反日なら売れた時代があった

画像の説明 まずはかるい韓国ネタから

【【取材日記】100年前の下水管、誰も知らなかった=韓国】

2012年9月。ソウル中区南大門路(チュング・ナンデムンロ)の下水管整備工事現場で1910年に作られた下水管が発見された。直径1.8メートルで大人1人が腰を伸ばして立っても十分な規模だった。発掘に乗り出したソウル市は、レンガ式の下水管(長さ461.3メートル)と石を積んで作った石垣式の下水管(27.3メートル)が南大門路に沿って地下に埋まっていることを確認した。下水管を囲む赤煉瓦の一部ははがれた状態だった。一日の車両通行量が数十万台に達する慢性渋滞道路の地下から大型下水管を発見した市庁関係者たちは驚いた。市は大々的な調査を実施してソウル広場の下からも190.9メートルに達する下水管を確認した。100年以上埋まっていたのに誰も知らなかった下水管が姿を現したのだ。

昨年5月、市はこうした事実を公開して文化財指定を推進すると明らかにした。「国内で最初に文化財に指定される地下施設であり下水道施設になるだろう」。「近代下水道技術が初めて世の中に知られたことで、韓国の土木技術史にとって重要な意味がある」。地下空間に対するソウル市の無知は、派手な広報文の間に隠れてしまった。下水管は7月、市の記念物に指定された。

だが後味がすっきりしない。ソウル市、さらには韓国社会の地下空間に対する無知を逆説的に見せた例であるためだ。地下にどんな施設がどれほど埋まっているのかについての具体的な記録も情報もないという傍証だ。特に開発ブームが起き始めた70年代以前については白紙に近い。

先月、松坡区石村(ソンパグ・ソクチョン)の地下車道の下から発見された長さ80メートルの巨大空洞は、南大門路の下水管と似たような形だ。南大門路の下水管が整備工事の中で偶然発見されたように、石村の地下車道の空洞もやはりシンクホールを原因調査する過程で「運良く」発見した。清渓川(チョンゲチョン)覆蓋工事(1958年)以降に放置されてきたと推定される南大門路の下水管を探し出せていなければ、再び崩壊などの大型事故につながる可能性もあった。石村地下車道も変わらない。

パニック(恐怖)は不透明性と突然性から来る。地下空間を垣間見ることができる地中の地図と使用内訳書、すなわち地下の家系図を作らなければならない理由だ。40年以上続いてきた乱開発で無視されてきた地下空間の安全問題を、運だけに任せるわけにはいかない。過去4年間、ソウル市で発生したシンクホール(縦横2メートル以上)14件のうち原因不明(3件)の事例を除けばほとんどが上・下水道管の漏水が原因だった。専門家たちは、地道な管理を強調する。ソウル大学のチョン・チュンギ教授(建設環境工学部)は「地図は正確性と持続的なメンテナンスが生命線であり、地中地図もやはり同じだ」と話す。地下空間についてのコントロールタワーは必ず構築されなければならない。

カン・ギホン社会部門記者
(2014/9/1 中央日報)

どう考えても日本統治下で整備された下水道ですね。イギリス式の赤煉瓦ですし。
日本が作ったということを教えたらまた埋め戻すんですかね?

朝鮮半島で前方後円墳が発見された時にやはりウリたちが日本に文化を伝えたニダとホルホルしていたら年代が明らかに日本のそれよりも新しく日本から伝わったことがバレてしまうので破壊してしまった
なんてこともあったようですから。

つづいては朝鮮日報から
【【コラム】友人になれる日本人はもういないのか】

つい先日、韓国外国語大学の鄭普錫(チョン・ジンソク)名誉教授から梶山季之(1930-75)という日本人について話を聞くことができた。ある韓国メディアの研究によると、これまでさまざまな業績を残してきた鄭教授は、米国のハワイ大学に保管されている朝鮮総督府の言論統制に関する極秘資料「大正14年新聞紙要覧」が梶山氏の所蔵だったことを知り、この人物に注目するようになったという。梶山氏の妻は1977年、夫が生涯をかけて収集してきた韓国関連の資料7000点以上をハワイ大学に寄贈した。

