「情報攻撃」

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<近年、軍を動かすと同時に「情報攻撃」を展開するロシアの「ハイブリッド戦争」が注目されていた。アメリカ大統領選挙にともなうさまざまな「暴露」は、プーチンにとって「反撃」だった...>

先月、『暴露の世紀』(角川新書)という本を上梓した。昨年は米国大統領選挙に伴ってさまざまな暴露が行われ、パナマ文書の暴露もあった。少しさかのぼれば2013年のエドワード・スノーデンによる米国国家安全保障局(NSA)のトップシークレット文書の暴露、2010年にはウィキリークスによる米国政府公電の暴露があった。

こうした大規模な暴露の背景には情報通信技術(IT)の普及があることはいうまでもない。1969年に暴露されたペンタゴン・ペーパーズはタイプされた文書であり、オリジナルは15部しか作られず、3000ページの分析と4000ページの政府文書で構成されていた。当時の低い性能のコピー機で密かに複製するのには大変な労力と時間を要した。ところが、今は、自動送り機のついたスキャナーでスキャンしてしまえば、あっという間にPDFファイルができあがり、インターネットにアップロードして世界中にばらまかれてしまう。

もともとデジタルで作られているデータならもっと簡単である。日本で昨年注目された芸能人のスキャンダルも、もともとは携帯電話に残されたLINEのスクリーンショットが原因だった。スマホを持つということはカメラを持つということであり、ほとんどの人がカメラを常時携帯し、あらゆるものを撮影し、ツイッターやフェイスブックで暴露してしまうことになる。

世界政治を揺るがすような暴露は簡単に起きないとはいえ、日常的な暴露は毎日、毎時、無数に行われていると言って良い。ソーシャル・メディアを使うということ自体が自己情報の暴露をしているに等しい。自分がどこにいて、何を食べて、誰といるかを暴露していることになる。
ロシアによる米国大統領選挙干渉

『暴露の世紀』が出た後も関連する事件が次々と起こるだろうと考えていたが、12月29日には、米国のバラック・オバマ大統領がロシアへの制裁を発表した。米国駐在のロシア外交官35人を国外退去処分にし、ロシア政府が使っていた米国内の施設2カ所を閉鎖した。さらに、サイバー攻撃への直接関与や技術供与を理由に、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)など五つの政府機関、ロシア民間企業、GRU幹部4人を資産凍結などの制裁対象に指定した。その制裁の理由は、ロシア政府が2016年11月の米国大統領選挙に干渉したことである。

ロシア政府による米国大統領選挙への干渉とは、ロシアのインテリジェンス機関と考えられるグループが米国の民主党全国委員会(DNC)のコンピュータに不正侵入し、盗まれたデータが暴露されたことである。不正侵入グループが作ったと見られるウェブサイトやウィキリークスを通じてDNCの電子メールなどが暴露され、大統領選挙に伴う民主党内部のやりとりが明らかになり、委員長は辞任に追い込まれた。

ロシアの意図は何だったのか。オバマ大統領による制裁の判断の根拠になったのは、米国のインテリジェンス機関である中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)そしてNSAが協力して証拠を精査し、評価をまとめた報告書である。機密部分を隠した報告書もインターネットで公開された。

それによると、一連のサイバー攻撃はロシアのウラジミール・プーチン大統領が自ら指示したものであり、その狙いは、(1)米国の民主的なプロセスへの信頼を弱体化させること、(2)クリントン候補を痛めつけること、(3)クリントン候補の当選可能性と当選した場合の大統領としての任務を傷つけることだったという。

【参考記事】ロシアハッキングの恐るべき真相──プーチンは民主派のクリントンを狙った
【参考記事】オバマが報復表明、米大統領選でトランプを有利にした露サイバー攻撃

しかし、公開された報告書は、機密部分を隠しているため、状況証拠が並んでいるに過ぎないという印象を受ける。大統領選挙で勝利したドナルド・トランプ次期大統領も当初は疑問を呈し(後に内容を認めるものの)、ロシア政府の報道官は証拠になっていないと否定している。

報告書では、ロシア政府から資金を得ていながら米国で放送しているRT(かつてはロシア・トゥデイと名乗っていた)とロシア政府とのつながりに特にスポットライトを当てている。ワシントンDCにいるRTの女性編集長がプーチン大統領にブリーフィングする写真も掲載され、間接的にロシアのクレムリン(大統領府)から資金を受け、直接指示を受けていると示唆している。

