ウナギ守った江戸怪談

画像の説明 ワシントン条約にもその力?

ウナギは祟(たた)りをなす魚。

江戸時代の人たちは、そう考えていた。

人間に祟る魚はめずらしい。池の水替えで捕らえた大ゴイを面白半分にのこぎりでひいた男が狂い死にしたという話が伝わるくらいだろうか。

上田秋成(1734~1809年)の「夢応の鯉魚(りぎょ)」も不思議だが、臨死体験の僧がコイになった夢を見るだけで、人を脅かすわけではない。

現代のウナギは国際案件として気をもませる存在だ。

9月17日には日本、中国、韓国、台湾の間で、養殖に使うニホンウナギの稚魚(シラスウナギ)の量を今冬から20%減らす合意が成立した。減りゆく資源への対応策だ。

グアム島西方のマリアナ海嶺で生まれたニホンウナギの幼生は、黒潮などに乗って上記の国や地域にやってくる。

爪楊枝(つまようじ)サイズのシラスウナギは各地の河口で採捕され、養殖用に使われる。

このシラスウナギが激減し、ニホンウナギの絶滅が心配される状況になりつつある。それで日中韓台での削減が始まることになったのだ。

絶滅の恐れのある野生動植物の国際取引を規制する「ワシントン条約」の次回締約国会議は2016年に開かれる。

同条約での対象種になると、中国や台湾などから日本へのニホンウナギの輸出が難しくなるので、そうならないための自主規制の一環だ。

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江戸時代には怪談めいた話がウナギや他の魚の乱獲防止に一役買っていた。

江戸町奉行などを務めた根岸鎮衛(やすもり)(1737~1815年)が収集した奇聞集「耳袋」中の穴釣りの話もその例だ。

「音羽町とかに住める町人、いたつて穴鰻(あなうなぎ)を釣ることに妙を得」と紹介されているのは、麦飯屋の主人である。

ある日、一人の客がやってきて麦飯を食べた後、店内の釣り道具に目を留めて説教をたれ始めた。

「穴にひそみて居り候(そうろう)鰻を釣り出すなぞは、その罪深し。御身も釣道具など多くあれば、釣りもなし給はんが、穴釣りなどは無用」

ウナギの穴釣りは殺生だから止(や)めるように、と注意して立ち去ったのだ。しかし、雨の季節になると主人は穴釣りに出かけ、大物を釣った。

「いかにも大きなるうなぎを得て悦(よろこ)び帰りて、例の通り調味しけるに、右うなぎの腹より、麦飯多く出けるなり」という不気味な結末を迎えるのだ。

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江戸のベストセラー作家、曲亭(滝沢)馬琴(1767~1848年)は、知人の儒学者の叔父の体験談を紹介している。

その叔父は武家の次男だったが、放蕩(ほうとう)三昧の末に家を出て、江戸で鰻屋の婿になっていた。叔父と鰻屋の主人がある日、仕入れた中に大ウナギが2匹交じっていたのだ。

なじみの上客が友人を連れて店に来た。主人は大ウナギを生簀(いけす)から取り出し、頭に錐(きり)を打とうとしたが、誤って自分の手を深々と刺してしまった。

叔父が代わると「その大うなぎ、左の手にきりきりとからみ付きて、締ること甚だしく」、腕の脈も通わなくなった。さらには長い尾で脇腹を「息も絶るばかりに」痛打した。

難渋した叔父はウナギに向かって「汝(なんじ)、われを悩すとても、助かるべき命にもあらず。願ふは首尾よく裂(さか)してくれよ」と言い聞かせた。

そうして料理した蒲焼(かばやき)だが、客たちは「死人の如(ごと)きにほひして、胸わろしとて吐きにけり」という結果となった。

その夜のことである。店の生簀で物音がした。生簀の蓋を開けると「あまたのうなぎ蛇の如くに頭をもたげてにらむに似たり」ということだった。

叔父は、その鰻屋から逃げ出した。主人は1年ほど後に死んだ。口も利けず、ウナギのように水を飲むだけの最期であったという。

馬琴は「こは正(まさ)しき怪談也。浮たる事にはあらずかし」と結んでいる。この話とは別に「鰻屋を止めた咄(はなし)の恐ろしさ」という江戸川柳もあるほどだ。(長辻象平)

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現代はウナギの多消費に歯止めが掛からない。内水面漁業振興法に基づいて11月から、国内のウナギ養殖業の届け出制(10月1日公布)も導入される。

「ワシントン条約には怪談並みの力がありそうだね」。冬はシラスウナギの漁期である。

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