「主義主張」

画像の説明 日本には、天皇を中心とした古くからの社会システムがあり、それは◯◯主義といった西洋的な範疇に入るものではなく、もっと根源的な惟神(かんながら)の道に通じるものといえます。

ですから、皇民主義という言葉が適切なものかどうかはわかりません。

ある意味、これは造語と言って良いものだからです。

この用語を用いたのは、民主主義とか自由主義とか共産主義とかいった、あくまで西洋的イズム(主義)の概念との対比のためです。

日本においてシラスというのは、漢字では「知」と書きますが、これは「神の随(まにまに)」という意味です。

高天原においては、天照大御神が高天原をシラス御存在です。

つまり、天照大御神は、天照大御神以前の創成の神々とつながり、創成の命(みこと)をもって高天原をおさめられます。

おさめるというと、単に上から下への流れになりますが、シラスの場合、下から上への流れもあって、高天柄原のすべての八百万の神々を代表して天照大御神様が創成の神々とおつながりになられる。

つまり、シラスは、上から下への「おさめる」と違い、下から上への中継をなされるという意味が含まれます。

地上においては、天照大御神直系の歴代天皇が、民衆を代表して神々とつながり、また神々の命(みこと)をもって、国家の最高権威となられます。

その国家最高権威が、臣民を「大御宝」とし、民の中から臣を親任して政治権力を与えます。
この国家最高の権威と、国家権力を切り離した形こそ、シラスを統治に活かすための根幹になります。

ですから天皇によって親任された権力者にとって、民は天皇の大御宝ですから、臣はどこまでも民が「豊かに安全に安心して暮らせるようにする」ことが最大の使命となります。

これを「民こそが大御宝」という点に着目すれば、シラスは「究極の民主主義」というべきものです。

諸外国の場合は、天皇にあたる存在がありません。
王や皇帝、大統領、書記長、領主など、呼び方は様々ですけれど、権力者は神から権威と権力の両方を授かります。

つまり、神の力を代理する存在です。

代理する人ということは、神の持つ権威権力を代行するわけですから、臣に対しても民に対しても、権威権力者は絶対的な支配者となります。
日本の古い言葉では、これをウシハクといいます。

ウシハクは、政治においては圧政を生みます。
その圧政から逃れるために、18世紀以降、様々な努力が欧米の国々で行われ、その結果として誕生したのが、民主主義、共産主義です。

ちなみに、欧米では「自由の国」とか「自由主義」という言葉も使われます。

これは、単にやりたいことができる放縦を意味するのではなく、「圧政からの自由」を意味します。
ですから彼らが「自由を我々の手に!」などと叫ぶときは、その意味するところは、どこまでも政治的権威権力による圧政から自由でいることを望むとい意味であって、それは決して、「やりたい放題」や「身勝手」を意味するものではありません。

多くの日本人は、ここを誤解しているようです。

共産主義は、民主主義のさらなる発展系と説明されますが、究極の問題点は、共産主義の目標が、ユートピアにおかれていることです。

ユートピアは、理想郷ですが、その理想郷については、誰もその統治の形態がどのようなものなのかを説明せず、ただ各自が勝手に、夢を描きます。
統治をするためには、そのための具体的な仕組みが必要です。

つまり「統治する人」が必要になります。
ところがその「統治する人」が人々の上に立った瞬間、それはブルジョアジーとなり、誰もが平等というユートピアが失われてしまいますから、粛清の対象になります。

