「バカにつけるクスリ」

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中国調達バカと生産回帰バカにつけるクスリ

「バカヤロー!!」

罵倒を浴び、眠れない毎日を過ごしたことのないひとに、あのころの状況を伝えるのは難しい。

鳴り止まない電話、次々に降りかかるトラブル、無数に届くメール、社内からの罵声、サプライヤーからの苦情、机に溜まっていく見積書、怒鳴り声、10分で済ます昼食、生産遅延に関する責任のなすりつけ、休日に突然の呼び出し、営業担当者との言い争い、アシスタント女性からの不平不満……。

何もかもが混同している空間。私はこのような場所で、製造業の調達担当者としてキャリアをはじめた。

調達という仕事を、あらためて説明しておくと、文字通り外部からモノやサービスを調達してくることだ。製造業の場合、製造原価の6~7割が、外部からの調達品や外注費が占める。そのサプライヤー選定をしたり、価格交渉をしたりする。

そして、私は運良く調達担当者という仕事を通じて様々なことを経験した。サプライヤーの役員に個室で罵声を浴びさせられたこと、納入を間に合わせるために徹夜で工場に張り付いたこと、営業担当者が自腹で誕生日プレゼントを買ってくれたこと、無気力な同僚たちと触れ合い続けたこと、親子ほども歳の違う設計者から「お前がいれば安心だ」と酔いながら叫ばれたこと、サプライヤーが倒産してしまったこと、「一緒に会社をつくりましょうよ」と営業部長から誘われたこと、サプライヤーから私を担当から外すように上司に依頼があったこと、年輩調達担当者からの仕事の丸投げ、会社の他部門からスカウトされたこと、土曜に営業担当者の自宅にまで行って見積書の内容を深夜まで確認したこと、遠く離れた先輩が今でも家に招待してくれること。「あなたとの仕事は本当に楽しかったよ」と泣きながら硬い握手をされたこと。

もう、20年も前のことだけれど、当時は調達とは伝票を右から左に流すだけの存在と思われていて、「調達はコンドームだ」というひとすらいた。

意味を聞くと、「いないに越したことはない。いるなら、存在感が薄いほうがいい」と。思わず笑いそうになった。しかし、笑っている場合ではなかった。ただ、当時の状況をよく表していると私は思う。製造原価の大半を担うにもかかわらず冷遇されていた。

それでもなお、自分の存在価値があるはずだ。そう信じて、その状況をなんとか覆せないかと私は闘ってきた。そしてそれは、自分との闘いだったように思う。

企業の調達・購買業務
 
その後、会社を飛び出して、企業の調達・購買部門をコンサルティングする仕事をはじめた。また、企業に呼ばれて、講義だとか講演をもするようになった。しかし、そこで見た現実は、私が経験した企業よりも酷いものだった。

調達・購買業務が注目を浴びるようになって

コンサルティングで企業に出向く。部長はやる気があっても、部下には「はいはい、部長がまたなんかはじめたんでしょ」という虚無感だけが充満していた。何か施策を提案しても、「え、そんなのやるんですか。それは無理です。なぜなら」と無数の言い訳が続く。なるほど、調達のプロとは、「できない理由をすべて知っている」ひとなのだと気づいた。

ある企業に出向いたとき、なんと、全員が起立して迎えてくれた。驚いたのは、その身長がすべて180cmを超えていたことだった。そこの上司に聞くと、「調達にはバスケ部の人間が自動的に配属されるんですよ」と笑って教えてくれた。「基本的には伝票処理ですから、たくさん書いても疲れない体力も必要だ」。

精神論を語ると目が輝いていた受講生たちも、原価計算の方法を伝えていると、つまらないと顔が訴えていた。まるでその顔は「そんな高度なことまで会社から求められてねえよ」といいたげだった。

コンサルティングとの現場では、「何かをしたい」というクライアントがいて、それをサポートするコンサルタントがいる……はずだった。ただ現実には、ほんの一部の方以外は、「何かをしたい」と思っていない。だから、コンサルタントである私に、「なぜこんなことする必要があるんですか」と逆質問するひともいる。これを、ちょっと違う例で考えてみると面白い。

マーケティングコンサルタントがいるとして、企業から依頼されて出向くと、社員から「なぜマーケティングを改善する必要があるんですか」「なぜ売り上げを上げる必要があるんですか」と聞かれたとする。彼は「その質問を、私にされても困るよ」というだろう。ただ、調達・購買のコンサルティングの現場では、そういう場面に出くわした。

調達・購買業務が注目を浴びるようになって

理想と現実の、あまりのギャップに悩んでいた私は、しかし、運と時代にも恵まれ少しずつ仕事の場を増やしていった。運というのは、テレビ出演で、もともと違うひとの代役だったものの、その翌週も、次の週も、と続き、定期的にTBSのスタジオに向かい、コメントをカメラの前で話す仕事が増えた。

さらに書籍の執筆機会もいただき、現在では32冊を数えるほどになった。その過程で、調達・購買部門のなかで志を同じくする方々と出会い、調達・購買改革の仕事に携わるようになった。コンサルタントは成果が出なかったら単に呼ばれなくなるだけだから、いままで継続できているのは幸いだ。

