日本の自衛隊に「民主主義国家」を見出す

画像の説明 「ミャンマー国軍」幹部たち

長年に及ぶ軍事政権から民政への移管を実現したミャンマーだが、今もなお国軍の影響力は強い。能力次第で昇進できる国軍は、これまでミャンマーにおける人材育成機関としての役割も果たしてきた。テイン・セイン大統領(69)も貧しい家庭の出身だ。それだけに、ミャンマーでの民主化の実現は、国軍の協力なくしては不可能だ。

毎年10人招き理解深める

その意味で日本財団がこのほど始めた日ミャンマー将官級交流プログラムの意味は大きい。このプロジェクトは、ミャンマー国軍の幹部を毎年10人ずつ5年間日本に招き、相互理解を深めるのが目的だ。

プログラムでは、自衛隊の理念や法制度、教育訓練、装備品などの紹介に加え、現在の日本を取り巻く安全保障環境に即した統合運用のあり方や、国際社会への貢献などの理解を通じ、両国の相互理解を深め、信頼醸成を図る。そのため研修では人道支援や災害救助、さらに海賊対処などの分野での取り組みについても取り上げる。

初めての交流だけにミャンマー側も国軍司令部の幹部が顔をそろえた。来日したのは、ミャンマー国軍司令部法務官のイェ・アウン中将以下、司令部各局の副局長、管区司令などで、少将4人、准将2人、大佐2人、中佐1人の計10人。

昨年12月8日に東京・赤坂の日本財団で行われた歓迎式典では、笹川会長がミャンマー国軍の創立にアウン・サン将軍とともに日本の鈴木敬司大佐(のち少将)がかかわったことなどを挙げ「優秀な人々は国軍にいる。その人たちに日本をみてもらい、これからのミャンマーの発展に役立ててもらいたい」と述べた。

一方、イェ・アウン中将も今回の交流の意義をたたえるとともに「ミャンマーは民主化に向けた取り組みを行っている。成功している部分もあればさまざまな課題も山積だ。国軍としても、民主化にたどりつくために後ずさりするのではなく、協力していきたいと思う」と述べ、ミャンマーの民主化を支持していく姿勢を示した。

一行は滞在中、防衛省や防衛大学校のほか、浜松(静岡県)、舞鶴(京都府)、朝霞(埼玉県)の各自衛隊基地を訪れたほか、民間の工場見学などを行った。浜松では航空自衛隊の練習機を見学。舞鶴では東日本大震災の際に出動した補給艦に乗り組み、災害救援の実態などについて研修した。朝霞駐屯地を含め、航空自衛隊、海上自衛隊、陸上自衛隊の基地を訪れた。

日本での日程を終えたイェ・アウン中将は16日、「陸海空全部の自衛隊を見て回ることができ、うれしかった。『国のために働く人間であれ』ということを自衛隊の人々を見て感じることができた」と述べ、人材育成の重要性を改めて強調した。

民政移管後の軍隊を問う

今回のような軍と自衛隊の交流を日本財団が行ったのは実は2回目だ。前回は2001年から12年までの間、中国人民解放軍と自衛隊との間で同様の人材交流を実施した。このプロジェクトでは日本側からも中国を訪れ、中国側から207人、日本側から120人がそれぞれ訪問した。

今回のミャンマーとの将官級交流では日本側からの訪問はいまのところ計画されておらず、ミャンマー側からの将官訪日だけだ。ただ、ミャンマー国軍はこれまで中国との関係が強かっただけに、日本との交流を通じ、民主主義国家における軍の役割を知る意義は大きい。

一方、日本も国軍を見直すきっかけにもなる。いまもミャンマーを「半軍政」と批判する向きはあるが、国軍自ら、民政へと踏み出したことは評価されるべきだろう。

こうした動きを持続させるために、日本をはじめとする国際社会がどう国軍と付き合うべきか。今回の交流プロジェクトはそのための取り組みの第一歩といえそうだ。

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