ノーベル賞

画像の説明 中村修二氏はノーベル賞に値するのか?

青色発光ダイオードの発明によって、赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏の3氏がノーベル物理学賞を受賞した知らせは、日本人を大きく励ますものでした。日本人として当然この快挙には喜びを感じています。ただ、この3人の中の1人である中村修二氏がノーベル物理学賞を受賞するに値するのかという点においては、私は疑問に感じました。

せっかくの祝い事にわざわざ水を差さなくてもよいではないかとの考えも当然あるでしょうが、今後も彼を持ち上げて、日本の企業風土や日本的社会のあり方などに安直な批判を向けるような報道が繰り返されそうな気配があり、どうしても一言言っておきたくなりました。

さて、今回の受賞に関連して報道されていた概略は、以下のようなものではないかと思います。

赤崎氏と天野氏が実用的な青色発光ダイオードの基礎技術を開発し、中村氏がその量産化技術を確立した。そしてその確立した技術によって日亜化学工業はぼろ儲けをしたのに、中村氏にはわずか2万円の報奨金しか渡されず、裁判で日亜化学工業側と争うこととなった。日本の会社に嫌気が差した中村氏は米国の招きに応じて渡米した。

私が疑問に思っているのは、中村氏が量産化技術を確立したという点です。確かに中村氏は独創的な発想からダブルフローMOCVD方式(水平と垂直で2つのガスの流れを採用する方式)というものを開発しましたし、これは日亜化学工業の名前で特許もとられました。しかしながらこの技術は量産化に適した技術ではなかったようです。同社においてはダブルフローMOCVD方式は「再現性が極めて悪く,工業化には不向き」だと判断され、使われなくなりました。

実際、日亜化学工業はダブルフローMOCVD方式に関わる特許(通称404特許)を、「価値がない」として2006年に放棄しています。青色発光ダイオードの生産で競合する豊田合成やクリー社は、そもそも最初からダブルフローMOCVD方式を採用していません。ダブルフローMOCVD方式が生み出される前から存在するシングルフローMOCVD方式が改良されて現在の量産化技術が確立されているのが実際です。

なお、日亜化学工業がLEDに関連する特許として出願したものは、1990~2003年の14年間で847件にも及び、中村氏のダブルフローMOCVD方式は単にその中の1つにすぎません。そしてこの特許に対して会社側から支払われた報酬が「わずか2万円」だったというのが真相です。

ところで、半導体にはp型(「ポジティブ」の「p」)とn型(「ネガティブ」の「n」)の2種類があります。この両方のタイプの半導体が揃わないと青色発光ダイオードが実現できないわけですが、青色発光ダイオード用の素材ではp型の半導体を作るのが極めて難しいものでした。

これを加熱処理によって実現できることを見つけたのは日亜化学工業の岩佐氏でした。

岩佐氏によれば、この成果を中村氏に報告した際に、中村氏は「そんなはずがない。間違っているだろう」と否定したそうです。しかしながら、この青色発光ダイオードの量産化の鍵となる技術については、中村氏は岩佐氏などに相談することなく、その成果を論文として発表しました。当然ながら論文の筆頭者は中村氏で、岩佐氏などとの連名の体裁をとっていましたが、岩佐氏らには論文を提出したことを知らせることもなかったそうです。

この他にも青色発光ダイオードの量産化にはInGaN単結晶の作製、「透明電極」と呼ばれる薄い電極の開発など様々ありますが、これらにも中村氏はほとんど関わっていないようです。日亜化学において中村氏のMOCVD装置での実験記録があるのは1992年2月までで、実験の指示を出していたのも1993年までであり、他の研究者が築いた成果なのに筆頭者に自分の名前を載せて論文としてまとめるという作業をその後は行っていたのだと日亜化学の研究者たちは言っています。

こうした状況であるのに、中村氏は自分がすべて行ったかのように吹聴し、自分の名誉のために会社の名誉や職場仲間の名誉を汚すことを行ってきました。

ウラを取ることもせずに、中村氏の主張を同情的に扱ったマスコミの報道によって、中村氏が孤高の科学者であるかのような話がでっち上げられ、そうした話が一人歩きして、ノーベル賞にまでつながってしまったと言えそうです。こうして見ていくと、研究者や技術者の挙げた成果に冷たいブラック企業の典型のように思われてしまった日亜化学工業の方が完全に被害者ではないかと思わずにいられません。

そもそも中村氏は日亜化学工業を退職した45歳の段階で会社から2000万円近い年収を得ていたわけですが、これが同社の平均的な給料であるわけがありません。日亜化学工業は遇すべきところは遇していたと、同社を評価すべきではないかと思います。

そしてここにおいても、きちんとしたウラ取りの取材を行わないで「被害者」を自称する人間の言うことを頭から信じ込み、これに同情する立場から報道を行っていったマスコミの問題点が浮き彫りになるように思います。弱者の保護は大切だとは思いますが、頭から信じるのは絶対に間違いだということを、改めて訴えたいと思います。

もちろんノーベル賞の選考委員会が、単純な噂程度の話に乗せられたにすぎないとは思いません。中村氏が筆頭者となっている論文をきちんと読み込んだ上での判断だろうと思います。しかしながら、共著者とされている人たちの了解を取らずに、中村氏が彼らの生み出した成果を自分の成果であるかのように謳い上げて論文を作成していたかどうかの検証などは全く行っていなかったのだろうと思います。その結果が中村氏のノーベル賞受賞だったとはいえないでしょうか。

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