼるのです」

アトキンソン氏によると、世界ではGDPにおける観光業の貢献は9%前後であるのに対して、日本のそれは約2.6%。観光業に関しては日本は明らかな「後進国」だというのだ。ただ、これは裏を返せば、成長できる“伸びしろ”があると見ることもできる。

文化財保護予算の拡充には他にもメリットがある。たとえば、日本社会が今直面している「若年層の雇用」という問題にも大きな効果があるとうのだ。

単純な答えをすぐに求めすぎる日本人

日本人はシンプルアンサーが好き
「経済改革を1年や2年で評価するのはナンセンス」

「文化財修理は先端技術ではなく基本的に伝統技術。しかも非効率的な作業のため多くの人員を必要とします。つまり、多くの雇用を生み出すことができるのです。事実、イギリスでも地方の若者に対する雇用効果があらわれています。学歴などは関係なく、技術のみが求められるので、これまで製造業の担い手だった若年層の雇用にも大きく貢献できるのです」

少子高齢化で多くの国内市場が縮小していくなかで、日本経済が短期間で劇的に「復活」を果たすなどうまい話はそう転がっていない。だったら残された道は、他国に比べて遅れている分野をひとつずつ伸ばしていくしかないのではないか。そのひとつが、「文化財」だという主張は実に明快でわかりやすい。その一方で、アトキンソン氏はこのような「シンプルアンサー」ばかりに目を奪われてはいけないとも苦言を呈する。

「24年間、日本で生活して気づいたのは、日本人はシンプルアンサーを求め過ぎる。アナリストなのでみなさんにアベノミクスはどうですかと聞かれますが、私からすればその質問自体がナンセンス。経済改革というのは1年や2年で成果の出るものではありません。面倒で複雑な問題を洗い出して、それをひとつひとつ潰していく時間のかかるものなのです」

これに加えて、日本人は自分たちの望む「アンサー」を盲目的に信じてしまう傾向がある、とアトキンソン氏は感じる。これまで何度もそのような場面に直面したが、印象深いのは銀行の不良債権問題だ。

当時、国も銀行もそしてマスコミも不良債権はせいぜい2兆円くらいの規模だと考えていたのだが、これをソロモン・ブラーズのアナリストだったアトキンソン氏は真っ向から否定。20兆円と見積もったレポートを出したのである。冷静に分析をすれば導き出せる数字だ。論理的かつ数字に基づいた分析だった日本社会の反応は違った。

金融庁からの問い合わせで電話はパンク。株が急落した銀行の幹部が怒りの形相で乗り込み、右翼団体からは「アメリカ政府がソロモンを使って日本をダメにしようとしている」という猛烈な抗議も起きた。

身の危険を案じた会社は、アトキンソン氏に国外一時避難を命じるなど大混乱だったのが、ほどなく不良債権が20兆円どころではないことが判明。「デービッド・アトキンソン」の名はアナリストの世界に轟きわたることになる。

「日本の経営者に足りないのはサイエンスです。数字に基づいた冷静な分析をすれば、自ずと問題は見えてくる。それをシンプルアンサーで片付けるのではなく、ひとつひとつ解決をしていく。そのようにしていけば、日本経済にはまだまだ伸びしろはあるのです」

24年にわたって、日本の社会と経済を分析してきた英国人アナリストの言葉には、日本人では見落としがちな「気づき」に満ちている。日本復活のキーパーソンのひとりであることは間違いない。

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