「国家の安全保障」

画像の説明 イザナキとイザナミは、最後のお別れのときに、千引岩を間に挟んで、

ミ「愛しき我が夫の命(みこと)よ、お前がこのようなことをなさるなら、私は汝の国の人草を一日に千人絞(くび)り殺しましょう」

キ「愛しき我が妻よ、おまえがそうするなら私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」
と対話しました。

一日1000の死と、1500の誕生なのですが、現在の地球全体での世界の人口は、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれているのだそうです。

もう少し細かく言うと、世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人増加しています。
いまや世界の人口は73億2366万人(2016年4月末現在)です。

先の大戦の頃の世界の人口は、約20億人でした。
もっとずっと昔の1万年前には、地球の人口は全世界で1万人だったそうです。

まさにいま、バンデミック状態で人口が激増しているわけですが、このままの調子で人口が増え続けると、あたりまえのことですが、食料不足がやってきます。

日本の食料自給率は、すでにカロリーベースで39%、つまり日本人は食料の受給の6割を輸入に頼っているわけです。
実に簡単な話ですが、どの国においても食料は、輸出よりも国内需要を優先します。

あたりまえです。
自国民の生存のために国家の政府があるのです。その国の政府は、他国の人々の生存に責任を負っているわけではなく、自国の民の生存に責任を負っているのです。民主主義国家なら、なおのことそうです。

つまり、世界の人口が増え、世界的に深刻な食料不足が起きると、食料自給率の低い国は、自国で食料を賄えない分、人が餓死して人口を減らすしかなくなってしまいます。

話を単純化していえば、日本の食料自給率が4割しかないということは、6割の人は死ななければならなくなるのです。

しかも、それは現在の話です。
日本の農家の平均年齢は、とっくに70歳を超えています。あと30年経ったとき、日本国内には、ほとんどの農地も農家も、なくなってしまっている可能性があるのです。

おそらく、このままの調子でいくと、30年後には日本の自給率は10%以下になるであろうと予測されています。

そして世界的な食糧難が襲うということは、日本人は10人中9人までが餓死しなければならない事態が、あと30年のうちにはやってくるということになります。

日本のすぐちかくには、昔から一般民衆が食糧難状態におかれ、農業生産が間に合わない分、人の肉を食べることで、巨大な人口を保持してきた国がありますが、日本人にはそのようなことは、おそらくできません。

そして、自分が死ぬこと以上に、我が子の死を見るのは辛いことですし、まして餓死させるなど、考えもつかない恐ろしいことです。

けれど、そういう事態は、このままの日本の状態が進めば、必ずやってくるのです。

イスラエルはユダヤ人国家で、人口わずか800万人の国で、四方を敵に囲まれています。

2千年の時を越えて、やっと自分たちの国家を再興することができた彼らは、ノーベル賞の受賞の22%、数学者に送られるフィールズ賞の30%チェスの世界チャンピオンの54%ノーベル経済学賞の過半数を常に保持しています。

ドローンは、日本国内では問題視されましたが、これを開発したのもイスラエルで、軍事技術として開発されたドローンは、いまでは、蝿くらいの大きさの小型のものまで誕生しています。

そしてそのイスラエルは、砂漠にある国でありながら、世界有数の農業立国であり、食料自給率は100%をはるかに超えた、つまり、農業輸出国になっています。

つまりユダヤ人国家であるイスラエルは、砂漠国でありながら、予測される世界の人口増加に伴う食糧危機についてちゃんと準備し、研究を重ね、国民が決して飢えることがないように、先に手を打っているのです。

では、なぜイスラエルが、世界の最先端の科学者や経済学者を多数輩出し、また食料受給に関しても先進的な手を講ずることができる国家となっているのでしょうか。

実はその理由が、「国家の安全保障」なのです。

イスラエルでは、小学教育の段階から、国を護ることの大切さを教えられ、またイスラエルやユダヤ民族の歴史を正確に教えられます。

そして国民全員が、国家の安全保障について、しっかりとした認識を持つように国をあげて取り組みがなされています。

そのため、国民にはその基本的生き方として、国を護るために自分にできること、という思考が自然と備わっています。

ですから、学者さんであれば、国を護るために最先端の科学技術等の研究に取り組もうとするし、民間の産業分野においても、国を護るために必要な産業の育成が図られ、人々はそのために必要な努力を惜しみません。

そしてまた農業分野においても、極端な言い方をすれば、世界がなくなってもイスラエルの民だけは決して飢えることなく安心して暮らしていけるようにと、あらゆる努力が、国をあげて図られています。

つまり、国家の安全保障への自覚が、国民を豊かにし、安全に安心して暮らせる国家を形成させているのです。

実は、いま、日本に欠けている最大のポイントがここにあります。

日本は、占領憲法によって、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で規定されているのです。

つまり国家の安全保障を、「他国の信義に信頼するだけで、自分たちでは何の努力もしませんし、させもしません」と、このように「決意した」と書かれているのです。

これでは国民から国家の安全保障意識がなくなるのもあたりまえです。

そもそもいま、世界にある多くの国家は、日本も含めて、いわゆる「国民国家」と呼ばれるものです。

国民が主役となって、国家を営み、それぞれの国ごとに自活の道を探していくというのが、国民国家です。

つまり、よく言われる「グローバル・スタンダード」というのは、実は、それぞれの「国民国家」が、自国が生き残るために、それぞれの立場でしのぎを削るというのが、現在の世界の標準なのです。

そして国家における国民国家の最大の使命は、自国民が、今も、これからも、いかにして豊かに安全に安心して暮らすことができるようにしていくかが、最大の使命であるということができます。

そして、この使命こそが、まさしく「国家の安全保障」の意味するところということができます。

国家が安全保障意識を失えば、早晩、世界中から食い物にされ、富を失い、安全も安心も失われます。

当然のことです。
長く続く不況?
あたりまえです。

国家が安全保障意識を失えば、その国の富は、奪われ、流出します。

私たち日本人が、いまを、そして、これからの未来を本当に豊かで安全で安心して暮らせる社会にしていくためには、国家の安全保障意識を、国民が共有していくこと。何よりもそこが本来の出発点であるということです。

つまり自国の安全保障について

国をあげて真正面から取り組んでいる国は経済も医療も科学も学問も発展し、

国をあげて真正面から否定している国は、経済も医療も科学も学問も衰退するのです。

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