「政治」

画像の説明政治は「線引」です。

年金支給を60歳からにするか65歳からにするか、車は右を走るか左を走るか、中学校を3年にするか5年にするか。世の中のルールを決め、実行するのが政治です。

「線引」をすれば、必ずそれによって得をする人、損をする人が出ます。ですから「損得」を基準にして政治を行えば、政治はどこまでも対立と闘争の世界となります。

日本は経済大国ということになっていますが、経済とは「損得」のことをいいます。世の中の価値観が「損得」しかなければ、政治はどこまでも対立と闘争の世界になります。しかし同じ国にいて同じ国土を共有しあって生きる国民同志が互いに対立し闘争に明け暮れれば、世の中は乱れます。当然すぎるくらい当然のことです。

互いが欲のかたまりとなって衝突しあうのです。罵り合い、悪口を言い合い、国や市町村の予算を奪い合う。互いに協力することなどありえません。互いに協力するのは、それが得な場合だけです。おかげで選挙協力のためだけの政党が現にあるくらいです。

これに対して古事記は、政治が対立の世界に陥らないための秘策として、具体的な政治のあり方を提示しています。つまり、「損得」以外の価値観の共有が、まず何よりも必要であると書いています。具体的には、神倭伊波礼毘古天皇記(神武天皇記)が、それにあたります。

では、「損得」ではない、施政者が共有すべき価値観とは何でしょうか。
古事記はそれを
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「天下の政」
──────────
と書いています。

古事記は、漢字の意味を用いて記述する場合と、大和言葉の用語を言い表すために漢字の音だけをとった場合とを、極めて厳格に区別して記述しています。そのために一語一語に、わざわざ注釈をつけているくらいです。

ここでいう「天下の政」は、「音を用いた」とは書かれていませんから、これは漢字の意味をそのまま借用したということです。「政」という漢字は、「正」に「攴」が組み合わさってできています。「攴」は、動詞を表す符号です。ですから「政」という字は、「正しきを行なう」という意味です。

詳細は割愛します。
倭塾でもお話していますし、来年2月に出る拙著に、その詳細を書いています。ここでは結論だけを申し上げますが、古事記が「天下の政」としている価値観は、「みんなが安心して食べて行かれる社会を築くこと」にあります。

どこまでも、みんなが「食える」ことが大事だというのです。
逆にいえば、ごく一部の少数の人達だけが腹いっぱい飯を食べることができ、他の圧倒的大多数の人々が飢えに苦しむような社会は、天下に正しきを行うことではない、つまり「天下の政」ではないし、価値ある政治に値しないということです。

その意味において、戦後の焼け野原から立ち上がった高度成長は、国の政治としてみた時、これは「正しい政治」であったといえます。みんなが飢えに苦しんだ時代から、短期間で「飽食の時代」とまで言われる社会を築いたのです。これは「正しい道」です。

一方、バブル崩壊後の日本の政治は、格差社会を生み出し、企業のトップが年収何千億円も得る一方で、末端の従業員たちは、どこまでいってもパート扱いであったり、正社員であっても4〜5年勤務したら定期昇給によって賃金があがるので、様々に辱めてお払い箱にする。

日本人の雇用がなくて、町に失業者が溢れているのに、外国人を雇用するように政治の舵をとる。これは、みんなが食える社会ではなくて、一部の利得者だけが食える社会を目指しているという意味において、「正しい道」とはいえない、ということになります。

ちなみに、幕末頃に書かれた五箇条の御誓文に、「広く会議を起こし万機公論に決すべし」という言葉があるのはみなさまご存知のことと思いますが、国会や市町村議会などの政治のための会議の歴史は、日本は世界最古です。

なにせ天の安川で、八百万の神々が天照大御神を天の岩戸から出すために会議をしています。これは有史以前のできごとで、世界最古の国会といえるかもしれません。

こうした会議については、1〜2世紀の日本を書いた魏志倭人伝にも、6世紀の日本の庶民の暮らしを描いた令集解にも記述があります。日本におけるもともとの会議は、太古の昔から、
「その会議の結果に影響を受ける者の代表が全員参加する」
というカタチで行われてきました。

たとえば、水害対策のために堤防を築くという場合には、その堤防の設営によって利益を受ける家族の代表が全員集まり、そこで全員の合意によって堤防工事を開始する、という形がとられました。これが我が国の伝統で、これはいまでも衆参両院の予算委員会という形で継承されています。

その予算委員会に参加する国会議員たちは、もともとは中選挙区制で選出された議員ですから、ひとつの選挙区から、複数の当選者がいます。複数いるということは、かなりの少数意見者や反対意見者の意見も、国会で反映させることができるということです。

ところが日本は、選挙制度を小選挙区制にしました。これは、白か黒かで議員を選ぶ方式ですから、そもそもが政治の対立を前提とした選挙制度ということができます。

「みんなが食える」ということが、最大の価値判断の基準であるはずなのに、最初から、半分の意見を切り捨てるということころからスタートしているのです。これで「天下の政」が可能だと思うなら、よほどのアホとしかいいようがありません。

