じつは、物価と金利と通貨はおんなじ!?――

画像の説明 物価、金利および通貨の一般理論

麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく。

「政策金利がゼロになってしまっても*1、金融政策を打つことができて、それがQEだということはわかりましたが*2」
この春に経済学部に進学予定のケンジは、叔父のいる麹町研究所の研究員から受けた経済学のレクチャーをアタマのなかでまとめている。
「不況に対してけっこう効果があるとして*3、それ、副作用はないんでしょうか?」

1:これを「ゼロ金利制約下」という
2:ゼロ金利制約下で、金利水準でなく通貨量を目安に金融緩和を行うこと。詳しくは第23回、第24回、第25回を参照
3:QEの先手を打った米国経済は、サブプライム問題、リーマンショック後の金融危機を切り抜け、概ね好況下にある

なかなか鋭いところをついてくるな、さすがは嶋野研究員の甥だ、と感心しながら末席研究員は応じる
「そうですね。大きいところで言えば、副作用は物価上昇と通貨安(日本であれば円安)になります」
末席のいつものおおざっぱな説明にもだいぶ慣れてきたケンジは、それはおおごと、というふうに懸念を伝える。
「物価上昇はイヤだなぁ。クルマを買うにも高くなっちゃいますよね」

目下、叔父にクルマをねだっているケンジは、叔父の嶋野研究員をおもんぱかるようにがっかりする。ビクビクしながら末席のほうをチラチラ見ている嶋野の視線を気にせず、末席はケンジの質問に答える

「物価上昇といっても、いまの先進国の金融当局の管理技術からすれば、想定の範囲内のマイルドなものです。あまり気にしなくても大丈夫ですよ」

末席の説明により、ますます落ち着かなくなった様子の嶋野主任を尻目に、末席は続ける

「逆に、物価上昇はインフレともいいますが、マクロ経済学4でいう物価は普通、一般物価*5を考えますけれど、全体の物価平均が概してそれに収斂していくとして、それに関するみんなの予想が『予想インフレ率』なんですね」

4:マクロ経済学は金融政策を論じる際の前提になる
5:一般物価は、財とマネーの量から決まってくる物価水準。実際の調査ではコアCPI(日本でのコアコアCPI)などを参照する。詳しくは第1回を参照

日本とアメリカの現状はどうなっている?

「うーん、たしか『予想インフレ率』は、すごい大事なものだった気が…。なんで重要なんでしたっけ…」

大事なものを忘れてきてしまった小学生のように困っているケンジを見て、末席は笑いながらフォローする。

「予想インフレ率は、中央銀行が金融政策を行う際の最重要数値(KPI)なんですよ、とくにゼロ金利制約下における金融政策ではなおさらそうです。経済が不況に傾いてくると、物価はデフレ気味になりやすいので、テコ入れとして金融緩和をする。金融緩和をすると政策金利が下がりますが、もし政策金利がゼロ下限に近づいてしまったら、こんどはQE(量的緩和)をする。でも金融緩和をしすぎるとインフレが行き過ぎることもあるので、それに注意しながらインフレ率目標値を据えて6、QEの継続を見守る。日本の状況はいまここにあるわけです7」

6:これがいわゆる「インフレ・ターゲティング」。先進国では2~5%がその目安とされることが多い
7:2014年9月執筆時現在

末席のリズミカルな説明に触発された嶋野主任もそれに続ける

「逆に、QEをやって、景気回復基調となり、一部で加熱感も出てきたと判断されれば、こんどはQEを縮小していき、十分に縮小してももう大丈夫であれば、QEの終了を検討して、またデフレっぽくなってきたら延期を議論して、そんなこんなで大丈夫そうであれば政策金利も引き上げの検討もするし、そのシナリオを市場参加者が予想・共有することになります。これがいまの米国の状況となります」

8:景気回復はおもに失業率の水準の推移などで推定される
9:景気加熱はおもに証券(ダウ平均株価指数など)や不動産(ケース・シラー住宅価格指数など)といったものの価格推移などで推定される
10:2014年9月執筆時現在

ニュースで日々、耳に入ってきていることはこういうことだったのか!
ケンジは、なぜか、世界的な秘密結社の一員になった気分はこんなものなのだろうかと思いながら、唸りつつ説明を聞き入っている。

