2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
「不穏」
スイスの資源商社グレンコアの株価が9月末に暴落した。
長引く商品市況の低迷で資源大手の苦境ぶりが顕在化し、経営破綻の疑念が市場にくすぶり続ける。資源バブル崩壊の行く末には、世界的な金融危機の再来が待ち受けているとの観測も出始めた
スイス・バーゼルに本社を置くグレンコアの株価は暴落前の水準まで持ち直したものの、依然経営不安がささやかれる
9月28日のロンドン証券取引所。グレンコア株の終値は前日比で29%急落し、関係者に激震が走った。
この日、英国と南アフリカ共和国に拠点を置く投資銀行インベステックが、投資家向けメモで300億ドル(約3兆6000億円)に上るグレンコアの純有利子負債の多さに疑問を呈したことが株価急落の引き金になったとされる。
グレンコアは世界50カ国以上で操業し、銅や亜鉛といった非鉄金属、石油、石炭、穀物などの取引を手掛ける世界最大級の商品取引会社だ。
2011年に上場し、13年には同じく商品取引大手のエクストラータと合併。中国主導の資源ブームに乗り、鉱山や油田の権益を獲得する拡大路線を歩んだ。
ところが中国の景気減退で世界的な需要が落ち込み、主要商品の多くがこの1年間で半値以下になった。資源バブルでわが世の春を謳歌したグレンコアの財務は瞬く間に圧迫され、残ったのは大量の在庫だ。「このまま資源安が続けば、グレンコアの株主価値はほとんどなくなる」(インベステック)との悲観論も出ており、破綻リスクを取引するクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場で同社のリスクが急上昇した。
これに対しグレンコアは投資家の疑念を振り払うのに躍起だ。債務削減策の一環として主力商品の一つである亜鉛を年間5万トン減産し、オーストラリアとチリの銅鉱山売却の方針を発表。株価は暴落前の水準まで回復したが、同社の時価総額は年初から60%以上、下落したままだ。
グレンコアの礎を築いたのは、原油スポット市場を考案し、巨万の富を得た「伝説の相場師」、マーク・リッチ氏(1934~2013年)だ。
74年にグレンコアを創業し、80年代にはイランとの不正取引や脱税を行った疑いで米国の司法当局に起訴されている。約20年間にわたって米国から逃亡し、最終的に当時のビル・クリントン大統領から恩赦が与えられた。
原油下落で大損失?資源商社に重なるエンロンの影
現在のグレンコアは、リッチ氏の下で働いていたイバン・グラセンベルクCEO(最高経営責任者)ら経営陣が、94年にリッチ氏から買い取ったものだが、資源商社特有の不透明な経営手法は現在も引き継がれているようだ。「彼らは決して手の内を明かさない。最低限の情報開示しか行わず、取引内容はまさにブラックボックスだ」(総合商社の元トレーダー)。こうした不透明さが、市場関係者の疑心暗鬼を増幅させている。
原油下落で大損失?資源商社に重なるエンロンの影
「株価急落は本当の危機の序章にすぎない。原油価格が大幅に下落した影響を受け、グレンコアは先物買いで多額の損失を出している可能性がある」。そう指摘するのは、経済産業省の現役官僚で「世界平和研究所」主任研究員の藤和彦氏だ。
グレンコアは06年、スイスの大手銀行クレディ・スイスと提携し、石油デリバティブ(金融派生商品)を開発、09年から本格的な取引を始めている。また巨額の資金を投じて資源バブル期に米シェール資産の買収を進めた。
グレンコアに対する世界の金融機関のエクスポージャー(信用供与総額)は1000億ドル以上とのバンク・オブ・アメリカの試算もあり、財務実態はより深刻な可能性があるという。
欧米では、グレンコアを01年に経営破綻した総合エネルギー企業の米エンロンに例え、「グレンロン」と呼ぶ報道すら出ている。
エンロンが破綻した直接の原因は、97年からの原油価格急落で石油デリバティブに失敗したことだ。巨額の粉飾決算で覆い隠されたエンロンの実態は破綻して初めて明らかになった。グレンコアは第二のエンロンになるのか。
藤氏は警鐘を鳴らす。「中小のシェール企業の多くは高リスク高リターンのジャンク債市場から多額の資金を調達している。シェール関連のジャンク債を使って複雑な金融派生商品がつくられており、シェール企業の大量倒産が起これば、取引の中核にいるグレンコアの破綻は免れない。
問題は世界中の投資家が商品を保有しているため、グレンコアの破綻は一企業の倒産にとどまらないという点だ」。パニックに陥った投資家たちが商品を投げ売りするような事態になれば、世界的な金融危機への波及もあり得るというわけだ。
長引く資源価格の低迷は、経営不安がすでに表面化したグレンコアのみならず、世界中の資源メジャーの経営をも圧迫し続けており、第二のグレンコアがいつ登場しても不思議ではない。
「グレンコアショック」は世界経済が新たなリスクにさらされている現実をわれわれに突き付けているのかもしれない。