「予言」

画像の説明 まもなく11月25日、三島由紀夫の命日の日がきます。昭和45年、どんな日だったのかというと、三島由紀夫は盾の会会員5名と共に市ヶ谷駐屯地に向かい堂々と闊歩して軍刀を下げて守衛がいぶかしがって「先生、お腰の物は何ですか?」と聞くと「これは指揮刀だよ」と言って、堂々と乗り込んでいったのです。

そして益田総監に会い刀を見せて「よい刀ですね」と言わせておいて、益田総監を縛り上げて演説した有名な日です。

自衛隊は三島由紀夫が演説すると「おい、文士、馬鹿、調子に乗るんじゃないよ、この色男、ひっこめ!」と、すごいヤジを飛ばして三島の演説が聞こえなくなったのです。後で三島先生の文章を読んでみると理論せいぜんとしています。狂気でやったのではありません。

みんなは狂気でやったのだと思っていたのです。知れば知るほど三島由紀夫の論理は一貫していて、少しも気がふれたところはありません。

当時、司馬遼太郎が「革命の元気は一人でよいのだ」ということを新聞の一面に書いたのです。「革命をやる人間の元は一人でよい」ということです。

三島先生の命日は吉田松陰の命日であり、後で考えてみると吉田松陰に波調を合わせているのです。

私情ではなくて、国を思う真心が噴き出したものだとわかります。今でこそ憲法問題だと言っていますが、この憲法のおかげでどれだけ我々は侮辱され、日本人としての魂を抜かれてきたのかということがよくわかるのです。

「この憲法に命をぶつけて死ぬ人間はいないのか?まして、自衛隊員と言えば武士です。武士が自分たちを否定する憲法を保って安穏としていてよいのだろうか。武士ならば、自らを否定するもののために命を投げ出すなどということは、論理的にできないだろう。自衛隊員は立ってこの憲法を改正しなければいけない。私に続け! 国会に乗りこみ憲法改正の革命をやるんだ!」と言ったのです。

三島由紀夫は割腹するのが目的ではなかったのです。結論的には自衛隊が全く動きません。ヤジや罵倒だけです。「これはダメだ」と思って、前もって考えられたことで、自ら「縄目の恥は受けない」ということですから、切腹したのです。

これは狂気ではないという証明に「20代の青年が本気で考えたことである。私に命をくれる」という森田必勝を道連れにしたのです。そのような出来事だったのです。

これは三島由紀夫の予言でもあります。「私が死んだ後は、金持ちで、何も考えすボーとして目先の利益だけしか考えないような奴隷だか幽霊だかわからない愚かな国民に成り下がるだろう。何故ならば、憲法は国の礎なのだから、それを否定されてまともに働く人間はいないだろう。私は最後の日本人である」と言ったのです。この内容は非常に深いのです。

そして、これは小説『豊饒の海』四部作に仕上がった日付になっているのです。『豊饒の海』四部作を読むと様々なことがわかってきます。これは、永遠の生命を現した作品で、魂が輪廻転生するという話です。

主人公は何回でも生まれ変わります。それを四回繰り返すという物語です。しかし、この中で問題提起があります。「暁の寺」で、「仏教とは霊魂は説かない。しかし、輪廻転生するということを教えている。魂が輪廻転生するならばわかるけれども、霊魂を否定しているのに、何が輪廻転生するのか?」三島由紀夫は仏教を勉強して知っているのです。魂は無い、しかし輪廻転生するのです。法相宗の教義です。

そこのところをどう答えるのか? これがこの小説の一番のテーマです。三島先生はどう思ったのでしょうか? 

この考え方は、吉田松陰の「七生報国」に重きを置いているのです。「七回この国に生まれて七回尽くす」三島先生の鉢巻きは七生報国だったのです。これも予言です。

三島由紀夫は、もっといろんなことを言っています。「私が亡きあとの世はこうなるだろう。無差別殺人が起きてくる」と言っています。関係の無い人間が関係の無い人間を殺すのです。テロのようなものです。しかも、「無差別殺人が行われてくるであろう」と言っています。

ずっと世相を見ていると無差別殺人が行われています。相模原障害者殺傷事件、秋葉原無差別殺人事件、通りすがりで何の因果もないのにナイフで刺したり、そのような事件があちこちで起こっています。このようなことが起きてくると三島由紀夫は予言しています。ピッタリ当たっています。

では、なぜそのようなことが起きてくるのでしょうか。これは小室直樹先生をまたなければいけません。

小室直樹先生は「一番大事なことはアノミーだ」と言っています。アノミーとは無連帯です。社会に連帯がなくなった状態を無連帯といいます。

人間は生まれながらにして何者かとつながっていたいのです。今は全然つながれなくなり、個人と個人が集まった社会になってしまい、どこにも連帯がありません。若者は「ここには連帯がないな」と気が付いて、ある者は暴力団に行くのです。暴力団は連帯があります。

ある人間は宗教団体に行くのです。後は、関東連合、暴走族のような暴力を主体にした団体に入っていくのです。暴力が面白いというのではなくて、そこに連帯があるのです。

社会は連帯がありません。隣も関係ない社会です。その中で貴様、俺、先輩、後輩、そのような社会があると憧れるのです。連帯が失われた状態、人間がバラバラになりつながりがない状態をアノミーといいます。

