「ヒガミ」?

画像の説明 「日王」を叫ぶ韓国人の劣等感

「日王」韓国側が天皇陛下の呼称として使う言葉です。「日」はいうまでもなく日本のこと。「王」とは「皇」「帝」の字を使えるのは支那の皇帝だけだったため、日本の天皇如きが「皇」の字を使うのはけしからん「王」で十分として使用しているのです。

韓国の異常反日はこうした天皇陛下の呼称でさえ変容させて、日王などという存在しない言葉を日常的に使用させているのです。

他国の元首の呼び名はその国の呼称に準じるという国家間の当たり前のマナーすら守れない韓国という「東方非礼の国」が我が国の隣にある事実から目を背けるべきではありません。

もちろん近代における朝鮮半島の併合統治だけの問題ではなく、支那の華夷思想(支那を世界の中心としてその周囲の国家を一段低く考える思想)に基づき古代日本は倭国と呼ばれ、天皇は倭王と呼ばれたことをもって現在に至ってもなお「王」を朝鮮半島の愚民は使用していると主張しています。

しかしながら唐の則天武后の時代に「倭国」から遣唐使が派遣され、ここで国書が読み上げられます。

国書といえば聖徳太子の「日出処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」が有名ですが、この唐の時代に送られた国書もまた非常に重要な一文がありました。曰く「我が国は今後倭国ではなく日の本、日本と号す」「倭王は天皇と称する」と高らか宣言したのです。

当時の唐は則天武后の時代であり、国号を「周」に変更していました。女性が初めて(そして唯一)即位したばかりであり国内情勢は不穏な動きを見せていたのです。東の外れにある国家といえどもおろそかにできなかった事情があるとはいえ、則天武后は「日本」「天皇」の存在を初めて認めました。

約1300年前の出来事ですが日本はいち早く支那の華夷思想から抜け出し独自の文化を育んでいくことになります。

一方朝鮮半島はその後も支那の重圧に押され1897年に日本の後押しを受けて大韓帝国として独立するまで二千年の長きにわたって支那の属国に甘んじることになるのです。

「倭国」「日王」は自力で華夷思想から抜け出せなかった朝鮮愚民の憐れな叫びなのかも知れません。

自立しなきゃね・・・

コメント


認証コード9406

コメントは管理者の承認後に表示されます。