その状況を確認しながら、末席は続ける。

「通常時であれば、金融政策は政策金利のアナウンスとコミットメントで動かす。ただ、政策金利は(名目金利なので)ゼロ付近になると下げられなくなる、それでも景気の先行きが厳しそうな場合は、金利を下げる代わりに、おカネの流通量を増やすようにコミットメントします。政策金利は(ゼロのまま)下がりませんが、こんどはインフレ率が上がることで実質金利に働きかけるわけですね。そして、それは通貨安を必然的に伴います」

嶋野もリズムに乗って続ける

「金利(の引き下げ)とインフレ(率の上昇)と通貨(安)は、じつは等価な現象なんだ。質量とエネルギー、時間と空間が等価なようにね」

11:雇用の状況を測る目安となる失業率は、景況判断の目安にもなっており、雇用と景況には強い相関関係がある。失業率とインフレ率にも相関関係があるとすれば(フィリップス曲線)、J・M・ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』の「雇用」の部分を「インフレ率」(やGDPの増加率を加味すると名目GDP増加率)と読みかえて考えることもできる
12:アインシュタインの相対性理論「エネルギーと質量の等価性」「空間と時間の等価性」

日常生活のなかでは実感しづらい円安、円高…

嶋野の数学的な暴走をけん制するように末席は嶋野を睨みながら、ケンジの様子を観察する。物理学や数式に興味がないことが逆に功を奏して、嶋野の発言を自然にスルーしてダメージを受けていないケンジは、シンプルな質問を試みる。

「へぇ、そうなんですね、叔父さん。ところで、末席さん、景気対策のために物価を上げるというのは、正直、よくわからないんですけれど。ふつう、逆じゃないですか。モノが安くなるとみんな買うんじゃないかと思うんですが」

末席はここが正念場だと自分に言い聞かせて質問に応える

「それは、そうですね、一局面では。ただ、下がる局面が続く(予想インフレ率がマイナス)というのが最悪なんですよ。ざっくりいうと、これがデフレです。予期を伴ったデフレは買い控え(消費の先送り)を引き起こしてしまいます。また、それがいったん実現してしまうと、次の予期を強化してしまうかもしれない。これがデフレスパイラルと不況を引き起こします」

13:ミクロ経済学的な市場分析など。ミクロ経済学の一般均衡理論は、モノの値段が下がると買われて、価格はいずれ下げ止まるか、上昇に転じるという前提をそのメカニズムの中にもっている

「つまり、物価水準の高低というよりは、微分値*14がマイナスなのがより問題なんだよね」

14:ここでいう微分値とは、ある水準からの増分(マイナスの値もありえる)のこと。ここではインフレ率(過去から現在までの結果)、予想インフレ率(現在から未来の予想)に相当する

末席はまたしても暴走を繰り返す嶋野を睨みつけつつ、ケンジに向き直る。クルマのことでアタマがいっぱいで、数学に興味のないケンジは、たいして気にもしていない様子でまた質問する

「叔父さん、そうなんだね。たしかに来年まで待ったほうが(クルマが)安くなるんだったら、僕も、来年でもいいかなって思うかも。でも…」

再び、おそれおののく嶋野を尻目に、末席はケンジの質問の続きを待つ。

「なんで円安が関わってくるんですか? それ、なにか(クルマを買うのに)影響あるんですか?」

いい質問だ、そう思いながら末席はこのセッションを締めるべく応える

「円安、円高って、ふだんの日常生活のなかでは実感しづらいですよね、海外旅行でもしないかぎりは。でも確実にありますよ、といいますか、さきほどの主任の言い分のように、それはじつは姿カタチを変えていろいろなところで大きな影響を及ぼしているんです!」

そういえば、円高・円安って、ニュースではしょっちゅう耳にするけれど、あんまり気にしたことなかったな。でも、じゅうぶんそれで生きてこれたし、あんまり「得した」「損した」って感覚もなかったし。甥のそんな暢気さに、嶋野はクルマの一件を忘れ、一抹の不安を感じている。そんなケンジくんの認識は、次回、たぶん覆ることになるかもなーとひそかに思いながら、末席は穏やかにケンジを見据えた。

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