ではなぜ小選挙区制になったかといえば、「損得」が政治の柱になっているからです。損か得かの二者択一で、互いに敵対しあ、罵り合い、叩き合うことが「天下の正しい道」と考えるのは、目先の自己の利益や損得勘定しか持たないことの証です。
国民が、損得勘定ばかりになっているから、こういう錯誤に陥るわけです。

古事記の神武天皇記の内容をご存知の方であれば、すこし想像していただきたいのですが、もともと奈良盆地にいたのは、ナガスネヒコです。つまり、小選挙区制で戦えば、地盤看板カバンを持つナガスネヒコが選挙に勝ちます。ナガスネヒコは、ウシハク略奪者ですが、そういう存在が政権を保持するには、小選挙区制は、きわめて都合が良いわけです。

一方、あとから奈良盆地にやってきた神武天皇が、これに挑むために武力を用いれば、おそらくナガスネヒコは、神武天皇たちをテロ集団と決めて付けて制裁の対象とすることでしょう。
価値観がゆがむと、正しい物が間違ったものに見え、間違ったものが正しいもののように見えてしまうのです。

だから昔の人は、「正しい道」を見失った人を「斜めの人」と言いました。

私達日本人は、もういちど日本人の原点に帰って、正しい道を見直すべきときにきているように思うのです。日本は、天皇のシラス国です。

国家最高権威である天皇が、国民をおおみたからとする。
施政者は、そのおおみたからが、みんなが食えるようにする。それが仕事です。

武家は、天皇から征夷大将軍を仰せつかった徳川家を封主として、それに従う者です。そしてなぜ徳川将軍が、征夷大将軍なのかといえば、天皇のおおみたからである民・百姓を護るためです。したがって、徳川将軍を封主とする武士たちは、全員、天下の百姓のために働くのです。それが武家の存在理由です。

また、藩主は家臣を雇っていますが、それぞれの藩は「家」です。家であるということは、「家族」であるということです。
ですから藩主は、家族を生涯、子の行く末までもしっかりと面倒を見るのがあたりまえです。

もっと古い時代の日本でも同じです。
奈良、平安の貴族たちは、荘園を営みましたが、その荘園で働く人たちは、天皇のおおみたからです。ですからその人達を、その家族たちまで、生涯しっかりと面倒をみるというのは、貴族たちにとってあたりまえのことでした。

「民」というのは、もともとは「百姓」のことです。
最近では「百姓」という言葉を、お馬鹿で無教養な左翼主義の学者たちが、使ってはいけない差別用語にしてしまいました。とんでもないことです。

「百姓」の「百」という言葉は、文武百官という言葉にあるように、百人ではなく「たくさんの」という意味です。
つまり「百姓」は、「たくさんの姓」ということです。

「姓」というのは、もともとは血族集団のことをいいます。
字を見たらわかります。「オンナ編に、生まれる」です。
女性から生まれたつながり(一族)が、姓です。今風に言えば「近い親戚」のことです。

律令制のもとでは、姓という字が身分や家格をあらわす「かばね」として用いられたこともありましたが、これは朝臣などの家格を意味する「かばね」という大和言葉に、「姓」という漢字を充てたものです。
        
「かばね」というのは、「家をたばねる」から来ている言葉で、要するに天下万民が、それぞれの立場や役割や地位に応じた「かばね」のどこかに所属しているわけです。その所属のうち、朝廷が特に任じたものを「かばね」と称し、それが同時に同じ血族集団を構成したことから、「姓」という字が後から充てられたという経緯を持ちます。

「氏」は、同じ祖先を持つ集団のことです。
つまり、いま親戚づきあいをしている人たちの集団ではなくて、同じ祖先を持つ人達で、要するに「姓」の範囲がもう少し広くしたものです。

ですから、たとえば「清和源氏」といえば、第56代清和天皇を共通の源(祖先)とする氏族という意味です。

もう少しくだいて言うと、第56代清和天皇を共通の源(祖先)とする「氏族」の中に、ウチは斎藤です、ウチは鈴木です、ウチは梶原です、などという「姓」を持った人たちがいるわけです。そういう血脈が大切にされることで、同族同士が、互いに大切にしあうという国風を育んできたのが日本です。

ちなみに、いまの米国黒人の多くは、かつて米国に奴隷として連れてこられた人たちの子孫です。

ですからほとんどの米国人の苗字は、奴隷時代に、雇っていた白人家族の家の苗字です。つまり同じ苗字を持つ人は、かつて同じ家に雇われていた奴隷仲間であるわけで、それぞれが親戚付き合いをすると言われています。

日本風にいえば、アメリカ黒人社会は、姓ごとに氏族を形成しているわけで、日本が失おうとしている文化を、逆にアメリカでは築こうとする努力が払われているわけです。

もっともアメリカ黒人社会の場合、これが一族の中で高額所得を得たものへの「たかり」となっていたりするという複雑な側面も併せ持っているのですが。。。

要するに、新興国家であるアメリカは、いま必死になって自分たちのルーツや氏や姓を大切にしようとして、国をあげて努力しているわけです。

これに対し、世界最古の国家である日本人は、氏や姓のありがたさも忘れようとしています。

お互い、同祖(氏)による血族集団(姓)を明確に認識することによって、血筋に恥じない生き方というものが社会風土として育成されるわけですし、それが犯罪を未然に防ぐ防波堤の役割も果たしてきたわけです。

