「自業自得」

画像の説明 香港でほぼ2年前、学生主導の「雨傘運動」が起こり、市民が街頭に出て「行政長官」を選挙で選ぶ権利を訴えた。

英国の植民地だった香港が1997年に中国に返還された際、限定的ながらも民主主義が保障されていたためだ。

香港の中心部を占拠する抗議運動は約3カ月続いたが、中国政府は譲らず、抗議は実らないままに終わった。この時点ではまだ、最も急進的な人たちでも中国からの完全な独立は訴えていなかった。

それが今、独立への支持が香港政治に加わった。その大きな要因は中国政府のかたくなな姿勢と、抗議運動を受けて香港を「懲らしめる」動きに出たことだ。

2014年の抗議運動後、初めての選挙となった4日の香港立法会(議会)選挙で、(香港住民による投票で香港の政治体制を決めるべきとする)「自決」を公然と支持する6人の候補者が当選した。

住民の直接選挙で選出される40議席の15%にあたる。残りの30議席は、中国政府とつながりの強い業界別の「職能代表枠」で選ばれる。

選挙前、中国政府が香港独立派と見なす候補者を弾圧したにもかかわらず、風穴が開いた。出馬を認められなかった候補者は6人にのぼる。しかもそのうち5人は、香港は「中国の不可分の一部」であるという確認文書への署名に応じていた。香港政府が5人を排除したのは、誠実な署名であると認められなかったからだという。

出馬を認められた候補者も選挙運動のビラなどに検閲を受けた。「自決」や「住民投票」などの文言が含まれていたからだ。選挙運動への寄付を受け付ける銀行口座の開設を阻まれた候補者もいる。このような介入がなければ、自治拡大を支持する候補者が直接選挙による議席の3分の1を獲得していた可能性がある。中国の強権姿勢に対する反発が、これ以上にはっきりと表れることは想像しがたい。

香港の分離独立主義の広がりは、おおむね中国自らが招いたものだ。

香港のミニ憲法である特別行政区基本法は、立法会と行政長官の選出は最終的に普通選挙に移行すると規定している。中国政府は14年、この規定をないがしろにして雨傘運動を引き起こした。警察の催涙ガスから身を守るのに雨傘が使われたことにちなむ名だ。その後の中国政府の強硬な対応が自決運動の広がりにつながった。

これまで香港の分離独立を訴える人々は、周縁に位置する急進派と見なされていた。しかし今、最終的な独立を支持する議員が立法会に入り、その考え方が主流化していくかもしれない。

中国を支配する共産党の強硬姿勢は、党指導者らが考える国益を反映しているのかもしれない。つまるところ、香港で民主化が進めば、上海や北京も同じことを要求するようになる可能性がある。

独立運動の台頭は、中国政府の柔軟性のなさが生んだ危険な結果だ。

多民族の新疆ウイグル自治区やチベット自治区をはじめ、中国は数百年とはいわないまでも、数十年来の分離独立運動を国内各地に抱えている。言語は完全に同じではないとしても、民族的には中国国内の大部分と同一の香港で分離独立運動が台頭したことに、中国政府は目を覚ますべきだ。

他のアジア諸国に対する示威効果は強烈だ。20年前に返還されたばかりの旧植民地で自国市民を離反させてしまうようなありさまで、中国政府は対外的にどのような「ソフトパワー」を発揮できるというのだろうか。

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