「関わりたくない」

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多くの日本人は韓国と朝鮮人とは関わりたくないと心底思っています。
「竹島問題」「歴史認識」「従軍慰安婦問題」「日本は戦後補償を終えていない」など、どれもこれも言いがかりに過ぎない。

最近では自衛艦の旭日旗の掲揚を韓国政府は「戦犯旗」だと言ってインネンをつけるなど、まったくもって日本人はイライラのしどうしです。

ここまで日本に嫌がらせをしても、韓国経済が苦境に陥ると平気でスワップ取引を要求してきます。日本は戦後3回も韓国経済の破綻を助けています。

いくら助けても恩を仇で返すことしかしない朝鮮人とは今後付き合ってはいけない、彼らの品格はゼロです。

つまり朝鮮人はいかにしてうまく相手を騙すか、バレたらいかに言い逃れ
するかしか考えていません。朝鮮の歴史を追っていけば、「嘘と裏切り」のオンパレードで、彼らの歪みきった人間性がわかります。

もちろん人間世界は嘘と裏切りは、つきものですが、朝鮮族の悲劇は嘘と
裏切りで天下を取ればそれが長く続いて民衆の品格を底辺に落としてしまうことです。

今日の南北朝鮮が病んでいるのは、権力の座に座ったものが民衆の生殺与
奪を思うがままにして、暴虐の限りを尽くしたことです。法は権力者によって好き勝手に用いられ、人命も、道徳も顧みることがなかった。だから民衆は過酷な社会のなかで生き延びる為に、嘘つき人間に成ってしまった。

韓国人の歴史歪曲捏造はあまりにも酷く、目に余るものがあります。これが日韓の感情的なもつれの根本的な要因でもあります。

近現代史において日韓の歴史の食い違いは「日本は朝鮮の独立を奪った」という大嘘から始まっています。

もともと朝鮮は中国歴代王朝の千年属国であり主権さえ認められていなかった国なのに日本が独立を奪ったなど、よくこんな大嘘がつけるものです。

日本が下関条約の第1条で初めて朝鮮の中国からの独立を明記するまで、
千年の長きに渡り朝鮮は、中国の属国となっていた事実を韓国の歴史教科
書では決して教えない。

それどころか「我が国は5000年間一度も他国に支配されたことがない独立国家である」という偽りの栄光の歴史をあたかも真実のように国民に教えこんできました。

誰がどう見ても朝鮮は、中国の属国もしくはそれ以下の扱いを受けていたのです。韓国以外の各国では歴史の教科書で、朝鮮関連の記述において、全て例外なく「朝鮮は中国の属国であった」と記されています。それ以外は朝鮮関連の記述はほとんどありません。

その上韓国の歴史教科書の中で「日本は貧しく文化も遅れた後進国であり、朝鮮がいろいろ教えてあげたことで成長した国」という大嘘が書かれています

地獄の李氏朝鮮時代、日本では江戸時代です。江戸時代は、金鉱を有し、
交易をし、学問・教育・文化・芸術に恵まれ「世界有数の繁栄」を極めていたということを韓国人は知らない。

しかも栄えていたのは江戸だけではない。大坂や京都も大いに栄えた。当時のロンドン・パリが糞尿にまみれた不潔な衛生環境だったのに対し日本は清潔に保たれ都市環境と犯罪の少ない統治をしていたことが後に海外からも高く評価されています。

1801年のロンドンの人口が約86万人、パリの人口が67万人だった時代に江戸は1725年の時点で既に約110万人が生活する大都市です。

これらの事実は英国夫人イザベラ・バードの「朝鮮紀行(李朝末期)」に詳しく載っています。

千年属国としてあまりにも歪みきった朝鮮民族の精神は、日本によって独立を得てから100年位ではとても矯正できない、事大主義・属国根性に染まった現代韓国人の精神を健全なものとするには、まず最初の一歩として歴史の事実を認めることから始めなければならない。

反日韓国人が人間として立ち直るためには、嘘と裏切りの自国の歴史を直視する勇気を持たなければならない。

そこで朝鮮半島の歴史を検証して、民族の成り立ちや醜い過去に対する
コンプレックスなどを解き明かしていきます。

歴史上の最初の裏切りは三国時代に高い文化を誇った百済と高句麗を、新羅は中国唐の軍隊を引き入れて、不意打ちによって滅亡させ、自ら唐の属国に成ってしまった(676年)。

ところが韓国の歴史書では朝鮮半島を統一した新羅を絶賛していますが、実際は、新羅による統一は、中国の唐と結託して同胞の国である強国高句麗と文化と芸術の国であった百済を不意打ちすることによって滅亡させたものでした。

このことは日本書紀に詳細に記されています。660年に百済が滅亡して
日本に大量の亡命者がきました。そこで日本と文化交流があった百済の要望に答えて663年日本の大和朝廷が4万人の陸海軍を朝鮮半島に派兵して戦っています。(白村江の戦い)として記されています。

外国(中国唐)の軍隊を引きずり込んだ新羅による統一は結局敵であった隣国の属国に成り下がっただけでした。

新羅は中国の属国となることによって、元号を唐から拝借し、服装まで唐風に改め、創始改名を強いられ、一字性にさせられています。全面的に中国に媚びたことで民族の衰退を加速させています。

この事によって朝鮮人の意識構造に劣等感と事大主義をはびこらせて、
朝鮮族を転落させました。

次に民族の衰退と国民を堕落させた二番面の要因は李氏朝鮮の成立です。
1338年に高麗の右軍の司令官であった李成桂は中国明から遼東半島を
回復するために40000人の軍勢を率いて進軍中に、事もあろうに敵である明と戦うこともなく平壌に引き返してクーデターを行った。結果高麗は、外的と通じた裏切り者によって滅びてしまいます

李成桂は1392年に李朝を創建し、明に臣下の礼を取り、朝鮮は再び中国の
属国になりさがった。さらに朝鮮の事大主義は益々エスカレートしていきます。

高麗王朝から王位を略奪し、李氏朝鮮初代の王となった李成桂は、王位に
就くやすぐさま、当時誕生したばかりの明王朝にお伺いを立て、明の太祖から「朝鮮の国号」をもらっています。

呆れたことに他国に自国の国号を決めてもらった国など、後にも先にも朝鮮ただ一国です。

李朝は明を天使の国と仰いで、中国文化を徹底的に模倣します。

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