「『移民と日本人』」

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ブラジル移民が示した「根っこ」の力

                      ~ 深沢正雪『移民と日本人』を読む

我々と「根っこ」を同じくする同胞が190万人も地球の裏側で生きている事の有り難さ。

■1.16世紀アルゼンチンでの日本人奴隷

「移民は壮大な民族学的実験だ」とは、ブラジルの邦字紙「ニッケイ新聞」の前編集長・吉田尚則氏の言葉である。現編集長・深沢正雪氏の新著『移民と日本人』は日本人移民の足跡を辿って、この実験の結果を提示してくれている。

同書は、南米への移民のごく初期、なんと400年前のケースから記述を始める。1596年、日本では豊臣秀吉の晩年、アルゼンチンの古都ゴルドバで日本人青年が奴隷として、ある神父に売られたという古文書が残っている。「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を800ペソで売る」と記録されている。

「この日本青年は心身共に強健で才能に富んだ傑人と思われ、それなりに他の奴隷に較べて3、4倍の高値で買い取られている」と、ある研究書は述べている。

戦国時代には戦争捕虜や、誘拐されたり親に売られた子供が数万人規模で、奴隷として南蛮商人によって東南アジアからポルトガル本国にまで「輸出」されていた。秀吉が天正15(1587)年にキリスト教宣教師追放令を出したのも、これに怒った事が一因のようだ。また、国内で身の置き所がなくなったキリシタン浪人が自らポルトガル船に乗り込んだというケースもあったようだ。

深沢氏は、このフランシスコ・ハポンも自由渡航者、すなわち移民として出国したが、途中でポルトガル商人に騙され、奴隷として売り飛ばされたと推測している。

■2.「私は奴隷として売買される謂われはない」

さらに興味深いのは、この青年が売られてから8か月後に、「私は奴隷として売買される謂われはない。従って自由を要求するものである」と訴えて、裁判に勝ち、自由の身になったことである。裁判所は、代金の800ペソを神父が奴隷商人から取り戻す権限を与えている。

このような裁判事例は他にもある。ルシオ・デ・ソウザ著『大航海時代の日本人奴隷』では、メキシコ、アルゼンチン、ポルトガル、スペインなどで、「自分は本来ならば奴隷ではない」と主張して、我が身の解放を求めた訴訟の記録が相当数、残されているという。

そもそも裁判所に訴え出る行為自体が、スペイン語のみならず法と裁判制度の知識を必要とするので、売られて8か月後の日本人奴隷が単独でできる可能性はまずない。弊誌が推測するに、日本人青年の宗教心と知性を見込んだ神父が、彼に訴えさせて裁判に勝てば、彼をその後も弟子として使えるし、代金も取り戻せると踏んで、訴えさせたのではないか。

これが事実だとしても、神父にそう見込ませるだけの器量、法と裁判制度を理解する知性、裁判所での証言での論理的説得力も必要だったはずだ。「移民は壮大な民族学的実験だ」という視点から見れば、彼はこの異国の地での実験において、日本人の長所を大いに発揮したと言えるだろう。同様の事が、黒人奴隷や支那人奴隷にできたとは考えにくい。

当時、日本で布教したフランシスコ・ザビエルは、日本人の理性や知識欲に驚いて「日本人は新たに発見された諸地域の中で最高級の国民」と母国に書き送っている。しかし、ザビエルにとっては不幸なことに、その日本人の理性は、キリスト教の教義の不合理さを見逃さなかった。

例えば宣教師たちは「キリスト教を知らなかった日本人の先祖は救われない」と言うが、「もしデウスが本当に全能なら、大昔から日本でも教えを広めたはずだ。今頃、日本に教えをもたらして、それを知らなかった我々の先祖の霊を救わない、というなら無慈悲だ」などと、先祖思いの日本人はザビエルを問い詰めた。[a]

仏教や儒教との格闘を通じて鍛えられた合理的思考能力と、それを大衆に普及させた教育は日本社会の特質だが、日本移民が異国に置かれると、その特質が明瞭に浮かび上がってくる。まさに「移民は壮大な民族学的実験だ」という事の一つの例証である。

■3.移民たちのフロンティア・スピリット

移民という「壮大な民族学的実験」を大規模に行っているのが、ブラジルである。ここには190万人もの日系人がいる。群馬県が195万人だから、それと同規模の日系人が地球の裏側に住んでいることになる。この事実の重要性を日本国内の日本人はほとんど認識していない。

