「歪曲・粉飾は伝統」

画像の説明 今月3日、抗日戦勝70年を記念する行事が北京で行われた。習近平国家主席は「重要講話」の中で「中華民族の若者は不撓(ふとう)不屈の精神で徹底して日本軍国主義の侵略者を打ち負かした」と語った。

「抗日戦争」に対するこの総括はもちろん、歴史の事実には沿わない。昭和20(1945)年8月15日の終戦の時、日本軍の「支那派遣軍」は依然、中国大陸の大半を支配下に置き、105万の兵力はほとんど無傷のままであった。つまり日本はアメリカに敗戦して全面降伏したが、決して中国によって「打ち負かされた」わけではない。

歴史の歪曲(わいきよく)はそれだけではない。昨年9月3日に開かれた「抗日戦争勝利69周年を記念する座談会」で習主席はこうも述べている。「中国人民の抗日戦争において中国共産党は常に中心的力であり、主導的な役割を果たしている」

もちろんそれもまた、歴史の事実に反するものだ。日中戦争当時の中国には中華民国政府という合法的な政府が存在しており、日本軍が戦った主な相手は、「国民革命軍」と呼ばれる中華民国の政府軍だった。

共産党の率いる部隊はいわゆる「八路軍」として知られるが、八路軍の正式な名称は「国民革命軍第八路軍」であって、中華民国政府軍の一部隊にすぎなかった。

したがって、中国の抗日戦争において「主導的な役割」を果たしたのはあくまでも当時の中華民国政府軍である。習主席の上述の言葉は明らかに、共産党の自画自賛のための、歴史の粉飾である。

一国の元首が公然と歴史の歪曲・粉飾を行うのはいかなるものか、と首をかしげる日本人も多いだろうが、実は、歴史に対するこのような態度は中国の長い伝統である。

最初の正史である『史記』が前漢の時代に誕生して以来、中国で「二十四史」と称する多くの歴史書が編纂(へんさん)されたが、その大半は歴代王朝の官僚の手によるものだ。しかも、新しくできた王朝の官僚が前王朝の歴史を書くのが普通だから、前王朝の歴史をできるだけ悪く書き、自分の仕える王朝のことを賛美するのは「春秋の筆法」として定着している。

たとえば唐王朝の2代目皇帝・太宗の時代、太宗に仕えた魏徴という高官が前王朝の隋朝の史書である『隋書』を書いたが、隋朝の末代皇帝の煬帝は希代の暴君として描かれた。その結果、煬帝との対比で、反乱を起こして隋王朝を潰した唐の太宗父子、特に太宗本人は希代の英雄・名君として歴史に名を残した。

このような歴史の「作り方」を極限にまで発達させたのが今の中国共産党政権である。共産党政権下で編纂された歴史書や教科書のすべては、「前王朝」の中華民国時代を「暗黒時代」として徹底的におとしめる一方、共産党政権の治世を「人民が解放と幸福を享受した時代」だと賛美した。歴史の実態はむしろ正反対であろう。

共産党は自分自身の歴史に対しても隠蔽(いんぺい)と捏造(ねつぞう)を繰り返してきた。文革中に元国家主席の劉少奇が粛清されると彼に関するすべての公的記録が抹消され、天安門事件で元共産党総書記の趙紫陽が失脚した後、「改革開放」における彼の功績が闇に葬り去られる。

そして今、習近平氏が国家主席となった「おかげ」で、彼の父親で元政府高官の故習仲勲氏はいきなり、トウ小平と並ぶような「偉大なる政治家」として脚光を浴び始めた。

このように、時の政治権力の都合によって、歴史に対する恣意(しい)的な歪曲・捏造・粉飾を行うのは中国という国、とりわけ中国共産党政権の一貫したやり方である。

その彼らが果たして、日本に対して「正しい歴史観」を求める資格はあるのか。

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