「日本人?」

画像の説明 面白い論考がありましたので、ご紹介します。

「保守」という言い方ではダメだと言うのです。
「右と言うのでも保守と言うのでもなく
『日本文明継承、継承、日承、肇国(のような表現に)』
とでも意識して言い替えるべき」としています。

さらにこの論考は、次のように述べています。
「日本人二様三態を二八の経験則(パレート分布、冪乗則)で案分すると、およそ1億余の日本文明継承者と2千万余の日叛人(ナリスマシ日本人、日本人モドキ)になると考えてイイ」

これもまた面白い論考だと思います。
日本には、「日本人」と「日叛人」がいるというのです。

「日本人」というのは、日本の古くからの歴史伝統文化、つまり日本文明を継承している人々。

「日叛人」は、いわゆる「ナリスマシ日本人」であって、殺傷、火付け、虚癖、匪慮、盗姦、貶日貪日を行う有害無益の存在であって、仮籍(かりせき、ナリスマシ血脈、籍だけ日本人)であり、なんちゃって日本人であって、「日本人モドキ」というべき人々ということになります。

おそろしいのは、いまや二八の原則によって、そうした日叛人が、5人に1人になっているという指摘です。

ではどのようにすべきかといえば、日本は、「ウシハクが思い描く国家とシラスに描かれた国家とは根本が違う」のだから、

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右も左も、保守も革新もなく
恨憐凭託情報屋の
「日本に居るだけで丸儲け~!貶日貪日ならなお儲け~!」
の終わりを始めよう!
名も無き偉人(ご先祖様)達の裔として、日本文明継承者(さざれ石:小さな手・小さな声)として、受忍日本の終わりを始めよう!」
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と結んでいます。

まず「日叛人(にはんじん)」という表現は、実に的を得ていると思いました。

さっそく単語登録させていただきましたが、「叛」という字がむつかしいので、私はむしろ「日反人(にはんじん)」という言い方のほうが、わかりやすいのではと思います。

また「保守」とか「右翼」とかいう言い方ではなく、「承継(日本文化承継)」という言い方は、これまでとは違った印象を与える言葉として活用できるものと思いました。
要するに、いまの日本には、

「日本文化を承継している日本人」と、「日本文化を承継していない日反人」がいる、ということです。
多くの人にたいへんわかりやすい指摘であると思います。

ウシハクが思い描く国家と、シラスに描かれた国家とは根本が違います。

シラスは、民衆が「たから」とされる「究極の民主主義」です。

世界には様々なイズム(主義)があります。
自由主義、資本主義、民主主義、立憲君主主義、共産主義エトセトラです。

けれど、どのイズム(主義)も、人の上に立つ者が権威と権限の両方を身にまとって、民衆を支配するという、トップの選び方はともあれ、最終的に支配と被支配の関係にあるウシハク体制であることに何ら変わりはありません。

そこで、ほんとうに本気で民衆が大切にされる社会を築くためにどうしたら良いのかを、真面目に考えてみます。
民衆が本当に大切にされるということは、「民衆こそたから」ということです。

では、誰の「たから」としたら良いのか。
それが政治権力者であれば、結果は、どのような体制にしても、ウシハク統治にしかなりません。

同時に、人々が社会を構成するためには、どうしても、社会に権力の存在は不可欠です。

その政治権力者が民衆に対する支配者とならないためには、どのようにしたら良いのか。

それにたいする、日本の古い時代の答えが、「権威と権力を分ける」という、高天原の統治のスタイルを、中つ国に援用することでした。

それは、国家の最高権威によって、国民が「おおみたから」とされる。

その「おおみたから」が、より豊かに安全に安心して暮らすことができるようにするために、政治権力があり、その政治権力者は、国家最高権威によって任命される。
これがシラス統治の形式上の姿です。

その最大の特徴は、国家最高権威が政治権力の行使をしないということです。

政治権力の行使をしないけれど、国民すべてを「おおみたから」とするのです。

ということは、政治権力者も民衆も、等しく「おおみたから」の内です。

するとどうなるかというと、ここにおいて政治権力者と民衆が「人として対等」になります。

日本人の持つ対等感は、まさにここが出発点になっています。
これにより、政治権力者は社会における「役割分担」だという観念となります。

つまりシラス統治というのは、本当の意味で民衆が大切にされる、まさに「究極の民主主義」なのです。
そしてこれこそが、わが国の国体の本義です。

日本人というのは、シラス国の住人です。
その日本にいて、日本を貶める人は、ウシハク存在になりたいだけの欲のかたまりです。

だから、日に背く日反人です。

では日本人がシラス国を取り戻すために何が必要かといえば、日本がシラス国であることを、日本人自身が学び知り、語り、伝えることであろうと思います。

なるほどいまの日本は、2対8の原則で、人口の5分の1が日反人になっていようかと思います。

その日反人の人たちは、ウシハク欲望にとりつかれた人たちです。
個人の欲得が原点になっていますから、彼らは真剣です。

では、残りの1億の日本人がどうかといえば、ほとんどの日本人が、日本文化をその心胆において承継していながら、これを単に空気のようにあたりまえのものとしていて、その大切さを説明できないでいます。

なんとなく、日本は良い国だとは思っているけれど、どれだけ日本が良い国なのか、それが空気のようにあたりまえのことすぎているために、説明することができなくなっています。

ところが日反人のおかげで、その空気が最近薄くなってきました。

だからなんとなくヤバイと感じる人が増えてきたのです。

それだけに、何がどうして、なぜおかしいのか、本来の日本の姿とはどういうものなのかを、わかりやすく説明し、広く内外にそのことを広めていく、つまり知らせていく努力が必要です。

まさに、シラス(知らす)です。

平家の全盛期、平清盛が政権を採っていた時代に、後白河法皇の第3皇子・以仁王を担いで挙兵した人たちがいました。
けれど建春門院は、これを許さず、結果親王宣下も出せず、計画は未然に発覚し、藤原景高・伊藤忠綱のわずか300騎で以仁王らは討ち取られてしまっています。

つまり一部の覚醒者が、兵を起こして革命を起こそうとしても、そのようなことはわが国の八百万の神々はお許しにならないのです。

最終的に平家は源氏によって討ち取られていますが、このときの源氏の兵力は、内容をみれば、坂東武者であり、その坂東武者の内訳をみれば、平家の武将たちがそこに数多く参入しています。

このことが何を意味しているかといえば、平家打倒が、坂東武者たち全員の、つまり国民の圧倒的多数の声になっていたということです。

わが国は、そうなってはじめて動く国です。

幕末も同じです。

維新の志士たちが脱藩までして、最後に幕府を倒していますが、これもよくみれば、万延小判によって、小判の改鋳が行われ、民衆が幕府の権威を否定するに至ったことが、おおきな動きとなっています。

1万円札が2500円の値打ちになったのです。
給料を新1万円札で10万円もらっても、買い物をしようとしたら、新1万円札では、2500円分の買い物しかできなくなったのです。

民衆の怒りが起きたのもあたりまえです。

残念ながら、いま、この瞬間の日本は、だいぶよくなってきたとはいえ、まだまだ保守は右翼と同じ、異端者としてしか見られていないのが実情です。

それよりも、東京五輪を前に、「日本の歴史伝統文化を継承する」といった、別な切り口は必要であろうと思います。

また、日本解体を目論む人々について、「日反人」というレッテルを貼っていくことも、大切な運動になろうかと思います。

その意味で、今回ご紹介したサイトは、実に良い提案をしていると思いました。

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