国民性

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日本は立派な国民性を持った国である。

平成16年3月、シナ人が日本国と新潟県内の企業を告訴しました。理由は「戦時中に日本に強制連行されて労働作業に従事させられた」からだという。新潟地裁は原告の主張を全面的に認めて8800万円の賠償金支払いを国と企業に命じました。

この時の判決文にはシナ人の主張する「食事は一日三食であったが、一食はまんじゅう二個と葉っぱの漬物だった」を事実と認定して「非人道的」とした。

しかし、昭和19年当時の戦時下は日本国民自体が貧しい食生活に耐えていた時です。三食欠かさず支給されていたというのは多くに日本国民より厚遇されていたということです。

終戦時、シンガポールの無人島で東南アジアの最大の収容施設であるレンパン島に日本兵8万人もの移動を命じられました。このレンバン島は第1次大戦でドイツ軍捕虜2000人が連行されてマラリアで全員死んだ島で、蛇以外の生き物は少なくヤシの木も少ないまさに「死の島」でした。イギリス人はこの「死の島」へ日本兵を地獄に追いやるために移動させたのです。

この島の施設はすべて日本軍の手で建設させられました。日本軍はあり合わせの道具と自前の食料を持って、桟橋、道路、倉庫をはじめ何から何までつくらされました。約束していたイギリス軍による食料を待っていましたが、結局、島には何も届きませんでした。

日本兵達の過酷な生活が始まりました。1日分の米は1合5勺にして、全員が空腹と栄養失調になっていきました。日本兵は生きるためにあらゆる動植物が食料となるのか試され、毒以外の野草は取り尽くしていました。蛇、サソリ、ムカデ、ナメクジまで貴重な栄養源だったのです。

軍医部の報告では主食のカロリーは必要量の3分の1、タンパク質は16グラムに過ぎず、餓死寸前に至ったと書いています。最重点で取り組んだ開墾から農産物自給が進められ、食糧の生産と採集が行われました。そういう中、蛇もムカデも取り尽くして絶滅してしまいました。

8万人に餓えが迫った12月8日、イギリス軍は食糧5000トンが届けてきました。しかし、この食料は熱帯で半年も貯蔵された賞味期限の切れた廃棄するものを持って来たのです。しかも12月8日というは真珠湾攻撃と同時に日本軍がイギリス植民地のマレーを攻めた日で、イギリス軍がボロクソにやられた日でした。

こういう過酷な状況の中でも日本兵は抵抗もせず、脱走もなく、餓死者も出さなかったのは奇跡であったといえます。命令系統が失われていたので混乱があってもおかしくありませんが、イギリス軍も驚くほど日本兵の秩序は乱れませんでした。

白人が「死の島」と言った無人のジャングルを切り開き、飢餓に迫られながらも、しのいだ日本兵。あらゆるものを利用して道路、農地、井戸、貯水池、宿舎、倉庫、司令部、病院まで建設する日本人。塩、みそ、しょうゆ、石鹸、履物まで工夫して作っていたのです。

ついにはイギリス人の嫌がらせは見事に裏切られました。世界のどこの国の軍隊も敗戦時には極限状態に追い詰められながら落胆し、意気消沈し、絶望と自暴自棄になるのが当然でありましたが日本兵は違っていたのです。それは日本兵の胸の中には天皇陛下の軍隊、つまり「皇軍」であるという誇りがあったからです。

冒頭のシナ人は三食満足に与えられて8800万円の賠償金を貰えるのです。

昭和20年、戦局悪化の一途の中、「欲しがりません、勝つまでは」と、食べざかりの子供達までお国のために我慢し、わずかな配給に列をつくり、日本国民全体が飢えていた時に敵の捕虜や日本に来ていたシナ人労働者(もちろん自分の意思で来ていた)に、日本人の妻子に与える2倍の食料を供給し続けたのです。

日本国民が極度の窮乏の中でも日本は戦時国際法は固く守っていました。

このような日本の事実はほとんど取り上げられることもなく、語られることがないのです。消されないように広く知らせていくのが我々の役目でありましょう。

目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり        

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