「円高・円安」

円高・円安はアメリカのルール違反から生まれた!
画像の説明 44年前、世界に激震が走った日

「円高・円安」という言葉を聞かない日はありません。
このルーツには、超大国アメリカと、第2次世界大戦の敗戦国である日本と西ドイツが複雑に絡み合っています。

キーワードは、「日本・西ドイツの復興」「アメリカの金の流出」

ニュースで「円高」「円安」という単語が出てこない日はありません。しかし戦後、ブレトン= ウッズ体制によって、通貨の交換比率は固定されたはずです。固定相場制では、「円高」「円安」など起こりえません。何があったのでしょうか。キーパーソンは、アメリカの第37代大統領、ニクソンです。

アメリカの第37代大統領、ニクソン

「1ドル=360円」の固定相場制が戦後の世界貿易を活性化させ、特に敗戦国である日本と西ドイツの経済復興を支えました。

両国は経済復興後も、通貨である日本円と西独マルクが安いレートで固定されていたので、日本製品と西ドイツ製品はドル換算では超安値となり、アメリカ市場へ大量に輸出されます。

アメリカ国内では、ケネディ、ジョンソンと2代続いた民主党政権のもとで福祉予算が増大し、ジョンソン政権が始めたヴェトナム戦争によって軍事費も拡大しました。財政再建のため、アメリカの中央銀行であるFRBがドルを増刷した結果、インフレが進んでアメリカ製品は値上がりし、安い日本製品、ドイツ製品が飛ぶように売れたわけです。

貿易代金の支払いはドルで行われます。日本企業や当時の西ドイツ企業がニューヨークの銀行に開いた口座に、ドルがどんどん払い込まれていきます。

彼らがドルを、「金に交換してくれ」と要求すれば、アメリカはイヤとはいえません。このままでは、アメリカが蓄えていた金がどんどん海外へ流出していきます。

「このままではまずい」。アメリカがとった行動とは?

ニクソン・ショックの結果、
アメリカが得たもの、失ったもの

金の流出を阻止するため、ニクソン大統領は緊急のテレビ会見を行い、「金とドルの交換を停止する!」と発表したのです。これをニクソン・ショック(1971年)といいます。今から44年前の出来事です。

世界恐慌のときに各国が行った「金本位制の停止」と同じことをやったわけです。さらにニクソンは、「輸入品に一律10%の輸入課徴金を課す」と発表しました。

これらはブレトン=ウッズ体制に対する明白な違反ですが、残念ながら超大国アメリカに対して制裁ができるような国はありません。

ニクソン・ショックの結果、「ドルを持っていると暴落するんじゃないか?」と恐れた各国の銀行や証券会社がドルを売って円やマルクを買ったため、アメリカは固定相場制を維持するため、1ドル=300円までドルを切り下げます(スミソニアン合意)。

しかしその後も、ドル売りの雪崩現象は止まりません。もはや固定相場制を維持するのも困難になりました。各国の中央銀行は市場介入をやめてしまい、通貨の価格は為替市場における売買で決まる―買い手が多ければドル高になり、売り手が多ければドル安になる―という変動相場制へと移行しました。この体制が今も続いているわけです。

アメリカは、各国通貨にドルとの固定レートでの交換を認め、信認を与えるという役割を自ら放棄してしまいました。アメリカの威信は地に堕ちます。その反面、円高マルク高ドル安の進行はアメリカ製品を割安にし、アメリカ企業の国際競争力は徐々に回復しました。アメリカは、「名を捨てて実をとった」のです。

44年前は出来たが現在の世界情勢では?
日米欧三極が崩れてきた中で台頭するChinaは?
IMFやアジア開銀に対抗するChina主導金融は?

目を離さず瞬時に対応する準備が必要だね・・・

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