粛清されたら統治はできませんから、「統治する人」は、反対派を粛清します。
そこから生まれるのは、この世の地獄です。

一方民主主義は、民衆こそが国の柱と考えると、そこまでは良いのですが、政治はその民衆から選挙によって選ばれた人が行うことになります。

たとえば議会制民主主義を例にとると、議会制民主主義は選挙によって選ばれた議員が政治を司るとされていますが、選挙には、複数の人が立候補するわけです。

仮にすべての選挙区が接戦となり、合計すると51:49で勝敗が決まったとしますと、この瞬間、敗れた49の人たちの政治的意向は受け入れられなくなっています。

そうして選ばれた人たちが議員となって与野党で対決し、これまた51:49で決議されると、これまた49の議員の政治的意向は無視されることになります。

ということは、議会の決議は、2分の1×2分の1,つまり有権者の4分の1の意向でしかないことになります。

逆にいえば、この時点で4分の3の有権者の意向は無視されているわけです。
さらに全体の投票率が5割しかなければ、可決は有権者総数の意向の8分の1です。

これは9割近い人々の政治的希望が無視されていることを示します。

つまり計算上は、選挙を制した国民の1割の人の意向が、国の意向になるわけです。

もし、会社において、社員のなかの1割の人の意見が、社長の意向さえも無視できるという状態になったら、はたしてその会社はどうなるでしょうか。
その会社は、本当に社員にとって幸せな会社になることができるでしょうか。

社長は、会社が倒産すれば、会社の債務は、たいてい社長個人が連帯保証人または連帯債務者になっていますから、社長は破産します。

多くの社員を露頭に迷わせることにもなるわけですから、社会的にも重大な責任を生涯負い続けることになります。

つまり社長(部長、課長も同じです)は、社内的権力を持ちますが、同時に責任を負っています。
けれど、社長でも部長でも役員ですらない社員の1割が、事実上会社の経営権を握っていたらどうなるのでしょうか。

これが戦前の帝国憲法になると、有権者は高額納税男子だけとなっていましたから問題はもっと大きくて、全国の交番まで民政党系と政友会系と同じ町内に2つの交番ができました。

大正から昭和初期には、社会の隅々まで、対立の構造になってしまっていたのです。

あるいは駅の駅名表示の看板は、鉄道大臣が政友会系のときは右書き、民政党に政権交代すると全部左書きに書き換えられました。

どう考えても社会的な無駄ですが、これが公然と行なわれるようになりました。

帝国憲法では、予算決定権は議会が握っていました。

ですから政府が予算案を出しても、選ばれた衆議院議員が、否決したら、それで終わりです。
内閣は総辞職することになります。(倉山満著『帝国憲法の真実 』より)

そして議会には、ドンがいて、そのドンが部下の議員の選挙費用や選挙区の人気取りの面倒をみていました。

ドンはカネがかかりますから、戦前においては、そのドンが財閥とくっついて、資金を得ていました。
戦後も、この仕組みは変わりません。
戦後は、財閥の代わりのポストに、在日利権がのし上がってきたというだけのことです。

「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と書いた帝国憲法下の政治体制が、なぜこのような歪んだものになってしまったのかというと、答は自由民権運動によります。

帝国憲法が作られるとき、この第一条の理念を護るために、その他の点は、民権運動家たちの言い分を、ほぼ全面的に取り入れたのです。
これが、帝国の最大の過ちとなり、結果として、大陸で日本人が、どれだけ匪賊に悩まされても、どれだけひどい目に遭わされても、国内で在日外国人の犯罪によって多くの命が奪われようが、国勢の関心は、常に議会対策だけという情況になっていきました。

満洲建国を認められなかったからと言って、果たして日本が連盟を脱退までする必要があったのでしょうか。

いまの国際連盟では、支那にせよソ連にせよ米国にせよ、国際社会でどれだけの非道をしようが、だからといって国連を脱退するようなことはまったくしません。

ソ連は大国を自称していましたが、いまのロシアをみたらわかりますけれど、GDPのランキングでいえば、あの韓国よりも下です。

中共も米国も度々国連の費用を滞納しますが、それでもロシアとともに安全保障理事国です。
その彼らは、どれだけ国際社会から非難を受けても、絶対に国連を脱退などしないし、安全保障理事国という地位も手放しません。

