「人災」

画像の説明 台風10号が東北・北海道を直撃し、たいへんな災害をもたらしました。
被災地された皆様には、心からのお見舞いを申し上げます。

その上で、河川の氾濫による水害は、あえて「人災」と呼ばせていただきたいと思います。

もちろん、異常気象とか、10号が予想外の大型台風であったこと、あるいは台風が東北を襲うことは、めったにあり得ないことであった等の諸事情を踏まえてです。

地震は、ある程度、やむを得ないことです。
けれど水害は、対策さえきちんとしていれば、相当までは防げるものです。もちろん雨が降ることは防げません。

しかし氾濫は予測可能ですし、被害を食い止めることは、現実に可能です。

埼玉県の、さいたま市、川口市、越谷市、草加市、春日部市、杉戸町などは、土地の低いところです。

ここはもともとは東関東海といって、縄文時代まで海だったところです。

土地は低く、江戸時代までは、荒川や江戸川、利根川の洪水によって、江戸の町が水没することを防ぐために、大水が出た時には、意図的に埼玉側に水を氾濫させ、そちらを水浸しにすることによって、江戸の町の水没を防ぐという洪水対策が採られたりもしていました。

いまでこそ、この一帯は住宅の密集する都会部となっていますが、ですから、もともとは、水に弱い土地だったのです。

このため昭和22年のカスリーン台風のときや、昭和41年の台風26号のときには、県内のほとんどの家屋が1Fがまるごと水没するという被害に遭いました。

ですから、利根川と江戸川に囲まれた地区などでは、昔は田畑を営むこともできず、牧畜が行われていたりもしたわけです。
ところがその畜産農家が、戦後のどさくさで江戸川をさかのぼってやってきた三国人によって、勝手に殺され、上野、浅草界隈の闇市で売られるという被害が頻発、ただでさえ打撃を受けたところに、カスリーン台風がやってきて、大打撃を受けるなどという、たいへんな時代があったわけです。

また、草加市の松原団地では、昭和50年台ころまでは、台風のたびごとに1Fが床上浸水するのが、毎年の恒例行事にもなっていたくらいです。

ところがこうした事情から、国というよりも、県が本気を出して災害対策に取り組み、国道16号線の下に東京外郭放水路を築き、また堤防の高さと形状を抜本的に見直し、しかも毎日、その堤防の情況について、保守点検員の国土交通省の職員が、毎日数十キロ、堤防の土手の上を自転車で走りながら堤防の保守点検を行い(これは本当に毎日行われています)、絶対に、二度と洪水が起きないように、対策を講じるようになりました。

その結果、すくなくとも東京外郭放水路ができてから以降、下水の処理能力不足による部分的な水害(はあるものの、河川の氾濫等による大規模な水害は、いまではまったくおこならないし、500ミリを超える大雨が降った時も、東京外郭放水路は、わずか50%に満たない貯水稼働で、被害を封じ込めることに成功しているのです。

つまり、人の知恵と努力によって、水害は防げるものなのです。

ところが、たとえば今回、甚大な被害が発生したI県では、先日東京都知事選に出馬して話題をさらったM元知事は、県の借金を1.4兆円も膨らませていながら、水害対策はまったく手付かずでした。

また、同県を地盤とするO代議士は、巨大なダム建設の利権問題がささやかれましたが、結果としてみれば、水害対策には、ほとんどお金が使われてきませんでした。

1.4兆円もの予算があれば、東日本大震災の津波被害の問題もあったわけですから、県内の洪水ハザードマップをつくり、これにたいする対策として、堤防補強工事を推進し、また橋梁の補強工事を実施し、さらに町役場、警察、消防、自衛隊の連携による、防災対策要項を整備し、県民に防災対策マニュアルを配布し、また各市町村役場や学校などの公共施設に、災害用備蓄食料の確保を行うことまで、県単位なら、すべてを実現してしまうことが可能な金額です。

その1.4兆円がいったいどこへ消えたのか。

思うに、戦後の傾向として、政治や行政に携わる人たちは、その職員たちが、ほんとうに真面目に市民のためにという思いで仕事をされている方がほとんどである一方で、上位に立つ人たちは、ひたすら自分だけの利権や役得を追い求めるばかり、要するに自分の懐を肥やすことにのみいそがしくするばかりで、肝心の市民、県民の生活がどうなるかなど、ほとんど「知ったこっちゃない」という傾向があるような気がしてなりません。

私は、公共工事推進派です。
いわゆる箱モノと呼ばれる公共工事は、どんどん行われて良いと思っています。

ただし、それが価格競争ではない談合によって、業者の利益が完全に守られ、業者は価格ではなく、工事の質で競争をするという前提で、です。

社会のてっぺんがそうあることによって、世の中は、より良い工事こそが大事という社会的姿勢が生まれるのだと思っています。

しかし、談合が否定され、公共工事が価格競争となり、にもかかわらず、なぜか箱モノ行政が行われる。

すると、そこに利権が生まれ、利権のために裏金が動く。
裏金がイケナイというのではありません。
裏金が、結果として、市民、県民の利益にまったく結びつかない一部の人たちの利益だけにしかならないというのでは、これはおかしな話です。

もちろん談合があった時代にも裏金が動くということはありましたし、賄賂もありました。

しかしそんな賄賂や裏金以上に、表のお金、つまり工事そのものによって得られるたしかな利潤があったし、それにより、数多くの土木建設労働者が養われていたし、その数が多いことが結果として、人材の厚みとなって災害復興を、またたく間に行わせることができるという社会環境を生んでいたのです。

談合がご禁制となり、競争が工事の質ではなく、いたずらな価格競争となり、結果、社会の多くの人びとの職が奪われ、長年の経験を持つ一流の大工さんよりも、コンビニでバイトをしている学生の娘の方が月収も年収も多いなどという、おかしな社会現象が生まれ、結果、社会全体が貧困化し、ごく一握りの「上に立つ」人たちだけが、政治利権と裏金で、贅沢三昧な暮らしを手に入れている。

そんな社会は間違っています。
しかもそんな社会は、かつての日本にはありえなかった姿です。日本はいまや、まるでどっかの国と同じになろうとしています。

政治を変えるのは、政治家ではありません。
国民です。
民度があがれば、政治の質もあがるのです。
民度の低い馬鹿な国民は、馬鹿な政治しか持つことができないのです。

いまの日本は、政治とメディアと国民の三者が一体となって、民度を下げ続けているといっても過言ではない情況に至っています。

台風10号は、私たち国民(臣民)に、「そのことに気づきなさい」という神々からのメッセージなのかもしれません。

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