「政治家の皆さんもっと勉強しなさい」

画像の説明 上場企業が史上最高益を更新しているのにGDPがなかなか増えていかないのは、GDPの6割を占める個人消費が落ち込んだままの状態にあるからです。

2015年10-12月期の個人消費は年率換算で304兆円にすぎず、GDPが大幅減となった消費増税直後の2014年4-6月期の305兆円よりも少ない。政府は「景気の緩やかな回復基調という判断は変わっていない」といいますが、これは国民に対して日本経済の本当の状態を偽っているといえるでしょう。

国会の論戦で野党のアベノミクスに対する追求が緩いのは、野党議員が押しなべて経済の本質をとらえることができていないからであるように思われます。

昨今の経済は新しいパラダイムでとらえる必要があり、経済構造の変化に目を向けなければならないにもかかわらず、そういった認識を持っている野党議員は皆無なのではないでしょうか。だからこそ、安倍首相に都合のいい数字だけを並べられると、「その数字のとらえ方は、明らかに間違っている」と、明確な根拠を示して反論することができないのでしょう。

安倍首相はアベノミクスの成果を訴える時に、「有効求人倍率が高水準で推移していること」を強調する傾向があります。今回の国会審議においても、野党議員がアベノミクスの問題点として「実質賃金の低下」や「非正規雇用の増加」などを指摘したのに対して、安倍首相は相も変わらず「経済が好調だから、有効求人倍率は高水準が続いているのだ」と、アベノミクスの実績を強調していました。

ここでいつも私が思うのは、なぜ野党議員は「今の日本の経済状況を説明するために、有効求人倍率はまったく当てにならない」と反論できないのかということです。確かに、有効求人倍率は安倍政権が誕生した2012年12月の0.83倍から2016年1月には1.28倍となり、1991年12月以来、24年ぶりの高水準となっています。

ところが、安倍首相の「経済が好調だから、有効求人倍率は高水準が続いているのだ」という見解は、時代の変化に取り残された経済学のステレオタイプ的なものであり、明らかに誤っているのです。

なぜなら、有効求人倍率が上昇を続ける背景には、主として少子高齢化に伴う生産年齢人口(15歳~64歳)の減少があるからです。

日本の生産年齢人口(15~64歳)は、1995年の8726万人をピークに少しずつ減少してきましたが、2014年の段階ではそれが7785万人にまで減少しています。とりわけ2012年から2014年(正確には2012年4月から2015年3月まで)の3年間は団塊世代が65歳に達するようになり、その減少幅が大幅に拡大しているのです。

2012年の労働力人口が17万人しか減少していなかったのに対して、2013年が116万5千人、2014年が116万人も減少し、2015年も過去2年と同じくらい減少する見通しにあるわけです。

2013年と2014年の生産年齢人口はともに前年比で1.4%台の減少をしているのですから、好不況に関係なく人手不足になるのは当たり前のことだったといえるでしょう。

もともと生産年齢人口の推移を押さえておけば、2013年3月以降は失業率が低下傾向を鮮明にするなかで、それに伴い有効求人倍率が上昇傾向をたどるようになるのはわかっていたことなのです。要するに、「経済が好調だから、有効求人倍率は高水準が続いているのだ」という見解の問題点は、日本社会や日本経済の基本的な構造変化をまったく無視してしまっているということです。

新しい経済のパラダイムのもとでは、たとえ景気が良くなくとも、失業率の低下は起こりうる現象となりつつあります。これからは日本の失業率を見る時、今までと同じ経済のパラダイム、すなわち「景気が良くなる=失業率が低下する」というステレオタイプな見方がすべてのケースで通用すると考えてはいけません。日本の失業率が低下したとしても、景気の良し悪しとは切り離して検証してみる必要があるのです。

安倍首相はアベノミクスの功績として、税収が大幅に増えたということも強調しています。2016年度の予算ベースでは、国の税収見積もりは2012年度に比べて15.3兆円も増えているからです。

情けないと思うのは、これに対する野党の反論が「消費増税分を除けば、リーマン・ショック前の水準に戻っただけ」という主張であることです。このような反論はピントが外れてしまっていて、とても説得力があるものとはいえません。