そのように考えると、当時の日本が国際連盟を脱退した行為は、日本の国内世論向けにはいかにも「三行半を叩きつけた」ようで、世論の賞賛を浴びたかもしれませんが、国際社会においては、まったくの大損な行為です。

現に、それによって舐められた日本は、支那事変、大東亜戦争と、まるで泥沼の戦いを余儀なくされています。

要するに、民意を得るためにといいながら、実際には、MAXでも、世論の8分の1の意見しか採用されず、その8分の1の利得が、国政に影響を与え、残りの大多数は無視される。

その一方で、民衆が衆愚の道具とされ、議員は議員でいるために、ひたすらカネを必要とする。

議会制民主主義の内在する問題は、本当の国益となるべき多数意見が見えなくなり、さらに衆愚政治に陥って、国政にもっとも重要事である国益が損なわれても、まったく問題にされなくなるという点にあろうかと思います。

なぜなら、国民の9割の豊かさと安全と安心は、構造的に無視されているからです。

これに対し天皇を中心としたシラス国では、皇という権威が、臣という権力者を任命します。
臣は、政治権力を行使しますが、その行使する相手は、皇の大御宝です。

そして政治権力行使の結果が、民にとって不都合なものであるならば、臣はその責任を負います。

平安末期の12世紀に生きた藤原忠通は、従一位、摂政関白太政大臣と、いまでいうなら内閣総理大臣と衆参両院議長と最高裁長官を全部合わせたほどの権力を持ち、堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇と、5代の天皇に使えた実績を持った大殿と呼ばれる一大権力者でしたが、最後には後白河天皇に失政を咎められて、失脚しています。

すべての権力と財を奪われて放逐された忠通は、最後は出家し、五条という身辺の世話をするひとりの若い女性だけしか、そばにいないという情況になりました。

この世の栄華のすべてを手にしていた忠道は、すべてを失ったとき、本気で五条を愛し、生まれて初めて本気でひとりの女性を愛しました。
けれど、そのとき忠通は、齢62歳です。
五条の年齢はわかりませんが、おそらく20代でしょう。

若い五条には、忠通の愛はわからないことでした。
五条は、別な若い男性と恋におち、その密会の現場を目撃した忠通は、悲しみのあまり、発作を起こして亡くなっています。

「権力は常に責任とセット」というのが、日本古来の考え方です。

ですから権力者は、「偉い人」ではなく、「エライ人」でした。

何かあったら責任を取らされる、しんどい人という意味です。

そして権力を持つ人、つまり人の上に立つ者は、常に自分が担当している民全部について責任を負いました。

51の希望が叶えば、49を見殺しにしても良いなどとは、決して考えられないです。
なぜなら51も49も、等しく天皇の大御宝だからです。

だからこそ、みんなが納得するまで話し合いをしました。

ときにあくまで反対という強硬派も生じます。
けれどその場合は、投獄、処罰、処刑を与えることができました。

それによって不都合が起きれば、処罰した側が責任を負います。

そのバランスを、極限まで整える努力がされていたのが、もともとの日本です。

なにも、民主主義がダメと申し上げているわけではありません。

何事にも、良い面、悪い面はあるものだと思います。

けれど、私たち日本人は、大東亜の敗戦という最悪の事態と、嘘八百で日本人が民族ごと貶められるという恥辱と、国家単位でカネをムシられ続けるという不幸と、長引く平成不況という絶望と、相次ぐ大震災という試練を迎えているわけです。

その現実を乗り越えて、過去の良い面、いまの時代の良い面を足して、よりよい未来を築いていくことが、私たちに与えられた使命なのだと思います。
憲法論議が始まろうとしていますが、憲法を国の柱とするというのなら、何よりも先ず、日本という国についての国家観の樹立とその意識の共有化が必要です。

小手先のテクニックではない、そういう本質的な議論が巻き起こることが大切なのではないかと思います。

コメント


認証コード9068

コメントは管理者の承認後に表示されます。