そして、もう一つの時代、というのは、必然的に以前にくらべると調達・購買部門に注目が集まってきた。理由は、三つほど考えられる。

一つ目は、企業の売上が右肩上がりを望めなくなったいま、コストを低減するしかないと考えられたこと。二つ目は、サプライヤーの寡占化だ。それまで元請け(=仕事を与えている)と下請け(=仕事を受けている)の構造だったところ、どんどんグローバルなサプライヤーが巨大化・寡占化してきた。

それに対抗するために、調達・購買部門が力をもたないといけない、というわけだ。三つ目は、CSRの関連だ。それまで自社内で法令遵守すればよかったところ、サプライヤーの法令遵守をも監視する必要が出てきた。

この三つ目は、もちろんいまだに課題だ。アップルは、iPhone組み立てのフォックスコンの労働問題にまで目を光らせている。フェアトレードという言葉もある。アパレル業界は縫製を担うバングラディシュなどの遠い異国でも不公平な取引になっていないか気をもんでいる。だからこそ、調達・購買部門が取引先管理の意味でも重要というわけだ。

アメリカと生産回帰の虚像

そんなこんなで、講演の仕事も多くなってきた。ある日、日経BPが主催した講演会に呼ばれた。調達・購買の重要性を語ったあと、控室に戻ろうとしたとき、日経ビジネスオンラインの担当者に声をかけられた。そこからこの連載がはじまった。

1回目のタイトルは「中国調達バカと生産回帰バカにつけるクスリ」で、2014年1月のことだった。他人のことをバカ呼ばわりする人間はバカに違いない。これまで、ただただ製品が安価だと中国調達を追い求めてきた調達・購買部門と私を自虐的に述べ、その後、生産回帰しようにも、生産を請け負ってくれるひとがいなくなる予想を書いた。

そこから5年がたった。

アメリカと生産回帰の虚像
 
アメリカが製造業を捨てた80年代。捨てた、という表現はふさわしくないかもしれない。なぜならいまでも製造業者が存在するからだ。それならば、アメリカが製造業に重きを置かなくなった80年代とでも表現すればいいだろうか。その80年代から、中堅のエンジニアがいなくなり、製造業は本格的に戻ってこようにも戻りようがなくなった。

ITが産業の花形となり、モノからサービスへの転換が生じたとき、反動的なトランプ大統領が生まれたのは皮肉だった。アメリカ第一主義を叫び、製造業の復権を掲げ、さらには製造業の雇用増加をねらい、海外からの輸入を止めようとした。それはうまくいくのだろうか。

先日、ATカーニーが公開したレポートは興味深いものだった。「アメリカの製造業は、それほど群をなして戻ってきていない(US manufacturers are not exactly coming back in droves.)」とした。

面白いのは、この調査が低コスト国を調べた点で、低コストの14の国と地域から米国が輸入する額はむしろ急速にあがっているとする。リンク先に掲載されているグラフに付記された調査対象国を見ると、中国(香港)、台湾、マレーシア、インド、ベトナム、タイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、バングラディシュ、パキスタン、スリランカ、カンボジアとある(注・グラフでは香港と中国を別表記しているため合計で14の国と地域となる)。

中国と米国の貿易戦争ばかりが注目されるものの、低コスト国として調査範囲を拡大すると、いまだに米国への生産回帰はたやすくないことがわかる。

低コスト国で組み立てている製品をそう簡単には引き上げることはできない。さらに、このレポートがいうのは、アメリカにはもはや熟練工がいないのだ(the domestic shortage of skilled labor for manufacturing operations)。生産が戻ってきても、引き受け手がいない。

完全に機械化・自動化されたラインであれば、製造業者はアメリカに新工場を建ててもいいかもしれない。しかし、それは雇用を生まない。さらに半端な機械化ならば、まだ低コスト国で生産したほうが割は合う。

もちろん、企業によっては、減りゆく熟練工の状態をただ見ているわけではない。紹介されているとおり、GEが若手技術者を育成したり、教育にお金をかけたりしている。しかし、社会全体では、中長期的な施策は別としても、やはり目の前は、やはり低コスト国から調達するしかない、というわけだ。

なお、このレポートは、その他、ハイテク産業のサプライチェーン変容についても書かれているため、一読の価値がある。

日本の生産回帰と問題点

さて、おなじく、先日公表された「2018年版ものづくり白書」を見てみよう(リンクから無料で見られる)。このうち「第1章 我が国ものづくり産業が直面する課題と展望」にある「第1節 我が国製造業の足下の状況」を確認したい。ここで白書は、正直にこう書いている。

「中国での人件費の上昇など海外経済の環境も大きく変わっており、相対的に日本国内の競争力が必ずしも比較劣位をもつわけでないようになり、アジア間での生産体制の見直し、その中で海外拠点の国内回帰の動きも見られるようになった」。つまり、こう書くと身も蓋もないが、日本人も相対的に安くなったから日本国内で生産してもよくなった。