上場企業が史上最高益を更新しているなかで、税収の増加は本当に企業活動が活発化して生まれたものなのかということを考えなければなりません。実のところ、日本企業の売上高の推移を見てみると、過去20年間でほとんど変わっていないということがわかります。

これは何を意味しているのかというと、企業はさほど忙しくないにもかかわらず、円安によって収益が急激に伸びていたということです。だからこそ経営の現場からは、国内の設備投資を増やす必要はないという意見が聞こえてくるわけです。

さらに着目すべきことは、円安が企業収益を大幅に増加させた一方で、その増益分は家計の負担の上に成り立っているという事実です。たとえば、物価が急上昇した2014年の例をあげれば、この年の輸入品の価格水準を示す輸入デフレーターは、円安によって前年比で14%も上昇していました。

内需に占める輸入の比率は19%でしたから、輸入価格の上昇がすべて転嫁されれば、国内価格には2.6~2.7%の上昇圧力がかかる計算になります。ちょうどそれを証明するかのように、2014の消費者物価総合指数が2.7%の上昇、生鮮食品を除く総合指数が2.6%の上昇であったので、「輸入価格の上昇=消費者物価の上昇」といっても過言ではないでしょう。

概して言えば、円安によって企業収益が増えた分だけ、輸入インフレにより家計の可処分所得が減ってしまったということなのです。インフレは見方を変えれば、隠れた税金でもあるということができます。

国民生活の視点に立てば、通貨安で物価が高くなるということは、実質賃金を下げてしまう意味では実質的に増税するのと変わりがないからです。家計は円安によりインフレ税を払い、そのインフレ税を企業が代行して収めたにすぎないというわけです。

通貨安に起因するインフレは、消費税と同じように、富裕層からも庶民からも広く浅く徴収される「逆進性を持った税金」ということができます。

ですから、そのインフレ税と併行するように、消費増税を行ったというのは、家計に対して二重の逆進課税を行ったのと変わりがありません。日本の家計を苦しめている実質賃金の下落率は、2013年から2015年6月までの2年半ではリーマン・ショック前後の下落率を優に超えてしまっていたというのは、経済失政以外の何物でもないのではないでしょうか。

また、安倍首相は経済政策の成果として、今国会でも企業の倒産件数が減少していることに胸を張っています。現実に、2015年の企業倒産件数は前年比9%減の8812件となり、25年ぶりの低水準になっているからです。これに対して、民主党は「民主党政権時代も企業倒産件数は減少していた」という反論を展開していますが、ここでも全体を俯瞰して見ることができない稚拙さが露呈しています。

企業の倒産件数を見るうえで注意しなければならないのは、表面的な数字を表している倒産件数だけで判断してはいけないということです。実情をよく理解するためには、「倒産件数」と「休廃業・解散件数」を合計した数字を見るのが適当であると思われます。もちろん、休廃業・解散件数のなかには後継者がいないための休廃業・解散もあるのですが、そのほとんどが赤字で事業継続が不可能なために休廃業・解散しているからです。

そこで倒産件数と休廃業・解散件数の合計の推移を眺めてみると、リーマン・ショック後の2009年の4万877件は超えていないものの、いまだに3万5千件超の高水準を保ち続けています。そのうえ、2014年の休廃業・解散件数は倒産件数の2.6倍、2015年は3.0倍と全体に占める比率が高まってきています。これは、経営環境の厳しさから事業の継続を断念する中小零細企業が依然として多いことを示しています。

休廃業・解散する企業がなかなか減らない背景には、金融庁が2014年から銀行に対し、中小企業の転廃業を促す方針に転換したということがあります。

経営難の中小零細企業がスムーズに転廃業できるために、経営者は地域経済活性化支援機構を活用し、銀行に債務免除を申請できるように仕組みが変わっているのです。そ

の結果として、転業よりも廃業する企業にほうがひときわ多いという事実が明らかになり、中小零細企業の厳しい境遇が浮き彫りになってくるわけです。

現実には、民主党政権時代の3年間はGDP成長率が年平均1.7%だったのに対して、安倍政権の3年間では年平均0.6%にも満たないという状況にあります。政府が「景気の緩やかな回復基調にある」といっても、実のところ、この3年間で景気は一進一退を繰り返しており、安倍政権が重視するGDP成長率は目標の2%どころか、ほとんど増えていなかったといえます。

