「これが教師か!」

画像の説明 これが教師か!「キリスト教だから国歌斉唱しない」「受付もやりたくないからやらない」「安倍は許さないが山本太郎はいい」

国歌「君が代」不起立で減給処分は適法 58歳教諭の訴えを棄却

卒業式で君が代を起立斉唱しなかったことを理由に減給処分を科したのは違法だとして、大阪府立支援学校の教諭、奥野泰孝さん(58)が府に処分取り消しなどを求めた訴訟の判決が21日、大阪地裁であり、内藤裕之裁判長は原告の請求を棄却した。

大阪府では橋下徹氏が知事だった平成23年6月に、府内公立学校の教職員に、行事の際の国歌の起立斉唱を義務づける全国初の「国旗国歌条例」が施行。訴訟で原告側は同条例が「思想・良心の自由を侵害している」として違憲・違法性を訴えていた。

判決によると、奥野さんは平成25年3月にあった同校の卒業式でキリスト教徒であることなどを理由に国歌の起立斉唱をしなかった。前年の卒業式でも不起立を理由に戒告処分を受けており、府は「違反行為を繰り返した」として、より重い減給1カ月の懲戒処分としていた。

判決理由で内藤裁判長は過去の最高裁判例に基づき「公立学校の式典における国歌の起立斉唱は慣例上の儀礼的所作で、個人の思想・良心の自由を直ちには制約しない」と判示。起立斉唱を求めた校長の職務命令や、その根拠となった同条例の違法性を否定した。

減給処分についても「卒業式の受け付け業務を放棄して勝手に式場に立ち入り、上司の退場指示にも従わなかった」として重すぎるとはいえないと述べ、適法と結論づけた。

府教委によると、府条例施行後に処分された教職員は戒告処分54人▽減給処分2人。これまでに延べ12人が処分取り消しを求める訴訟を起こしている。

当然の判決です。しかし教職員はまずクビになりません。

法律や条例も守らず自由ばかり主張する人間が子供達に何を教えるのか。

キリスト教だから国歌斉唱しません。自分の担当する受付業務はやいたくないからやりません。「俺の自由を拘束するな」ということか。

これがキリスト教信者の正体か。反日で共産系の日本キリスト教議会ではないか。

この奥野泰孝はFBで顔を出し、自分の思想をさらけ出しています。

もちろん教師といえども、いろんな考えや趣味はあります。しかしそれも限度があるのではないか。学校の先生は学校を離れても周囲からは先生として見られるものです。先生というのは模範でなければいけません。

その先生が反政府の左翼活動にのめり込んでいるようでは少なくとも「こんな教師に自分の子供は関わらせたくない」と思うのではないか。

同じように政治家もプライベートは政治家として見られるので変な行動は出来ません。すぐに変な評判になります。ここが一般人と違うところです。それが嫌ならばそういう職に就かないことです。

この奥野泰孝のFBには「日の丸君が代反対」「ヘイトスピーチ反対」「安保法制反対」「沖縄辺野古基地反対」「原発廃止」「特定秘密保護法反対」「安倍総理批判」などの主張ばかりです。明らかな反日左翼です。

反日左翼だからこそ日の丸闘争の如く裁判まで起こすのでしょう。

奥野泰孝のFBには次のように書かれた記事がありました。日本の教員として考えがゆがんでいることがわかります。

「以前紹介した「桃太郎 海の神兵」の一場面。休暇で村に帰ってきた若い兵隊が神社に参拝する場面。美しいと思う人もいるのだろうけど、恐ろしい。それぞれの信仰が尊重されるのはいいのだけれど、国によって強制されるのが恐ろしい。

しかも日本では五人組とかの制度で、人々が相互に監視し合い規制しあい、同じように行動しないと村八分になるようなことをしてきた。習慣とか慣例とか言って個人の自由が殺されるのが怖い。神道は国家によって「臣民」統制に使われた。臣民とは天皇の家来」

日本の五人組は治安維持のために監視するのであって、普通の国民は関係ありません。これは特定秘密保護法と同じで普通の国民には全く関係なく、悪いことをしている人間には恐怖なのです。

「神道は臣民統制で、臣民は天皇の家来」という認識。これが学校の教師のレベルか。反日左翼を教師にしてはいけないというのはこういうところにあります。

日本の国柄は「君臣一体」です。つまり天皇陛下は常に国民とともにあり、家来という発想は全くありません。そこは西洋の君主とは違うのです。

「民のかまど」も仁徳天皇は国民とともに苦しさを耐え、後奈良天皇は御自身も御食事するものがないほど苦しいのに、悪い病気が流行したことを自分の不徳を責めて国民のことを考えてお祈りを捧げる。こういう皇帝は世界中いないでしょう。

明治天皇も国運を賭けた日清・日露戦争でも常に兵士と同じ境遇に御身を置き、誰にも言わず食事も非常に粗末で、それを見た伊藤博文が泣いた、という有名な話があります。

そして今上陛下も大震災では必ず被災地に行幸されます。東日本大震災では3月の寒い中、皇居は電源をお切りになられて、周囲が御病気の御身体に障るといけないと言うと「厚着をすれば大丈夫」と言って被災地と同じ暖房のない日々をお過ごしなされました。

ある被災者は涙して「家族みんなが死んで自分一人が生き残って、もう死のうと思いましたが、天皇陛下と皇后陛下のお顔を拝見して、生きていこうと思いました」と言った方がいました。これも他国の国民にはないことです。

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