そして氏は、どの家系も天皇を祖としました。
また、姓は、同族集団として、全ての日本人が持つものでした。

この点、江戸時代は、苗字帯刀を許されたのは武士だけであり、一般の、町人や農家では苗字は許されなかったという説がありますが、これまただいぶ、途中の言葉を省略して人をけむにまく、実はとんでもない説といえます。

そもそも苗字(名字とも書きます)は、時代が進むと、もともとは氏や姓を持つ人達が、最初は同じ村に住んでいたものが、だんだんにあちこちに移動して、いろいろなところに住むようになるわけです。

たとえば安倍総理の、安倍の一族は、もともとは秋田あたりの出身の一族(だから顔が濃い)といわれていますが、それが全国に散らばり、結果として安倍総理の地元選挙区は山口県です。

このように、時代が進むと氏素性だけでは、どこの人がわからない。そこで、氏や素性を名乗らず、何々村の者であるということを明確にするために、公式には氏も姓も名乗らず、苗字を名乗りました。

ですから、たとえば木枯し紋次郎(古い!)は、上州新田郡三日月村無宿紋次郎となります。

上州というのは、いまの群馬県、新田郡はいまの太田市、三日月村が藪塚町です。

ですから、この場合の苗字は藪塚さんになるわけで、木枯し紋次郎の名前は、いまならたぶん「藪塚紋次郎」となります。
ところが紋次郎は、家を捨てて宿なしの放浪者になりましたから、無宿(むしゅく)となるわけです。

ところが、実際には、この三日月村(藪塚町)には、たくさんの住民がいるわけで、そもそも元をたどせば、吾こそは越中褌守、本名、鼻下長だったりするわけです。(えっちゅうふんどしのかみはなのしたなが。。。冗談です)

誰しも、祖先があるから、いま生きているわけで、現代人ひとりが生まれるためには、鎌倉時代に、現代のひとりにつき、1億2千万人の祖先を必要とします。

現代人2人のためには、2億4千万人の祖先が必要です。
3人なら3億6千万人です。けれど、鎌倉時代の日本人の数は700万人です。

つまり、誰もが祖先がどこかで重なっているわけです。
日本は何千年もの歴史を持つ国ですから、ルーツを辿れば生粋の日本人なら、すべての日本人が、すべて天皇を祖として、みんなどこかでつながる親戚です。

それを、氏や姓という縦軸で分類し、地域という横軸の苗字で分類したものが、姓氏であるわけです。

まさに日本人は、天皇を共通の祖として、誰もが親戚なのです。そして誰もが天皇の「おおみたから」としてきたのが日本です。ですから、誰が上、誰が下ということもない。みんなが人として対等です。

対等は平等とは異なります。
みんなの暮らしに責任を持つ人と、自分の仕事にだけ努力すれば良い人では、世の中における役割が異なります。それぞれがそれぞれのポジションで、自分の役割をきっちりと果たして生きる。互いの役割を尊重していく。それが古来の日本社会のあり方でした。

だからこそ、みんなが食える。
そういう社会こそが大事だったのです。

先日の倭塾で、陰陽師で有名な安倍晴明は、年収4億円くらいあった、というお話をしました。それだけ聞くと、まるで安倍晴明は、リッチでゴージャスな大金持ちみたいです。けれど、その4億円の収入は、お金ではなく、お米でもらいました。
お金なら貯めこむことができますが、お米は貯めこむことができません。置いといたら、痛んでしまうのです。

どんなに頑張っても、人間一人で年に100万円分もお米を食べれませんから、安倍晴明は4億円分のお米で、それだけたくさんの人々を養い、食べさせなければならなかったということです。

つまり、当時における年収4億円ということは、個人が贅沢をするためのお金が4億円ではなくて、今風にいうなら、4億円の人件費の支出が義務付けられていた、ということに近いのです。

要するに、どこまでも「天下の政」、つまりみんなを食えるようにすることが、政治における最大の命題ということが、日本のまさに太古の昔からの知恵です。

そしてこの「みんなが食えるようにしていくこと」のお役にたてる人材となっていくことを、成長するという言葉で表したし、聖徳太子はこのことを十七条憲法の第15条で「向公私背」と書きました。

「私にそむいて、おおやけに向かえ」と読みます。
これが日本的価値観の根幹です。

冒頭に、政治は「線引」だと書きました。
その線をどこでひくかを判断するに際して、それが欲得やエゴ、私的利権などの目先の「損得」にばかり引きずられているのが、昨今の政治の大きな歪みの根幹ではないかと思います。

政治を語る前に、「線引」以前の問題として、私たちは「損得」ではない「政」について、考えなおすべきときにきているように思います。

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