そこで、中国などの人件費は高騰しているし、実際に、少なからぬ比率の企業が日本国内へ生産回帰しようとする動きを伝えている。ただし、日本もアメリカ同様、生産回帰が進むためには、「高度技術者・熟練技能者の確保」など課題があげられている。

かつて、低コスト労働を求めて、どんどん海外調達や海外生産を推進した。気づけば日本人も安くなった、だから生産を戻そうと思ったら、やはり人がいない。これはアメリカが通ってきた道なのかもしれない。

そこで、次に、「2018年版中小企業白書」を見てみよう。項目は「第6章:M&A を中心とする事業再編・統合を通じた労働生産性の向上」だ。

私は調達・購買部門に属していたし、現在は調達・購買コンサルティングを行っていると言った。大企業は日本の製造業者から低コスト国の製造業者に目を向けた。その結果、どうなったのだろう。この「中小企業白書」によれば、1996年度を100としたときに、2016年度の企業1社あたりの売上を比較すれば、こうなっている。

大企業:98.4

中規模企業:84.5

小規模企業:70.5

(注・引用「大企業とは資本金10億円以上の企業、中規模企業とは資本金1千万円以上1億円未満の企業、小規模企業とは資本金1千万円未満の企業」)

大企業はなんとか踏ん張っているものの、中規模企業は15%強もの売上を失っている。さらに小規模企業は30%弱の下落にいたる。想像すればわかるとおり、年々、売上が下がっていく会社にいればなかなか希望をもつのは難しいに違いない。

さらに経営者の年齢分布でいえば山が、20年間で47歳から66歳へ移動した。後継者も、60代以上の経営者が担う企業は、48.7%が不在としている。

ただし、これはポジショントークではなく、かつて低コスト国にシフトしたことが間違いだとは思っていない。労働集約型の製品であれば、低コスト国からの調達が最善策であっただろう。さきほど中規模企業、小規模企業の全体で売上が下がっていると紹介したものの、研究開発にすぐれ付加価値創造を実現し成長を続ける企業もたくさんある。

さらに、低コスト国から仕事が戻ってきたといっても、それは日本が担うべき仕事だろうか。さきの「ものづくり白書」を見ると、人材確保対策について、「新規採用」というのが圧倒的で、現在の取り組みのうち「自動機やロボットの導入による自動化・省人化」は6.2%であり、「IT・IoT・ビッグデータ・AI等の活用などによる生産工程の合理化」は1.3%にすぎない。低コスト国からの仕事が戻るのを待つのではなく、もっと攻めの施策を重ねなければならない、といった指摘はたしかにうなずける。

調達・購買の明日

突然、話を変えるようだが、私は何回か転職した。そのうち某社の調達・購買部門は、いま思い返してもすぐれた結果を残していた。社内からの評判も高かった。その調達・購買部門で、トップから驚くべきことを聞かされた。

「調達・購買部門ができるのは、日本の空洞化だ」と。それが冗談だったのか、あるいは、レトリックだったのか、皮肉だったのか、逆説だったのか、それはわからない。しかし、違う社員からも、そのトップが同様の内容を話していたと聞いた。きっとそのままの意味でいっていたのだと思う。

実際に、中規模企業、小規模企業の売上で見るとおり、たしかにトップの狙い通りになった。

しかし、私は、これが望んでいた姿なのかと、ふと思う。

いまの日本は、かつて製造業で栄華を誇った時代の愉悦と、そしていつのまにか中国に後塵を拝するようになった現代の悲しみとが、明暗のようにそそり立っているように思われる。時代はめまぐるしく変わり、情報にいくらでもアクセスできるようになったにもかかわらず、その濁流のなかで次の方向性を定められず停滞している。

冒頭で無気力な部員たちについて書いた。しかし熱意があって、空洞化を狙い、そしてその通りになったら、次は地盤沈下を憂いているのだから、調達とは哀しい仕事にほかならない。しかし、何かを変えなければならないことだけははっきりしている。

そして、結論はまったく凡庸なものになる。企業は国内に残す技術と残さない技術を決める。残す技術はサプライヤー含めて強固な基盤をつくる。そして、これまでのように永久の取引関係を前提とするような関係から、比較的に短い取引期間を覚悟したうえでの売買関係に移る。取引先各社は、元請け依存の体質から脱却し、販売先模索を図る。他国以上の現場データをもっているので、その活用を図る。

2014年からはじまったこの連載は、5年後、今回をもって最終回となる。これまで海外の事例を紹介し、そこから日本企業へのヒントを抽出しようとした。しかし、状況が異なれば、ある施策は効かず、まったく同じことをやっても弊履と化す。

ではなぜあのサプライチェーン施策は上手くいって、ある施策は上手くいかなかったのか。それは場合による、としかいいようがない。もっと正直にいえば、現代の複雑系たる世界のなかで、単純な成功法則があるはずはない。

この連載を通じて、私が学んだのは、とにかく企業の施策はトライアンドエラーを繰り返すしかない、そして、その実験速度をあげるしかない、ということだった。なによりも、日本の企業が学ぶべきは、先端企業群の決断の早さではないだろうか。

その意味で、コンサルタントの仕事は、もはや背中を押すことだけかもしれない。

5年後に私はどのように振り返るだろうか。

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