「古事記と科学」

画像の説明 宇宙創成にまつわる現代の宇宙理論物理学の最先端理論である超ひも理論と、古事記に描かれた創成の神々が百パーセント、リンクしているというお話です。

世界に神話と名のつくものは多々ありますが、現代科学の最先端と相互リンクできる内容を持った神話など、他に類例がありません。

まさに日本おそるべし、古事記おそるべしだと思いました。

もっとも、多少、私の解釈とは違いもあって、5組の男女神についての考察は、竹内氏は地球上の進化の過程を示したものと捉えておいでなのに対し、私は太陽系の惑星を意味していると解していますので、そのあたりは意味が異なります。

けれど、その前の7代の神々については、まさに宇宙創成を意味しているということに一致がありました。

それにしても古事記はおそろしい文書です。

ビックバンからの宇宙創成だけでなく、ビックバン以前の時空間で起こった出来事から、宇宙が無限であること、地球が太陽の周りを回っていること(地動説)、地球の自転(自(おの)ずと転がる)まで、西洋科学がこの事実を証明して定説とするよりも千年も前に、それらの事実を見事に神話として描いています。

ですから古事記は古来、「これは神の書だから、一字一句たりともおろそかにして読んではいけない」とされてきました。

それはつまり、科学や人類の進歩が古事記の知恵に追いつかないうちは、とにかくその記述内容を正確に後世に残しなさいという意味であったということができます。

古事記の知恵は、科学だけでなく、経営や日常の生活にも密着した、日本古来の知恵が、そこに満載されています。

ですので古事記の解釈について、このブログや、倭塾、あるいは講演などで、その行間にある意味を含めてお話させていただいています。
本は、いま、最後の書き直しをしているところです。

以前にも書きましたが、古事記に限らず和歌も同じなのですが、原文はひとつです。

それを読み下すとなると、たとえば高天原を「たかまがはら」と読むのか、「たかあまのはら」と読むのかなどの解釈が入ります。

さらに意味の解釈となりますと、これまた千差万別で、百人いれば百通りの解釈があります。
これはそういうものです。

ただ、日本の古典を読むときに、ひとついえることは、たとえば「恋の話」と書いてあったから、その和歌を恋の歌としてしか解釈しないのでは、不正解ということです。

とりわけ古事記を読むときは、たとえば「意富(おほ)」と漢字で書いてあっても、それは漢字そのものの意味と大和言葉の意味が共通する場合と、「以音」、つまり漢字の音だけを用いていて、文字には意味がない(大和言葉で書いてある)場合があります。

それは原文にちゃんと注釈があるわけです。
そうであれば、その注釈に注意しながら読まないと、解釈を間違えます。

早い話、古事記では、オロチを「大蛇(おろち)」と書いてあるところと、「遠呂智(おろち)」と書いているところがあるのです。

その違いを、ちゃんと踏まえながら解釈しないと、そこに何が書かれているかを読み違えてしまうわけです。

このため、古い昔からの解釈であっても、その解釈がまだ読み込みが浅いということが多々あります。
そういう点を、地道に読み進めていかなければ、古事記の真の姿は、見えてこないからです。

それにしても、ひさびさに『古事記の宇宙』、楽しませていただきました。

ありがとうございました。

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