「手抜き工事」

画像の説明 旭化成建材の手抜き工事の問題がクローズアップされています。

このような問題が発生する度に思うのは、「価格競争では品質は維持できない」ということです。ということは、これからもっともっとこうした事件は起こり得るし、現在建てられている多くの建物にも、実は表面化していないだけで、同じ問題が起きている可能性が高いということです。

実際、多くの民間マンション・ビルなどにおいては、コンクリートの中に発泡スチロールや、廃材がなどがたくさん紛れ込んでいたりもします。

ほとんどのビルでは、コンクリートの上から外壁材が塗られているために問題が表面化しませんが、外壁がレンガなどに似せた外壁材を貼り付けているようなビルの場合、地震や経年劣化でその壁が剥がれ落ち、内側から発泡スチロールや、ゴミなどが大量にまじったコンクリートが露出することが度々あります。

そういえば木造住宅の外壁が地震で剥がれ落ちたら、外壁の内側に貼る防湿用のシートの代わりに、段ボールが貼ってあったなどという話も聞きました。

いまでは、建設に「安さ」ばかりが追求されているのです。
工事の材料原価さえも下回るような価格で落札したとなれば、どこかで手抜き工事をして原価を浮かさなければ、会社が持たないというのも事実なわけで、これらの事件は、なんのことはない、「起きるべくして起きている事件」ということができます。

「いやいや、そんなことはない。手抜き工事には厳罰をもって臨むべきだ」という方もおいでになります。メディアに登場する評論家や学者の先生は、みなさん、そうおっしゃいます。

私は違うと思います。
なぜなら、厳罰主義は、「見つからなければ良い」からです。
また、たとえ見つかっても、「そのときいなければ良い」となってしまうのです。

実例があります。
パラオに架けられた橋です。韓国が日本の半値で受注し、完成した橋には「安全第一」と大書され、その上には常時韓国の国旗がひるがえりました。ところが橋は1977年の開通当初から車が通るとグラグラと揺れ、20年もしないうちに全体が1.2Mも陥没してしまいました。

各国の会社により補修、補強工事が何度も行われ、さらに1990年には、パラオ政府が230万ドルもかけて、大規模な補強工事を施しました。ところが1996年、轟音とともにこの橋は中央部から真っ二つに折れて崩落してしまったのです。

パラオは工事を請け負った韓国の建設会社SOCIO社に、橋の保障を求めようとしました。けれど、その会社はすでになくなっていました。結局、日本がODAでこの崩落した橋を撤去し、新たに橋を架け替えました。

この事件についてですが、仮に韓国のSOCIO社が、その時点で存在していたとしても、おそらくは、その後の各国およびパラオ政府による「補強工事が原因で橋が崩落したのだ」と、韓国企業は強弁し、法廷闘争に持込み、何十年もかけて争った上、結局は事件をウヤムヤにしてしまったのではないかと思います。まるで昨今の日本をみているかのようです。

価格競争に走れば、そうなるのです。
要するに、厳罰主義をもってしても、あるいは請負契約書でどのようなペナルティを課したとしても、安ければ良いとするなら、結果は同じ、手抜き工事は後を絶たないということです。

もちろん、何よりも安いことが求められる建築物もあります。
民間工事では、そういった需要もあることでしょう。

けれど国家インフラとなる公共工事が、それでは困ります。
橋や高架道路、鉄道、堤防、万一の際の避難所や司令塔になるべき公共施設等々、それらは、国民の暮らしの基礎となる基礎インフラです。

だから昔は公共工事には、指名入札制度が行われていました。
これは、あらかじめ役所が積算して工事価格を決めます。
工事原価に2割の利益を乗せます。そして、工事の規模に応じて、A〜Cにランク分けされ、指名された建設業者(土木業者)が、これを入札しました。

その入札の際に行われたのが談合です。話し合って工事を回しました。このとき、手抜き工事をするような業者は、ランクからも指名からも、談合からも排除されました。

あたりまえのことです。
公共工事は確実に2割の利益があったのです。ですから、競争は価格ではなく、工事の品質で競われたのです。

学校の校舎のような大きな建築物には、大きな柱が建っていますが、ぜひ今度、近くにそうした建物があれば、その校舎の角から、向こう側の端を覗いてみてください。
1980年以前の建築物なら、建物の太い柱がまっすぐに並んでいることがわかります。工事の品質で競われたからです。