このアノミーは一番恐れなくてはいけないことです。これが様々なことを生み出してくるのです。

その時の日本は憲法も骨抜きで、金儲けばかりやっていて、自衛隊員も就職先だと、そのように考えていたのです。連帯がどこにもないのです。それは三島由紀夫が自衛隊で一緒に訓練して初めてわかったのです。

「自衛隊は武士の職業である」そんなことを自覚している人間はいないのです。みな自衛隊を職業だと思っているのです。

「よい就職先を探して」など、そんなことを考えているのだから、自衛隊に求めた連帯というものはなかったのです。

軍隊ですらそうなのですから、「30年~40年経った社会は、まったくバラバラな無連帯の時代がくるのに違いない」これは三島由紀夫の予言です。

連帯はつくらなければできません。「何によって連帯をつくるのか?」ということがわかっていないのです。自民党の連中は何一つわかっていません。「アノミーをつくってはいけないのだ」ということもわかっていないのです。

アノミーをふせぐには、2800年の万世一系の天皇陛下を中心にまとまるしかないのです。最初から我が国にはアノミーなどなく、一枚岩なのです。これが日本の一番の魅力です。

政治家はカン違いしていますが、経済成長など二の次、三の次でよいのです。一番大事なことは、天皇陛下を中心にした連帯です。反対勢力の姜尚中は「天皇は日王だ」と言うのです。ともかく日本の連帯が悔しくて仕方ないから日本を無連帯の国にしようと思ってくだらないことを言うのです。

今の世相はどうなっているのでしょう。三菱自動車がコマーシャルを流しました。すべてお辞儀が韓国式になっているのです。おへその辺りでつ両手をつないでお辞儀をするのです。これが韓国式です。NHKでもドラマの主人公が韓国式のお辞儀をするのです。知らない間に至るところで、韓国式のコンスというお辞儀をしているのです。セブンイレブンでも韓国式のお辞儀をしています。

何故かというと、広告会社が電通だからです。電通が企業を傘下に置いて広告をつくります。広告は電通でないとできません。

朝鮮式のお辞儀を流行らそうとしているのです。とんでもないことです。このようなことがいたるところで行われて日本の良さを無くしていこうとしているのです。これはまさしく鮮害です。とんでもないことです。こんなことを許してはいけません。

電通がほとんど朝鮮人だから、この間死んだ東大生の女の子の上司は朝鮮人です。日本人が憎いから苛めて苛め抜いて遂に殺してしまったのです。そのようなことをやるのです。電通の社員式では、男はみんな裸にさせてお尻をなめ合うのです。韓国式の軍隊と同じです。そのようにやられているのです。

電通の社員の一番上にいるのは、各企業の御曹司です。会社の社長の息子を入れるのです。そいつらは仕事をしません。その下の中間管理職に朝鮮人がいて、その下に日本人を入れるのです。

自動的に電通に入ると上に朝鮮人がいるのです。そのような変なことをやるので、嫌な人は辞めるのです。言うことを聞かない奴はどんどん苛めていくのです。

いつから電通が朝鮮企業になったのでしょうか? NHKもいつから朝鮮企業になったのでしょうか?

日本の良い伝統を破壊して、よくない朝鮮の風俗を持ってこようとするのでしょう。ここは日本です。何故、日本人が韓国式のお辞儀をしなくてはいけないのでしょう。とんでもありません。鮮害です。

これは一つの出来事ですが、至ところで日本の家庭を壊し、伝統を壊し、天皇の元に団結できないようにしているのです。あの姜尚中も東大教授を辞めたとたんに天皇のことを「日王」と言っているのです。

天皇とは団結の象徴であり、日本民族の統合の象徴です。それが日本の誇りでなければいけません。そのことは「絶対にさわらせない!」という自覚がないと、本当の日本人だと言えません。天皇を中心にしてアノミーをなくしていく以外方法はありません。

日本人は国家と伝統があるから優秀です。朝鮮ごときの文化など50年そこそこです。その前は中国の奴隷をやっていたのです。

何故、朝鮮人は日本を学ぼうとしないのでしょう。へんちくりんな朝鮮文化を至ところで押し付けているのです。ケツをなめるなど、日本の文化にはありません。腹立たしいことです。

それを三島先生は見抜いていて、朝鮮人がいたるところに入り込んでいるということは当然知っていたのです。この中で日本精神をどのように復活していくのか、そのために命を賭けたのです。

三島先生の予言「無連帯の社会がくる」、小室先生は「アノミーほど怖いものはない」と言いました。我々はそれに気がついて団結の中心を天皇に戻さなければいけません。そのことができない憲法改正など意味がありません。

50年そこそこの朝鮮の真似をする必要があるのでしょうか。我らは2800年の歴史をもったすごい民族であるということを憲法に置いて表さないと意味がありません。

世界が日本を学ぶのです。日本の文化を学ぶのです。そして世界は平和になるのです。
 

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