「賭博?」

画像の説明 日本の株式市場は「カジノ」と化している

■株式投資の基本モデルは「東インド会社」

株式投資の話をする場合、オランダの「東インド会社」における船旅の話がよく引き合いに出される。リスクのある船旅(宝探し)に資金を投資した人々が、無事に返ってきた船から分け前を得る。それが、株式投資の始まりだったと言われる。

無論、船は無事に返ってくる保証はなく、必ずお宝を手にして戻ってくるとも限らない。嵐で船が転覆してしまえばそれで終わりだし、船が故障すれば船旅の途中で引き返してくる場合もある。

その場合、投資した資金は無駄になってしまうが、無事に高価な財宝(東インド会社の場合は香辛料)を見つけて返ってくれば、投資家達は投資した資金以上の報酬を得ることができる。それが、株式投資の基本モデルとされてきた。

現代の投資家達は、投資した資金以上の価値を生み出してくれると思われる企業に資金を投資し、企業活動によって生じた利益の一部を得る。これは誰が考えても健全な投資行為だと言える。

しかしながら、現代の株式市場においては、そういった利益の分け前(配当金)を期待して投資している人はごく少数だろうと思う。

現代の株式投資と、大航海時代の船旅投資が大きく違うところは、投資家の目的が、結果的に生み出された利益の一部を得ることではなく、利益が出る出ない以前の人気投票(美人投票とも言う)による値上がり益(キャピタルゲイン)を得ることになっている。

これは健全とは言えないまでも、まだまともな投資(投機)行為だと言える。

■「空売り」の隆盛と「梯子外しゲーム」

しかしこれだけでは飽き足らず、船が事故に遭うことに賭ける人や、投資家の不安心理を操って利鞘を稼ぐ人が出てきたことが現代の株式市場の特筆すべき特徴(問題点)とも言えるだろうか。

船がトラブルに遭遇することに賭ける(ベットする)行為は現代では「空売り」と呼ばれている。投資する資金が無くても賭け事ができるという意味では、投資行為と言うよりも博打行為に近いと言える。

中国経済の悪化懸念という嵐が吹けば「空売り」、アメリカ経済の利上げ延期懸念という嵐が吹けば「空売り」、イギリス経済の先行き不透明懸念という嵐が吹けばまた「空売り」という有り様で、世界中で何か1つでも懸念材料が伝えられると、マスコミのネガティブ報道も手伝い「右向け右」で、ほぼ全ての企業の株式が企業業績に関係なく空売りの標的になってしまう。

これでは、お世辞にも健全な投資行為とは呼べないだろう。投資と言うよりも、ただの「梯子外しゲーム」と言った方がピッタリとくる。

現在の日本の株式市場での空売り比率は40%をゆうに超えており、50%に迫る勢いとも伝えられている。

かつては30%を超えれば底入れとされた空売り比率が40数%というのは、明らかに行き過ぎだと思われるが、自由が放任されている市場では、その行為を直接的に止める術はない。

中国のような統制経済下にある無法市場では、「空売り禁止」や「空売り規制」という直接的な手段が用いられるが、日本のような法治国家(市場に限っては「放置国家」と呼ぶべきかも)では、合法的かつ間接的に市場に介入するしかない。

しかし実際は、口先だけの牽制が行われるだけで、何もせずに手をこまねいているような状態だとも言える。

■「空売り比率」が増加し続けることの意味

株式市場というものが、投資家から資金を預かって、その資金が上場企業の運営資金になるという大前提によって成り立っているのであれば、企業の経営が上手くいかないことに賭ける人々が増加し続けることは、株式市場としての存在意義的にも決して褒められたことではなく、あまり芳しくない事態だと言える。

自由主義経済下では「空売り」を人為的に制限することはできないし、するべきでもない。しかしながら、株価というものは、たとえ無意味なことに思われたとしても、1国の経済の先行きを占う指標として重要視されているものでもある。

投資家から企業への直接投資の場として運営されているのが株式市場であるなら、行き過ぎた空売り比率は、本来、放置するべきものではないと思う。

株式市場は株価の上げ下げをベットし合うことだけが目的のカジノではない。企業に投資する資金を集めることが本来の目的であるのだから、空売り比率が50%に迫るというような事態は許容限度を超えており、政府にとっても憂慮すべき事態であるはずだ。

純然たる投資目的で企業に活動資金を提供している人々が報われず、投資する資金を持たない空売り投機家が狂喜乱舞するというような理不尽さが罷り通るような市場が、果たしてまともな株式市場と言えるだろうか?

企業を応援する人々よりも、企業が潰れることを願う人々が増え続けるということであれば、それは株式市場の死を意味している。

市場は、経済を統制し過ぎることによって死を迎えることもあれば、経済を放任し過ぎることによって死を迎えることも有り得る。

かつて、「日本の金融は幼稚園児並み」と言った著名人がいたそうだが、その汚名を返上するためにも、日本の政治家にはもう少し株式市場に敏感であって欲しい。野党政治家はともかく、与党政治家までが株価に無頓着では大きな問題だと言える。

円安で株価が騰がっているうちは何もせずに済んだのかもしれないが、株価が下がってきても打つ手なしでは不甲斐が無いと思われても仕方がない。

空売りに睨みを利かすには、「減税政策」とか「経済政策」という合法的な方法が有るのだから、いつまでも指を食わえていないで、具体的な策を講じるべきだ。

こんなことを書くと、個人投資家の「恨み節」とか言われるのかもしれないが、自国の株式市場の低迷を嘆くことは、万国共通のごく当たり前の国民感情だと思う。

自国の株式市場の低迷に溜飲を下げて喜ぶような自虐的な輩(注)にだけは成りたくないものだ。

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