けれど、最近のマンション建築などを同じように角から眺めてみると、柱が凸凹に並んでいます。
明らかに工事の品質が、落ちているのです。

要するに自然災害の多い日本では、確実な利益保障をする代り、何よりも工事の品質が各事業者の競争要件になっていたのです。もし万一、手抜き工事が発覚しようものなら、その業者は二度と公共工事の受注はできません。
要するに公共工事市場から排除されたのです。

ですから公共工事を受注している業者というのは、それだけで社会的信用がありました。
なぜなら、指名参加業者であるということは、ちゃんとした立派な工事をする事業者であるということの裏返しでもあったのです。

ニューヨークに行って、摩天楼の建築物を見ると、一面に貼られた高層ビルのガラスが、あっちむいたり、こっちむいたりしています。
ですから景色が、ちゃんと映りません。ところが、かつては、日本のビル街に行きますと、ビルに貼られたたくさんのガラスが、まるで一枚ガラスであるかのように、きちんと貼られていました。

もっとも最近の新しいビルでは、ニューヨークと同様、ガラスがあっち向いたりこっち向いたりしているビルが目立つようになってきましたが。

考えてみてください。
たとえば堤防工事に手抜きがあれば、その堤防は万一の大雨のときには決壊します。決壊すれば、あたり一面にたいへんな被害をもたらします。先般の鬼怒川がまさにそうでした。

だから国家の基礎インフラとなる公共工事では、絶対に手抜きは許されないのです。同様に高架道路や橋梁が崩落したり、あるいはトンネルやダムが崩壊したら、そのときにどのような被害がもたらされるか。考えただけでもおそろしいことです。

だからこそ、基礎インフラを行なう土木建設事業者は「価格競争」であってはならない。競争はどこまでも、工事の「品質競争」でなければならないのです。これが、自然災害の多い日本という国で、古い昔から工夫された、工事の品質と、万一の際の人夫を確保するための伝統的手法だったのです。

神社や仏閣にある五重塔などの建造物をみてください。
塔なんていうのは、地震の際にいちばん倒壊しやすい建物です。けれど何百年もずっと建っています。工事の品質が高いのです。

さらにいえば、公共工事は利益保障があるがゆえに、工事業者は常に余剰人員を抱えることができました。
普段はそれは余剰人員です。けれど、万一の土砂災害や、水害などの自然災害が起きたとき、それは余剰人員ではなく、必要人員となりました。

もうひとつ書きます。
江戸時代、お大名さんたちが借金まみれになっていたということは、みなさんよくご存知のことと思います。
江戸時代は米経済です。諸藩は、米で税を取り、米で侍たちの給料を払っていました。それでいながら、なぜ「お金」では借金まみれになったのかというと、まさにこの公共工事と災害復興のためというのが、最大の支出でした。

当時の世にあって、大名というのは、私有地、私有民の領主ではありません。どこまでも、天子様の土地、民衆を征夷大将軍である将軍が預かり、その将軍から、それぞれの地域の差配を委ねられているのが大名家というのがその根底です。

簡単にいえば、土地も民衆も天子様のものです。それを預かっているのが、お大名です。

ですから天子様の土地と民に、なんらかの自然災害等によって、たとえば堤防が決壊して大水が出た、川が増水して橋が流された、異常気象によって作物が減収となった等々の事態が起きたとき、これに対処して、領民たちの暮らしを守るのが大名の仕事でした。

ですから、冷夏などでお米の税収が極端に減り、地震がきて多くの建物が崩壊した、あるいは大火によって多くの領民が焼け出された等々の問題が起きると、その災害復興費用は、すべてお大名の負担となりました。

これらの支払いは、お米ではなく、現金です。しかも莫大な費用がかかります。「普段なら災害復興の日当は1万円でござるが、当藩は財政難ゆえ日当は5千円にいたす」とは言わなかったのです。むしろ、普段の日当が1万円なら、災害派遣は2割増しの1万2千円、しかも賄い付き(食事、宿所つき)というのが、普通でした。

なぜなら2割増しで日当が支給される分、そこに活力が生まれます。酒を呑んだり、芸者さんをあげて大騒ぎしたり、故郷に送金したり、たまっていた倅の寺子屋代を払ったり。そうやって経済が活性化することで、災害復興が一段と早まっったのです。

そのかわり、これを行なう大名家の財政は赤字になりました。
しかし、たとえ赤字になってでも、民の生活を再優先する。
そのために領民を預かっているのが、大名家なのだと考えられていたのです。