梶山氏は植民地時代の朝鮮で生まれた。父は朝鮮総督府の土木技師だった。南大門小学校と京城中学校を卒業し、1945年に日本が敗戦を迎えると父の出身地の広島に帰った。その後、推理小説やノンフィクションなど、さまざまなジャンルの書籍を執筆するベストセラー作家となった。死後も120冊の文庫本が発行され、1300万部が売れたという。

梶山氏は小説『李朝残影』や『族譜』などを通じ、日本に支配されていた時代の朝鮮人虐殺やその苦痛などを描いた。この2編の小説は韓国語にも翻訳され、それぞれ申相玉(シン・サンオク)監督と林権沢(イム・クォンテク)監督により映画化されている。梶山氏は1965年4月8日付の東亜日報を通じ「わたしは(日本の)過ちを贖罪(しょくざい)するという思いも込めて『李朝残影』や『族譜』などの小説を書いた。わたしは小説家として日本が韓国に犯した事実を作品化し、これを伝える義務があると思っている」と自らの考えを明かした。

〜中略〜

日本の大手紙、産経新聞のソウル支局長は先日、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領に対する名誉毀損(きそん)の容疑で検察の取り調べを受けた。罪の有無は法律が判断することだが、産経の記事は少なくとも「友人」が言うようなことではなかった。

〜中略〜

かつて日本の外務省国際情報局長を務めた孫崎亨氏(元防衛大学校教授)は先日、本紙とのインタビューで「韓国と中国を強く批判すれば、国民が喜ぶ雰囲気がある」「安倍政権を批判する知識人たちの発言の機会が減っている」と述べた。梶山氏のような「友人となる日本人」はもういなくなったのだろうか。

李漢洙(イ・ハンス)文化部次長
(2014/9/8 朝鮮日報)

さてどっから突っ込んでいきましょうかね。
まずはここからですかね
>朝鮮総督府の言論統制に関する極秘資料「大正14年新聞紙要覧」

タイトルからしてどう考えても極秘資料とは言えないんですが、普通に販売されてたやつです。はい。
1925年に出されたようです。国会図書館の蔵書にあります

産経に難癖を付けている韓国政府が根拠にしている産経記事は朝鮮日報を引用したものでしたが、
その朝鮮日報が
>産経の記事は少なくとも「友人」が言うようなことではなかった。と、他人のふりをしているところもやはり彼ららしさを感じます。

また、梶山が書いた「族譜」は創氏改名が朝鮮人をどれだけ苦しめたかというシロモノです。

創氏改名は日本が強制したなどということにされていますが、(梶山の本作はその路線を宣伝するうってつけの材料)当時22歳の梶山は売れるために適当なことを書くということになんのためらいもなかったと思います。

創氏改名が受け付けられたのは1940年のことですが、
41年までやっていたことになっていたり100%創氏させることが目標と書いてたり「創氏改名に抵抗して多くの朝鮮人が姓をそのままにして名だけを改めた」なんて書いてますが、実際にはむしろ名をそのままに創氏した人がほとんどでした。中には五摂家の氏を名乗ろうとするのまでいる始末。

そもそも創氏によって族譜が失われるというこの本のテーマがアウトです。創氏はあくまでも氏を作るのであって姓を変えるのではありません。たとえば藤原朝臣なんちゃらみたいなのは藤原が氏で朝臣が姓です。
姓を変えるわけではないので族譜が途絶えるということそのものがありえないのです。

これだと梶山の族譜での「創氏改名によって命よりも大事な族譜失われることに抗議しての自殺」というお話が完全に崩れてしまうわけです。

そして「創氏改名は自由と言っていたが実際には強制だった」ということにして書いていたりする点は
売れるためになるべくセンセーショナルな内容にしようとしていた文学青年だった梶山の必死さの現れかもしれません。

この点では吉田清治が文学青年崩れで売れるために嘘八百を書いて謝罪行脚までしていた点となにか共通するものを感じます。

そして朝鮮日報は結びに梶山のような友人となる日本人はもういなくなったのだろうかと書いていますが、さんざん反日やってきておいて韓国に特に何も感じていなかった人たちまでもが「あいつらおかしいぞ」となりはじめてそれでも韓国は反日をやめないでさらに過激化させたことで日本国内では中立的な人がすでに「韓国はおかしい」という考えになってきています。

こんな状況で韓国マンセー、日本だけが悪いんです。と言ってくれるような売国奴はそう簡単には現れないでしょう。朝鮮日報は和田春樹東大名誉教授や狩屋哲でも雇えばいいんじゃないでしょうかね?

