「由紀夫氏が左翼と妥協したのは生涯の大失態」

画像の説明 鳩山邦夫氏が鳩山一郎を語る 

鳩山一郎元首相の思い出を語る鳩山邦夫衆院議員=東京・音羽の鳩山会館

持つべきは自前の憲法

--一郎の首相在任中に原子力基本法が成立しているが

「祖父が原子力発電の推進を考えていたとは思えない。これは完全に中曽根康弘元首相の影響だ。ただ、核武装ということも頭にあったかもしれないということは想像する」

「祖父は中曽根さんをすごく気に入っていて、『特別にかわいい』と言っていたらしい。その中曽根さんが外国から祖父によこした手紙があって、そこには欧州の原発事情について書いてある。原発が必要だということがそこに書いてあるわけだ。祖父の死後、その手紙が出てきたので、中曽根さんに渡したことがある。祖父はいろんなものを捨てていたが、その手紙は大切に取ってあったんだね」

「祖父が首相のときか、辞めた直後かに中曽根さんが音羽の家にやってきて、祖父に(中曽根氏が作詞した)『憲法改正の歌』というレコードを聴かせていた。なかなかいい歌でね。いま、復刻版を作って自民党にばらまいてやろうかな」

--一郎はどのような憲法観を持っていたか

「やはり、押し付けられた憲法ではなく、自前の憲法を持つべきだということ。自前の憲法を持たないと、真の独立国家じゃないという思想でしょう。その一番の同志が岸信介元首相だったのかな」

趣味の蝶は祖父の遺伝!?

--私生活の一郎はどうだったか

「私は蝶の研究に熱中しているが、祖父も蝶が好きだったらしい。隔世遺伝で、私の遺伝子に記憶が乗っているのかな。私が子供のころ、祖父が蝶の名前を突然いって、驚いたことがある」

「お酒はまったく飲めない人だった。誰か子供の誕生日か何かに、『試しに飲んでみるか』といってワインをグラスに半分くらい飲んだら、そのまま椅子から落っこちたというからね。だからなのか、超甘党でね。支持者が持ってきてくれたショートケーキを昼ご飯に食べていた。恐ろしいのは、そのままでは食べずに、砂糖をジャーッとかけて食べるんだよ」

--首相を辞めた後の一郎は、覇気がなくなったのでは

「そうでしょうね。そういう状態しか僕は知らないわけだな。祖父は囲碁やトランプのような勝負事が好きだったが、首相を辞めた後は家族が禁止した。一度倒れているから、興奮してはいけない、長生きしてもらわないといけないということでね。それがかえって死期を早めたんじゃないかと思うことがある」

--邦夫氏が政治家を目指したのは一郎の影響か

「それはそうでしょう。祖父を見ていて、政治というのは人を救えると思った。シベリア抑留の経験をもつ瀬島龍三さん(元伊藤忠商事会長)に『あなたのおじいちゃんのおかげで私もこういう生活ができた』といわれたことがある。夢見がちだった小学2年生くらいのころには作文に『おじいちゃんのようになりたい』と書いていた」

祖父と兄、全然違う

--政治家としての一郎は

「『鳩山一郎』には2つの特徴がある。1つは強い人権主義があったということ。涙もろくて、悲しい話にはすぐに泣いちゃう。演説でも『人権ほど大事なものはない。人間は生まれる前から人権を持っている。胎児にも人権がある』と話していたと聞いている」

「もう1つは、真正保守主義という一面だ。要するに、真の独立を目指した憲法改正だ。それを岸さんが支えた。今は岸さんの孫である安倍晋三首相がそれを目指している。私が安倍さんを応援しているのは、祖父の真正保守主義を受け継いでいるのが安倍さんだという思いがあるからだ」

「祖父の人権主義が私の正義感の原点のようになっていて、かえってそこから自由になれないところがあるんだよ。文相のときには偏差値追放のためにと『業者テストなんか絶対に廃止しろ』と言ってきたし、総務相時代にはかんぽの宿の売却をめぐって日本郵政に『入札が公正でない』と批判して一石を投じた」

--同じく首相になった由紀夫氏は、一郎の政治とは違ったか

「全然違う。祖父の影響を受け続けて政治をやることがいいわけではないが、真正保守主義のような原点があって、その影響のもとでわれわれは政治を始めた。ところが、いろいろ思うところがあって、祖父がつくった自民党にも問題があるということで、兄も私も新党をつくることを考えた」

「だが、そのときに兄が菅直人元首相とか横路孝弘前衆院議長と接触していることがわかって、『思想が全く違う』と私は怒り狂った。私は新党運動をやめようと思って母にも言ったが、兄は『労働組合は金も出してくれるし、宣伝カーも持っている』といってきて、私も妥協して事を進めた。それが新左翼まで関与する民主党の誕生なんだよ」

「兄はその道を突っ走って民主党が政権を獲れば首相になれると思ったのだろう。妥協したのは生涯の大失態だと思う。兄は鳩山家の本来の思想とは違う道を歩んだから、首相としてはうまくいかなかったんだと思いますよ」

--今後、ロシアとの関係ではどのような役割を果たしたいか

「私は日本・ロシア協会の会長を務めているが、ありがたいことに鳩山一郎の孫だということで、ロシアでは非常に信用がある。私の心の中には、祖父の仕事を継ぎたいという気持ちが明確にあるんだ。ウクライナ問題は残念だが、さまざまなチャンネルを通じた日露関係は絶対に維持し、発展させなくてはならないと思っている」

「欧州経済の疲弊や中国の台頭、ロシア国内の天然ガスの減少という状況の中で、プーチン大統領は東シベリアの開発に非常に熱心だ。ウクライナ問題が起きたいま、私に対するロシア側の期待が大きくなっていることを感じる。ロシアは西側との関係が薄くなるし、米国ともぶつかっているからね」

「自由と民主主義を重んじる日本としては、欧州や米国と歩調を合わせなければならない。しかし、ロシアをめぐっていえば、地政学的には欧州や米国と日本の利益は異なる。だから私はこのチャンスをうまく利用したらいいと思っている。安倍さんとプーチン大統領がこの1年間に5回会ったというのも、非常に大きな意味がある」

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