さらにその数字以上に実態がひどいと思うのは、企業の収益が増えた分、家計の所得が減っているということです。GDPがほとんど増えていないのですから、一方の取り分が増えればもう一方の取り分が減るのは、当然のこととして起こった経済現象であります。

実質賃金の下落率がリーマン・ショック期に匹敵、あるいは一時的には超えていたというのに、どうして景気が良くなっていると判断することができるのでしょうか。

おまけに、実質賃金を算出する時の元データとなる名目賃金の調査では、従業員5人未満の事業所は調査の対象となっていません。もっとも経営が厳しく低賃金の割合が高い零細企業の実態が、賃金の調査にはまったく反映されていないのです。

その意味では、実質賃金にしても名目賃金にしても、数字が示しているよりも実態はいっそう悪いと考えるのが妥当であるといえるでしょう。

政治家の方々には、「もっと経済を勉強しなさい」と声を大にして言いたいところです。経済政策とは誰のために存在するのかというと、普通の暮らしをしている国民のために存在しているのです。

ところが今の経済政策はどちらを向いているのかというと、富裕層や大企業のほうばかりを向いてしまっているのです。このような方向性を推し進めてしまうことによって、中流と呼ばれる人々がいっそう疲弊し、「日本のトランプ」が出現する可能性すら捨てきれないのではないかと心配になってしまいます。

そもそも、日本経済を活性化させるためには、日本全体の生産性を引き上げていかねばなりません。わかりきったことですが、政官界と産業界が一致協力して英知を結集し、さまざまな分野で創意工夫をしていくことが求められています。

しかし、今の日本を見ていてつくづく不安なところは、日本でいちばん生産性が低いのは政治家ではないかと随所で感じさせられるということです。

国会議員に求められる最低限の素養は、一般の人々よりも教養や知識を持っているということです。

そして、そのうえに求められるのが、国民のために一生懸命になって働くという姿勢です。

国民の立場からすれば、最低限の素養がない議員に国の仕組みづくりなど任せられるはずがないですし、怠惰な議員に報酬を支払い続けるのは税金の無駄遣いにほかならないからです。ですから、オリンピックで金メダルは取ったとはいえ、いまだに国の仕組みがよくわかっていない議員や、審議の場で携帯メールや読書をたしなんでいる議員は、即座に辞めてもらったほうがいいのです。

とりわけ閣僚ともなれば、その分野のスペシャリストであるだけでなく、他の分野の知見からもその分野を見ることができるゼネラリストである必要があるはずです。

加えて、ほかの議員よりもひたむきに仕事をする真面目さが求められているはずです。「歯舞」を読めなかった沖縄北方担当大臣、国会答弁をまともにできず自身が不勉強であると認めた法務大臣、誤った法案を読み上げた地方創生担当大臣などは、スペシャリストにほど遠いばかりか、一般的な教養や真面目さ・真剣さすら持ち合わせていないのではないでしょうか。

私が一人の国民として議員の方々にお願いしたいのは、「もっと勉強をしてほしい」「もっと仕事に真摯に取り組んでほしい」ということです。

もちろん、日々研鑽を積んでいる議員がいることも承知しておりますが、全体としてはあまりにレベルが低すぎると言わざるをえないのです。7月の参議院選挙において、必要な教養をまったく持っていないばかりか、「国会がない時はコンサートをしていいですか」などというタレント候補を立てることは、国民を愚弄しているとしかいえないでしょう。

この際ですから、政治家の質を向上するために、選挙に立候補するための試験制度を導入したらいかがでしょうか。

当然のことながら、ベテラン議員の方々も選挙のたびに試験を受けなければなりませんから、仕事の大半が会合でのあいさつ回りという現状に甘んじることは難しくなるでしょう。

それができないようであれば、国からの独立性を保った政治家の評価機関をつくるしかないのではないでしょうか。

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