いま、一級河川と呼ばれる川には、全国どこにでも、巨大な堤防が築かれています。そしてその堤防は、ほぼ、江戸時代に諸藩によって築かれた堤防です。もし現代日本で、同じような巨大堤防を築こうとしたらどうなるでしょうか。

地権者との用地買収、反対運動、サヨクのデモ・・・・
工賃はうなぎのぼりとなり、しかも指名入札制度を失った日本では、工事は安ければよいという手抜き工事。完成した堤防は、普段はみごとな景観を誇るかもしれませんが、大水が出たら決壊します。

それで良いのでしょうか。

シールズは、戦争でさえ話し合いで止めると、鼻息申しておりましたのに、工事の請け負いを誰が取るかを「話し合い」で決めると、談合と非難される。談合は話し合いで決める素晴らしいシステムでもある。

公平・公正な競争入札は反面、仕事が欲しければ死ぬまで走り続けよという、有り難いシステムであり、技能者から仕事に対する誇りを喜びを奪い取る過酷なシステムだと言わざるを得ません。

談合が廃止され、犯罪とされたのは、米国の要求によるものです。品質が良いけれど価格が高い日本の工事業者に対し、米国の大手ゼネコンが安い工事を日本に持ち込むために、最大の障害となっている談合の排除が求められ、これを日本政府がまるごと受けました。

けれどよくよく考えて見れば、むしろ談合の制度の良さを日本が米国に教え、輸出すべきだったのです。
いま米国は、巨大地震や巨大竜巻、あるいは巨大豪雨などの大型の自然災害に常に襲われ、しかも完全なデフレ経済下にあります。

もし、日本が外圧に屈して談合制度を廃止せず、むしろ米国と対等な友人として、日本に古くから伝わる指名入札と談合の制度を米国に教えてあげていたら、果たしていまの米国はどうなっていたでしょうか。

米国は巨大な国です。建設需要、土木需要も豊富です。しかも国家の基礎インフラは、まだまだ発展途上です。その米国で、確実な利益保障のある日本式の指名入札制度と談合が30年前に行われるようになっていたら。おそらくいまの米国の不況は起きていないし、失業率も下がっていたし、大規模自然災害時の被害者数も激減していたのではないでしょうか。

日本は外圧に、いともやすやすと屈しました。
日本の政治家や官僚たちは、日本の民族の歴史や文化への誇りを失っていたし、政府の相談を受けた民間の大手事業者の委員会等への出席者たちも、その多くはいわゆる戦後エリートさんで、日本への誇りを失くしていました。

そして多くの日本人が、日本が長い歴史の中で蓄積された様々な手法や技法を、ただ「空気のようにあたりまえのもの」と思っていて、それがなぜ行われているのか、どういう効果を私達の生活にもたらしているのかを、まるで考えようとしていませんでした。

だから、「価格が安くなる」という点だけに国内は反応したし、大手ゼネコン等の反応も、競争相手が増えるという程度の認識しかありませんでした。
こうして談合は廃止となりました。

けれど、もしそのときに、日本が米国に、談合制度の持つ機能と役割をしっかりと説明していたら、もしかすると米国は、日本の建設市場への参入という小さなマーケットへの新規参入のための参入障壁を取り払ったという小さな成果ではなく、むしろ米国が利益保障型の品質競争社会を実現することによって、米国の建設事業者は、米国の国内需要の中で、急成長していくことができたのではないかと思うのです。

談合が廃止されたのは、いまからおよそ30年前です。
そして30年という歳月は、その後に行われた数々の価格競争による手抜き工事を一般化していきました。
いま日本は、災害に強い国どころか、災害に対処さえできない国になっています。
これは恐ろしいことです。

江戸や明治の昔についていえば、現実論として「災害に強い街つくり」は不可能なことでした。
だから当時は、「災害に迅速に対処復興できる街づくり」が基本でした。戦後、鉄筋コンクリートの建造物が開発されることにより、現実に災害に強い街づくりが可能な環境が整ってきました。ところが日本は、そこで品質競争から価格競争へという、バカな政治的転換をしてしまったのです。

おかげでいまの日本は、そもそも建造物が災害に弱いだけでなく、耐用年数経過による経年劣化で災害にいたらずとも自然崩壊しかねない建造物を抱え、しかも万一の災害発生時の対処や復興は「困ったときの自衛隊頼み」以外にすべをもたない国になっています。

しかもその状況下で、いまだにカネをもらって「自衛隊反対」を歌う馬鹿者たちがそこいらじゅうにいるという体たらくです。

文化を失い、誇りを失うということの情けなさを、目の当たりにする思いです。

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