その「民族学的実験」の結果は明らかである。190万人と言ってもブラジルの人口2億人の1%に過ぎないが、ラテンアメリカ世界の最難関であるサンパウロ大学では日系人学生は14%も占める。「大学生全体でも10%を占める」と、筆者がアメリカで出会った白人系ブラジル人は称賛していた。[b]

学力だけではない。ブラジルには「ジャポネース・ガランチード」、すなわち「日本人は保証付き」という言葉がある。約束はかならず守る、借りた金は返す、仕事でもきちんと責任を果たす。日本人なら間違いはない。そういう絶大な信用をブラジル国内で築き上げてきた。[c]

私もブラジルで、ある日系企業が持つ3工場を訪問したことがあるが、日系人が幹部を務める一つの工場が、日本からの駐在員が運営する他の2工場よりも優れていたことを覚えている。

移民は「国内で食い詰めて、海外に出て行った」という見方は一面的である。というのは、食い詰めたまま国内に留まっている人間の方がはるかに多いからである。食い詰めた境遇に屈せずに、はるか彼方の異郷に飛び出していった移民たちのフロンティア・スピリットを見逃してはならない。

さらに、その異郷で直向(ひたむ)きな努力を通じて、現地でも尊敬される地位を築き、異国で日本と日本人への評価を確立してくれたブラジルの日系人には敬意と感謝の言葉しかない。

■4.「社会が開いているから文化的には閉じる」

しかし、どうして異郷に住みながら、日本人らしさを何代にもわたって維持できるのだろう。この疑問を深沢氏は「社会が開いているから文化的には閉じる」と説明している。これは「社会が閉じるから文化が開く」という説を裏返した表現である。

たとえば、明治日本は外国人はごくわずかしか住んでいない「閉ざされた社会」だった。その中で、ごく一部の日本人が留学などで西洋文化を学び、よく咀嚼して国内に伝えた。それゆえに日本社会は拒絶反応を起こさずに、西洋文化を導入することができた。つまり、社会が閉ざされていたからこそ、文化の流入がコントロールでき、スムーズに西洋文化を導入できた。

ブラジルに暮らす日系移民は、ちょうどこの逆の現象が起きたと、深沢氏は指摘する。

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日本移民は、ブラジルという西洋文化圏の真っ只中で生活している。ブラジル人という西洋文化を持つ圧倒的な大衆に囲まれ、異文化と生のまま接しているので、拒絶反応を起こしやすい。・・・
異国において自分たちはか弱い存在であることを前提に、常に回りの強者(ブラジル人農場主、官憲、圧倒的多数のイタリア農民など)との力関係に気を使いながら、日の丸を心の中で背負い、どう生き延びていくかを日々考えていた。
その結果、集団的な自己防衛本能が強く働いて、エスニック集団の中ではナショナリズムが昂揚し、独自の強い日本人意識を持つようになった。[1, p167]
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評論家の大宅壮一は1954(昭和29)年に取材でブラジルを訪問した際に講演して、「ブラジルの日本人間には、日本の明治大正時代がそのまま残っている」と言ったそうだが[1, p10]、それもこの「社会が開いているから文化的には閉じる」現象だろう。

弊誌でも、美しい日本語をブラジル人子弟に教育している川村真倫子先生をご紹介したが[d]、先生の学校も、ブラジルの開かれた社会で、日本文化を維持しようとする努力の一環と言えよう。

■5.異郷で「根っこ」の大切さに気がつく

上に引用した「エスニック集団の中ではナショナリズムが昂揚し」の一節は、「エスニック」は「民族的」、「ナショナリズム」はラテン語の「natio(生まれ)」を語源とする。平たく言えば「自分が生まれた民族的共同体を大切に思う心」と捉えても良いだろう。

弊誌ではこれを「根っこ」と表現してきた。異郷で自分自身の「根っこ」の大切さに気がつくというのは、筆者がアメリカでの留学時代に経験したことだ。また海外在住の方が、日本の事を聞かれて何も説明できない事に気がつき、インターネットを探し回って、本講座に辿り着いたという読者も少なくない。外国の「開かれた社会」に出ると、「根っこ」の大切さに気がつくのである。

逆に、国内で「根っこ」を同じくする同胞に囲まれていると、その大切さに気がつかない人が多い。美しい豊かな国土の中だけで暮らしてきた人々は、それを当たり前だと思って、その美しさ、豊かさには気がつかない。