トランプ情報の暴露と情報攻撃

これに続いたのがトランプ次期大統領についてのスキャンダルに関する暴露である。ただし、これはまだ真偽が確かめられていない。

1月初めに米国から来た人物は、「2013年にトランプがモスクワを訪れたとき、ホテルで不適切な動画を撮影され、ロシア政府が握っているという噂がワシントンで出回っている」と話していた。まもなく同旨の報道が米国で行われるようになり、それを裏付けるとされる文書が出回っていることが分かった。そしてその35ページの文書はネット上で全文暴露されてしまった。

今週11日、当選後初めて、トランプ次期大統領は記者会見を開き、文書の内容を全面否定する。文書について報道したメディアには質問を許さず、報道しなかったメディアを賞賛するという露骨な差別待遇を行った。

【参考記事】トランプ初会見は大荒れ、不安だらけの新政権

こうした暴露合戦は、すでに数年前から始まっている情報戦争の一環である。そもそもプーチン大統領がクリントン候補を嫌い、DNCからデータを暴露するという大胆な行為に出たのも、かねてからクリントン候補がプーチン大統領を批判していたからである。例えば、クリントン候補の著書『困難な選択』(日本経済新聞社)の上巻には以下のような記述がある。

"彼が激しやすく、強権的であり、批判に憤慨することが明らかとなり、やがては自由な報道機関とNGOの反対意見や議論を押さえ込むにいたった。"
"新ロシアの目にあまるひどい動きに、報道に対する攻撃がある。新聞、テレビ局、そしてブロガーが、ロシア政府の規制に従うよう強い圧力を受けた。二〇〇〇年以降、ロシアはジャーナリストであることが世界で四番目に危険な国となった。イラクほどではないが、ソマリアやパキスタンよりもひどい。"

こうしたロシアとプーチンに対する批判は、プーチンにとっては、「情報攻撃」だと映っている。「サイバー攻撃」という場合、我々がイメージするのはシステムやネットワークに対する攻撃だというイメージがある。しかし、ロシアがいつも使うのは「情報攻撃」という言葉であり、それはコンテンツを含んでいる。ロシア政治に文脈においては、政府批判もまた情報攻撃であり、クリントンは長年にわたってプーチンに対する情報攻撃を行ってきたとプーチンは考えてきた。それに対する「反撃」が大統領選挙への介入だったのだろう。

ロシアから見ると、パナマ文書でプーチンの側近の不正蓄財が暴露されたり、ロシアのアスリートたちのドーピングが暴露されてリオ・オリンピック出場が阻まれたりしたこともまた、米国と西側各国が仕掛けた情報戦争だと考えられている。

それならばと、米国が堅持する自由なメディア・プラットフォームの上で米国を批判し、ロシアを擁護するメッセージをロシアは流し始めた。

ハイブリッド戦争とポスト・トゥルース

ロシアは2008年のジョージア(グルジア)や2014年のウクライナをめぐる問題では、軍を動かすと同時に情報攻撃を展開した。こうしたやり方を北大西洋条約機構(NATO)の専門家たちは2011年頃から「ハイブリッド戦争」と呼ぶようになっている。2016年1月には難民問題に揺れるドイツで、ロシア系のドイツ少女が移民に暴行されたとする報道があったが、これもロシアによる偽情報の流布であり、ウクライナ問題で反ロシアの姿勢をとるドイツのアンゲラ・メルケル政権への揺さぶりだったと考えられている。

【参考記事】ロシアがドイツに仕掛けるハイブリッド戦争

昨年の米国大統領選挙でも、出所不明の偽情報がたくさん出回り、ソーシャル・メディアで拡散された。ロシアは「トロール」と呼ばれる人々が食いつきやすい偽の「釣りネタ」を流し、大統領選挙を混乱させようとしたと考えられている。

メディアが真実(トゥルース)を報道する時代は終わり、ポスト・トゥルースの時代が来たとする指摘も行われるようになっている。これまでは新聞やテレビで放送されることのなかった裏話や噂話がどんどんネット上に出てくるようになっている。そうした情報が真実ではないと否定するのはかなり難しい。

これほど多くの人がインターネットを使っていれば、情報は、漏れる、伝わる、広まる。そもそも人はおしゃべりである。他人の秘密を知ると話したくなる。隠しておきたいはずの自分の秘密でさえ漏らしてしまう。政府が秘密の仕事をしていることに気づくと、それを暴くことが正義にすら思えてくる。私たちはすでに暴露の世紀を生きている。

ニューズウィークより

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