「兵力逐次投入」で失敗した朝日

画像の説明 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛

朝日新聞が傷口をますます深めている。8月5、6日付で慰安婦問題で大記事を掲げ、吉田清治関連で過去の報道を「取り消し」、9月11日には木村伊量(ただかず)社長が福島第1原発事故の吉田昌郎所長「聴取結果書」(調書)をめぐる誤報を認め、またもや記事を取り消したうえ謝罪する事態となった。何の謝罪もなかった8月から9月には態度が変わった。もっとも謝罪には2種類あり、1つは吉田調書問題、もう1つは吉田清治問題に関わる。後者は8月には謝罪なしの記事撤回だけだったから今回、遅ればせのゴメンナサイが加わったわけだ。何ともややこしい。

≪慰安婦虚報謝罪が先のはず≫

2種の謝罪をもう一度整理しよう。今回の社長記者会見は吉田調書問題での謝罪が主目的であり、慰安婦問題でのゴメンナサイは従、つまり、付け足しである。前者だけでは済みそうになく、後者もほじくられるだろう。ならばこの際、虚報の「撤回遅れ」も序(つい)でに謝ってしまえ、と計算されたようだ。しかし、性質のまるで違う重大な2問題を単一の記者会見で扱うのは、本来は無理だ。どうしても1回でと望むのなら、時間順に従ってまず、吉田清治虚言問題で謝り、次に原発事故調査問題で謝罪すべきだったろう。朝日社長はその逆をやってしまった。

2つの謝罪の持つ意味の違いも問題である。朝日新聞にとっては両方ともに不名誉なことだろう。だが、国際的見地からすれば、吉田調書問題と慰安婦問題とでは意味合いが大きく違う。前者では誤報の謝罪によるマイナス影響を被るのは朝日ブランドだけである。ところが後者ではそうではない。朝日ブランドも日本の評価もともに深刻に揺さ振られる。朝日の長年のキャンペーンで性奴隷許容国家説が国際的にかなり行き渡ってしまったからだ。国連のクマラスワミ報告一つをとってみても、それは明瞭だ。だから吉田調書誤報よりも慰安婦虚報の謝罪にこそ、朝日はより真剣になるべきだった。が、この点でも逆だった。

≪大胆な「戦略的後退」こそ≫

要するに、朝日の謝罪作戦は行き当たりばったりなのだ。慰安婦問題では吉田清治の作り話は30年以上も昔のことなのに、今年8月以降の朝日の対応は望遠的でなく近視眼的だった。長い時間の経過で問題がこじれにこじれたことへの配慮が欠けていた。だから「兵力の逐次投入」が試みられた。

この軍事作戦用語は、戦況思わしからずとなるとその都度、ちびちびと投入兵力を増やす戦法を言う。多くの場合、局面は好転するどころか、逆に悪化する。朝日は今、この状態にある。

必要なのは大局的に事態を見直し、ちびちびの弥縫(びほう)策をやめて大胆な「戦略的後退」に転じることだろう。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。逆は「溺れる者、藁(わら)をもつかむ」だ。どちらがよいかは明らかである。決断の時だ。

30年ほど前、ソ連指導者ゴルバチョフはペレストロイカに着手した。つまり「立て直し」である。それまで共産主義イデオロギーを錦の御旗に、歴代のソ連共産党書記長たちは自国経済の動脈硬化を「兵力の逐次投入」的手法で凌(しの)ごうとした。ゴルビーはこの弥縫策をやめ、共産主義の教義にも疑問符をつけた。大胆であった。が、悲しいことに着手が遅すぎ、ソ連は蘇(よみがえ)らなかった。教訓的である。

朝日にもペレストロイカが必要だ。ゴルビーはどこにいるか。ただ、忘れてはなるまい。ソ連のゴルビー登場は時機を失した憾(うら)みがあった。西側は彼の手法に目を丸くしたが、「立て直し」路線は道半ばで途切れた。朝日に必須のペレストロイカも同じ運命に見舞われるかもしれない。けれども、だからといって、躊躇(ちゅうちょ)するようなら血路が開かれるはずはない。決断の時は今を措(お)いてあるまい。

≪胸に手当て綱領を再読せよ≫

もう1点、私見を述べる。

8月5日以降、朝日は袋叩(だた)きである。身から出た錆(さび)だろう。朝日は萎縮するかもしれない。その結果として、同紙は産経新聞や読売新聞の論調に近づくこともないとはいえまい。それをどう思うか。今まではそんなことはあり得ないと考えていた私だが、今回の事態を契機にこの問題で自問自答している。得られた答えはこうだ。

日本のプレスはやはり多彩でなければならない。われわれは全体主義国家に住もうとは思わない。複数主義的民主主義(プルーラリスティック・デモクラシー)にとり、多様性は断念不能である。ゴム印を押し続けているような全体主義的プレスは真っ平御免。新聞にはそれぞれの個性と独自色が不可欠である。どの新聞を読んでも論調が同じというのであってはなるまい。どこを切っても図柄は同じ「金太郎アメ」は願い下げだ。

朝日新聞綱領は1952年に制定された。若い記者諸公は熟読すべきだ。立派な内容である。第1項は「不偏不党」を謳(うた)い、第3項に「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を」とある。この誓いは神棚に祀(まつ)ったまま年来無視されてきた嫌いがあるが、今胸に手を当てて再読すべきだろう。朝日よ反省せよ。しっかりせい。

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