自虐史観を吹聴する輩、日本を卑下する「拝外」主義者などは、「閉ざされた社会」で「根っこ」に支えられながら、その有り難さに気がつかない人々である。近年、こうした人々が減り、日本の「根っこ」を求める人々が増えてきているのは、外国旅行の機会が増え、来日外国人も激増して日本が「開かれた社会」になりつつあるからだろう。

■6.「世界のウチナーンチュ大会」

「開かれた世界」で、特に「根っこ」を大切にして逞(たくま)しく生きているのが沖縄出身者のようだ。深沢氏は2011年に那覇で開催された第5回「世界のウチナーンチュ大会」を取材した時の驚きをこう語っている。

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・・・世界から沖縄県系人が5300人も集まり、ものすごい熱気にあふれていて驚いた。ブラジルからだけで1200人以上、ハワイからは1千人で飛行機を2機もチャーターして乗り入れているというので恐れ入った。[1, p146]
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沖縄県の人口140万人は日本全体の1%強にしか過ぎない。だが、海外日系人350万人の中では35万人、10%を占める。ブラジル日系社会でも約1割、ペルーやアルゼンチンでは9割以上に達するという。沖縄県人口の25%に匹敵する人数が海外で暮らしている事になる。

沖縄県からの移民が多いのは、戦前は差別と来たるべき戦争への恐怖で都道府県別の2位となり、戦後は地上戦のトラウマからダントツの1位になったからだという。

海外ばかりではない。「世界のウチナーンチュ大会」には、東京都沖縄県人会とか、兵庫県沖縄県人会の人たちも集まる。深沢氏は彼らと話していて、「島から一歩出たら、本土もブラジルも一緒」という感覚を持っている事に気がついた、という。

島から「開かれた社会」に出ると「根っこ」を大切にする気持も強まるのだろう。今でもブラジル沖縄県人会の催しではウチナーグチ(沖縄言葉)で話す人がいるという。深沢氏が取材に行っても、何を言っているのか全然わからないが、会場では皆が理解しているので驚く。

ウチナーグチが分かるのだから、日本語も分かるかと思って話しかけると、「日本語はダメ」という2世、3世が思いのほか多い。ウチナーグチを日常的に使っている世帯で育った人々だろう。一方、沖縄ではウチナーグチの話者が激減しているという。その結果「ブラジルには明治の沖縄が残っている」と言われるようになった。

■7.なぜ、沖縄系が活躍しているのか

太い「根っこ」で繋がり、互いに力を合わせる沖縄系はブラジルの日系人社会の中でも存在感を増している。1994年の総選挙でサンパウロ州選出の下院議員として当選した3人の日系人はすべて沖縄系子孫だった。その一人、具志堅ルイスは2003年の大統領選で当選した労働党党首ルーラの懐刀として活躍した。

ジャーナリズム界でも沖縄系が活躍している。深沢氏がエスタード・デ・サンパウロ紙論説委員の保久原ジョルジ淳次に、「なぜジャーナリズム界で沖縄系が多いのか」と質問したところ、次のような答えが返ってきた。

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そのことは、金城セルソ(元ジョルナル・ダ・タルデ紙編集長)とも話し合ったことがある。自分たち沖縄系は日系社会においてもマイノリティだ。おなじマイノリティなら一般社会でのし上がったほうが価値があると考えた。[1, p156]
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このように、沖縄系はブラジル社会でのし上がり、それが結果的に日系社会の中での地位も引き上げてきた。サンパウロの日経主要5団体のうち、2018年現在では沖縄系が3団体のトップを占めている。

■8.「根っこ」を同じくする同胞

深沢氏は「世界のウチナーンチュ大会」の開会式で、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事(当時)が「おかえりなさい!」とまず挨拶したのを聞いて、すごいことだと感じ入ったそうだ。現在、日本国内には17万人の日系ブラジル人が働き、暮らしているが、我々は「おかえりなさい!」という気持ちで歓迎しているだろうか?

グローバル化が進み開かれた社会になるほど、「根っこ」が国際社会を生き抜くエネルギーを与えてくれる。「根っこ」を同じくする同胞を温かく迎え、ともに助け合う日系、特に沖縄系の生き方は、まさに移民という「壮大な民族学的実験」で成功する鍵であり、これからのグローバル時代の「在日」日本人が学ぶべき姿勢だと思われる。

我々以上に日本人としての「根っこ」を持ったブラジルの日系人から学ぶ事は多い。その太く深い「根っこ」をもって、190万人もの同胞が地球の裏側の人口2億人の大国で逞しく生き、かつ尊敬されている。その有り難さを我々はよく認識すべきである。

                                    
 (文責 伊勢雅臣)

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