「日本の水を護れ」

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日本の水を、上下水ともに護ること。
このことは、日本が安心して安全に住める国であるために、最低限に、そして絶対に、国をあげて行わなければならないことです。

新型コロナウイルスの猛威が、世界を覆うようになってきました。
そうした中で、先進諸国の中で、なぜか日本だけが、チャイナに非常に近い立地にありながら、感染者数、死者ともに極端に数が少ない。
その理由のひとつに、水があります。

日本はきれいな水が多い国柄です。
諸外国では、たとえば飲料用の水と、手洗いなどの水は分けられたりしますが、日本では、どの水もほとんどの場合、飲むことができます。
しかもそういう水がふんだんに供給されています。

最近でこそ、水がお店で売られるようになりましたが、ひとむかしまえまでの日本では、水は基本、無料というのがあたりまえだったくらいで、水がペットボトルなどで売られるようになった当初は、水を売るなんていうことが、不思議なこと、あり得ないことと思われるくらい、日本は水の国であったわけです。

そしてそういう水が、ふんだんに供給されることによって、我が国ではいつでもきれいな水で、手も足も体も食器も、食材も洗うことができ、毎日風呂に入ることもでき、水を使った拭き掃除もいつでもできるという国柄が生まれています。

ところが戦後、我が国では、その水が粗末に扱われ、また大切な水を運ぶ施設が汚れるのもそのままにされるようになりました。

かぐや姫に歌われた「神田川」は、かつて大ヒットした曲でしたが、その神田川は、学生運動華やかりしころは、学生たちが川に投げ捨てるゴミで、川が詰まることもしばしばあったくらいです。
昭和30年代には、夏は普通に水遊びすることができた河川は、いまでは川底がヘドロでどろどろに汚れ、川の水も黒く濁りました。

水の問題というと、水源地が外国人に買われていることばかりが取沙汰されますが、実は、上水だけでなく、下水も含めて、これは国をあげてきれいな水を確保していかなければならない、実は大問題です。

田んぼは水を張りますが、昔は田んぼの周囲にゴミを捨てるなど、考えられなかったことでした。

けれどいまでは、田んぼの脇を走る道の路肩には、ペットボトルや空き缶、コンビニ弁当の器などが、おそらく車の窓から廃棄されたのでしょう。膨大に散乱しています。

普通の日本人は、公園などで遊んでも、ゴミは持ち帰る、あるいはちゃんとゴミ捨て場にゴミを捨てるということを習慣として持ちますが、日本に住んでいて日本人のような顔をしていて日本語を話すけれど日本人でないというやっかいな人たちは、ゴミを持ち帰るという習慣がありません。

彼らの国では、海辺でも観光地でも、まさにゴミだらけになっていますが、そうしたゴミの廃棄については、日本でも東南アジア諸国のように、もはや犯罪とすべき事柄です。

東京の隅田川でも、昭和30年代頃までは、水が透明で普通に泳ぐことができたのです。
川が汚れた背景に、化学洗剤などによる汚染があることは有名な話です。
けれど、日本の技術力なら、下水を汚さない、昔のように排水溝で鯉を飼うことができるくらいの洗剤だって、造ろうと思えばできることです。
というかそういう洗剤は、すでに発売されています。

きれいな水を確保するための努力は、これは国をあげてすべきことです。
そして、きれいな水が確保されていることが、実は感染症の拡大を防ぐことにも、大きな役割を持っています。

そういえば、神社の手水舎が、疫病対策に大いなる効果を発揮していたという話は、当ブログで再三発信させていただいたことですが、この話はかなりのインパクトがあったらしく、いまでは筆者のところに、「日本では神社に手水舎があることが、感染症の抑止に役立ったのです」と、わざわざ教えてくださる方まで現れるようになりました。

これは、ねず説がひとりあるきを始めたということで、たいへんに良いことだと思っています。

いずれにせよ、日本の水を、上下水ともに護ること。
このことは、日本が安心して安全に住める国であるために、最低限に、そして絶対に、国をあげて行わなければならないことです。

ねずさん

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