タイで捕まれと教えられた 

画像の説明 脱北者の証言

バンコクで脱北者とみられる175人が暮らしていた高級住宅地の巨大な洋館=2006年撮影。タイでは脱北者が2000年代中ごろから増え、主要な経由地の一つとなっている

■脱北者の証言:24 パク・クムジュ氏(42) 2012年7月に脱北(12月に韓国入国)

――どうやって脱北しましたか。
北朝鮮では靴の商売人をしていたが、2012年7月に息子とともに脱北し、中国とタイを経由して同年12月、韓国に到着した。北朝鮮北部・恵山(ヘサン)市にある市場の裏の土手を越えると、鴨緑江が現れる。そこを渡ると中国だ。現在、夫と義母が北朝鮮にいる。

――なぜ脱北を決意したのですか。
靴を密輸している中国人の商人に「中国へ行きたい」と言った。脱北する際、中国の商人が警備隊にカネをつかませれば国境を通過できる。ただ、そのときは、中国で3万元ほど稼げば北朝鮮では中・上級の財産がある商人として扱われるので、中国で1万元ほど稼げればよいと思っていた。

――具体的な脱北の過程を教えてください。
中国の商人と鴨緑江を渡り、中国側の村に着いた。ここで、中国の商人が脱北者からカネをもらって韓国行きを仲介する事実を初めて知った。中国は24時間自由に温水シャワーが使えるし、街の照明も明るかった。1週間が過ぎると、商人が感想を聞いてきたので、私は「夢の国に来たようだ」と述べた。すると、この商人は「韓国に行く気はないか。ここにいると公安に捕まり、北に送り返される危険がある」と警告した。私はそれまで、北朝鮮に再び戻るつもりで中国に来たが、こんな話を聞くと怖くなった。

◇水道は配給制、風呂も満足に入れず

――中国からタイへ行ったのですね。
ブローカーは私をバスに乗せ、まず中国の青島に連れて行った。そこには脱北者が6人いた。私たちはバスや車で移動し続けた。どんな都市を過ぎていったかはよく分からない。ある地点に到着して小さな船に乗って渡ると、ブローカーはここがタイだと教えてくれた。

――タイでは何をしたのですか。
タイでは警察を見たら、「捕まえてくれ」と言うように教えられた。私たちはその言葉を信じて、「ポリス! ポリス!」と叫んだが、誰も見向きもしてくれなかった。仕方がないのでタイの村の道端で野宿を始めた。うわさが広がると、韓国語の分かる人が訪ねてきて申告してくれた。バンコクでは国際難民所という所に20日間ほどいた。食事は口に合わなかったが、北朝鮮ではこんなものですら食べられないのだから、恵まれたと思っておいしく食べた。韓国大使館で審査を受けた後、ようやく韓国行きの飛行機に乗れた。

――北朝鮮の水道事情はどうでしたか。
北朝鮮は水不足で、汗を大量にかく場合を除いては、韓国のように毎日シャワーを浴びることができない。普通は半月に一度しか風呂に入れない。水道水も朝と夕に1時間ずつ配給される時間制だ。そのため、台所仕事や洗濯などやることが多いのに、シャワーなどで水を使ってはもったいない。

――北朝鮮ではどのように一日の生活が始まりますか。
起床時間は夏が午前5時、冬は6時半。雪が降れば、雪かきのためにもう少し早く起きる。固まった雪はシャベルですくってどかすので、普通の雪を片づけるよりはるかに大変だ。普通は1時間半程度作業をする。頭数が足りなければ子どもたちも動員される。

――北朝鮮では、どんな家に住んでいましたか。
5階建てアパートの3階で暮らした。アパートにエレベーターはなく、すべて階段だった。アパートの倉庫で1頭の豚を飼っていた。平壌の高層マンションでも電気がないため、エレベーターを使えないという話を聞いたことがある。

――北朝鮮の医療事情は。
病院で薬がないため盲腸の手術をする際、炎症があっても家族が抗生剤を市場で直接買わなければならない。包帯やガーゼまで全て買う必要がある。たとえばペニシリンの国定価格が38ウォン余りだった時に、市場価格は1千ウォン。薬品管理所長がペニシリンを商人に700~800ウォンで売って着服する場合がほとんどだった。だから、北朝鮮の市場には抗生剤、包帯、マスク、ばんそうこう、注射器、ガーゼなど全てそろっている。

――北朝鮮で配給はありましたか。
故金日成主席の時代には、月にコメ7キロ、トウモロコシ10キロ、麺2.3キロが配給された。94年には配給もなく、駅前に行くと、死にそうな人でいっぱいだった時期もあった。

◇国境地帯で脱北者から金を巻き上げる軍人も

――北朝鮮ではどんな不満がありましたか。
4月25日の朝鮮人民軍創建記念日に住民は軍に、食べ物や歯磨き粉、歯ブラシ、服などを出せと強制されたことだ。ウサギ1匹やニワトリ1羽を差し出せというやり方もあった。夫はアヒル牧場で働き、党の外貨稼ぎのために1人あたり3万ウォンを年間1回ずつ国営企業所に出さねばならなかった。月給が2千ウォンだった時代に、それより多くのカネを要求されたため市場で商売をして補充しなければならなかった。焼酎1瓶、豆腐1丁が500ウォンもした。そのため仕事でカネを稼ぐ意味がなかった。

――北朝鮮の軍隊事情は。
おいが軍隊に行く際、服や帽子など全部家で用意した。中国の生地で個人がつくって、市場で売られたものが良質なことで有名。軍隊で支給される服は質が良くないため、すぐ破れてしまう。だから少しでもカネのある家の子は家でつくってもらう。

――軍隊で好まれる赴任地は。
好まれるのは、北西部の新義州や朔州のような国境地帯。ひともうけできるからだ。国境地帯で中国人の違法越境者、脱北者を相手にカネをまきあげる。バックのない家庭の子は、建設部隊や内陸地方に送られる。建設部隊は補修工事や建設現場に動員されるため、死傷する確率が最も高い。北朝鮮の軍隊では、大けがをしても薬がないため治療もままならない。食べ物が十分でないため、その分回復にも時間がかかる。

◇韓国で朝鮮族と扱われてストレスに

――現在の仕事は何ですか。差別されますか。
現在、准看護師の試験を受ける準備をしている。韓国で最もストレスに感じるのは(韓国人とは違う)朝鮮族として扱われること。純粋に同じ民族として認めてもらいたい。だが、つねに言葉が問題になる。言葉が下手なので出身がわかり、ストレスを受けている。

――現在抱えている最大の問題は。
子どもの教育に対して一番心配している。塾に行かせるなど考えも及ばない。韓国の母親たちは子どもが小さい頃から英語の塾に通わせるなど、一生懸命なのは分かるが、今の月給と経済力では考えられない水準だ。しかし、一生懸命に働いても経済的に良くなる見込みのない北朝鮮よりは、韓国での生活はとても幸せだ。

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