2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
日本の名誉のためにテキサス親父が。
日本人もこのまま傍観しているわけにはいかない・・・
「慰安婦像は日本人を侮辱している」…テキサス親父がグレンデール市議会で発言、韓国批判
米カリフォルニア州グレンデール市の市議会で21日、「テキサス親父」のトニー・マラーノ氏が発言する機会を与えられ、韓国系団体の強い要請で設置された慰安婦像を批判した。
「慰安婦像は日本人の名誉を毀損している。侮辱している」。マラーノ氏は慰安婦像設置に賛成した市議らを前に静かに話し始めた。
事前に届け出れば、誰でも意見を述べることができるパブリックコメント制度を利用し、意見を述べる機会を得た。この制度はグレンデール市民以外でも参加できる。
慰安婦像の設置を審議する際や、在米日本人らが慰安婦像撤去訴訟を起こした際、韓国系がこぞって日本バッシングを展開するために利用した制度だ。
マラーノ氏がグレンデール市を訪れることは非公表だったため、反日的な韓国系住民の姿はなかった。
「あなたたちの目的は尊い」。市議らに向かって、マラーノ氏は言った。「だが最近、韓国で新しい慰安婦のグループが、自分たちの政府に1950年から1992年の間に強制的に慰安婦とさせられたと言っている。グレンデール市は日本や日本の人々に対し一貫性があることを表明するチャンスだ」
朝鮮戦争以後、在韓米軍基地周辺で米兵を相手に売春をさせられたと主張する100人以上の韓国人女性らが今年6月、韓国政府に賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こしたことを引き合いに出し、続けた。
「今ある慰安婦像が、日本を侮辱する目的で設置したわけではないということを証明できる。この新しい慰安婦のグループのために2つ目の像を考えたらどうだろうか」
「今ある慰安婦像のとなりに大理石の記念碑などを設置することをすすめる」
不思議なものだ。在米日本人らが、慰安婦像について反対意見を述べると、「もっと歴史を学ばなければ」「なぜ、過ちを認めない」などとヒステリックに反論していた市議らも、マラーノ氏には何も言わなかった。米国世論に、日本の立場、日本の主張を説明することがいかに重要かを示している。
慰安婦像設置に賛成した市議らは、マラーノ氏の話を聞き終わると、「サンキュー」と述べた。設置に唯一、反対した市議は「あなたの名前は」と改めて聞いた。発言を終えたマラーノ氏は「少し緊張したかな」とホッとした様子だった。(2014.10.22 産経新聞)
テキサス親父は日本の名誉のために発言してくれました。
在米日本人がいくら抗議をしても聞いてくれない中、日本人ではないテキサス親父の話には抗議も出来なかったのでしょう。
本来ならば日本政府はテキサス親父にお礼を述べるべきではないか。
今だ「河野談話」一つ破棄できない安倍政権。自民党自体が河野談話を見直すつもりがないと公表していますが、この「河野談話」が米国での慰安婦像撤去の裁判で「日本政府が認めているではないか」と言われて、在米日本人は何も反論できずに悔しい思いをしたのです。
今の政党で「河野談話を破棄せよ」と言えるのは次世代の党くらいでしょう。安倍政権も今これを持ち出せば大所帯で左巻きの雑魚も混じる党内や公明党ともうまくいかなくなり、政権運営には大きな亀裂になるため、こういう問題は今は出来ないでしょう。
わかっていても出来ないのが政治であるのは理解します。
もし河野談話破棄、村山談話破棄、近隣諸国条項も破棄、さらには憲法も破棄、国防軍に核武装・・・。こういうことを望むならば、国民はそういう主張をする保守政治家をどんどん国政に送り出すしかないのです。
しかし、今の日本の現状でそれが可能でしょうか。またそういう主張の出来る政治家がどれほどいるのでしょうか。ほとんど似非保守みたいのばかりで、後はリベラルか共産主義者か拝み屋か反日日本人と国籍不明の売国奴たちです。
こういう得体のしれない者を国政に送り出す国民が多いのも日本の現実であります。日本は戦後、大学が左翼勢力に占拠され、それに教わる学生も左巻きになります。勉強すればするほど間違った歴史観で悪い人間になってしまう。そういうのが政治家になっても売国の上塗りしか出来ないのです。
日本を本当に正すには、幕末の志士のように、これからの政治家は無意味な学歴よりも、日本の伝統・文化と國體を理解し、愛国心にあふれ、日本のために命を捧げられる人間こそが政治家となるべきなのです。
安倍総理も本心では河野談話や村山談話など不要であることは充分認識されいるはずです。今の日本では総理という立場では口に出来ませんが、その時期が来るのを見定めていると思います。
今は安倍総理しかいませんが、次期国政選挙で太陽の党や次世代の党が議席を伸ばし、先ほどの「愛国政治家」がどんどん出てくるように、我々もテキサス親父に「肝心の日本人は何やっているんだ」と言われないように、やれることをやって参りましょう。