若い世代からそういうのが現れることはまず難しいでしょう。よっぽど頭がおかしいか、金目当てか
そうでなければ恥ずかしくてできません。

ましてや嘘がすぐに嘘だとバレる時代になってしまっているのに。

石原伸晃は朴槿恵にこそ「やっぱり金目でしょ?」
と言ってやればよかったんですよ。事実なんですから。

韓国の主張を一言にすれば
「ウリたちはお前らを嫌うけど、お前らはウリたちを嫌うのはおかしいニダ」なわけで、頭がおかしいのです。彼らを理解しようと無理をすれば韓国に同情的になり、頭がおかしくなって現実が見えなくなってしまいます。関わらないことが一番です。

お次は最近日本のマスゴミが中国共産党に気を使ってインタビューどころか来日しても報じなくなったダライ・ラマ14世のニュース。

【ダライ・ラマ14世、「後継者は不要」 独紙インタビュー】

【9月8日 AFP】チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ(Dalai Lama)14世は、ドイツ紙とのインタビューの中で、自身を最後の指導者とするべきと述べ、故郷の地で数世紀にわたり継承されてきた宗教的伝統を終わりにすべきとの見解を示した。

同氏は過去にも、「ダライ・ラマの目的は果たされた」と述べており、独紙「ウェルト」日曜版(Welt am Sonntag)での今回のコメントで、その意思をさらに明確にした形だ。

英語で行われたインタビューで同氏は、「ダライ・ラマ(の伝統)はおよそ5世紀にわたり続いてきた。現在のダライ・ラマは非常に人気がある。評判の良い最高指導者がいる間に終わらせるべきだろう」と述べ、「弱いダライ・ラマが継承すれば、その伝統に傷が付く」と笑顔で付け加えたという。

また、「チベット仏教は一個人に依存するものではない。私たちは、高度に訓練された僧侶や学者を何人も擁する非常に組織立った構造を持っている」とした。
〜以下省略〜
(2014/9/8 afp)

なぜ後継者を不要というのかといえば、パンチェン・ラマとダライ・ラマによってお互いの転生を指名するそういうシステムなわけですが、パンチェン・ラマは中国共産党に誘拐され、その後は生死も行方も全く不明になっています。

そして本来のパンチェン・ラマを誘拐した中国共産党は中国共産党の傀儡として勝手に新しいパンチェン・ラマを認定。さらに転生禁止法なんて法律まで作って中国共産党に許可なく勝手に転生することを禁じました。

当然、新たなダライ・ラマが出てくれば、中国共産党がなにもしないはずがありません。

現在のダライ・ラマ猊下はあまりに知名度があり、
中国共産党が拉致するというような暴挙が行えない状況ですが(国際世論からの非難は必至ですから)
新たに指名されたばかりの状態ではそうはならないでしょう。

ですので猊下は後継者は不要と、500年続いてきた制度を止めてでも中国共産党による暴挙の危険性を排除する。そのことを優先することを選んでいるのだと思います。

なお、反日で特亜に盲従する朝日新聞は2008年3月20日の朝日の川柳欄に「五輪前どうにも邪魔な生き仏」と暗にダライ・ラマ批判を載せました。

朝日は中国については文化大革命を褒めちぎり社長の署名記事で見開きの礼賛特集記事を書いたり、中共によるチベットでの虐殺についても「解放」と書いたり、「国外にいるダライ・ラマグループは中国の一部として冷静な目を持つべきであり、挑発があってはならない」(1987年10月4日社説)
と露骨に中国共産党の側に立ってきました。
ダライ・ラマ猊下のノーベル平和賞受賞も批判しています。

この件でも朝日新聞はやはり潰れたほうが良いですね。

朝日が潰れたら中国資本が買収するなんて言っている人がいますが、それこそ文字通り今までのものが堂々と「やっぱりね」となるだけで、より日本人が朝日新聞に手を出さない理由が補強されるだけでしょう。

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