「統治者と支配者 ①」

画像の説明

統治者と支配者 ①

※毛沢東の中国共産党は、産業は何もありません。自転車しかない国だったのです。

人間というものは、何でも考えて自分たちの好きなことをやろうとします。それが人間の数だけあるのです。当然世界は混乱します。混乱するから好きなことだけをやらせていくわけにはいきません。

「これを守りなさい。これがルールですよ」という者を統治者というのです。統治しないと人間は、ヨタ公が多くなり暴力でいうことをきかせようとします。すると、不良が多くなり暴力団が多くなり、それが一つの大きな勢力となり、どんどん自分たちの思い通りにしようとするのです。それは防がなければいけません。

 暴力団がのさばっていくので、上の者がいなければいけません。それを統治者といいます。中国ではそれを王様というのです。王様の治めていく範囲内に暴力団などが入ってくるのです。王様のほうが上なのです。暴力団は絶対権力の王の下で様々なことをやっていくのです。

暴力団は王様をひっくり返して、自分が王様になろうとはしません。中国国家は違います。万里の長城を造った秦の始皇帝は、あの膨大な何千キロに渡る万里の長城を何のために造ったのかというと、民衆のために造ったかのようなことを言うのです。

「お前達を蛮族から守ってあげる。そのためには、境界線に長城を造らなければいけない。境界線の内側は秦という帝国で外側は蛮族の土地だ」という区別をするのです。それで、何百万人という人員を動員して万里の長城を造ったのです。

崖に万里の長城を造るために、何百万人という人間が死んでいるのです。万里の長城に死体を埋め固めてしまったのです。それでまた造っていくのです。民衆のためというのは、ウソなのです。

「民衆のために、お前達のためにこの城を造る」というのは、全くのウソっぱちです。民衆のためならば、そんな過酷な仕事を民衆にやらせません。これから統治者が支配者になってしまうのです。統治者と支配者の関係では、民衆は誰にも属しません。

しかし、統治者を必要とします。そうしないと社会が混乱するのです。支配者は統治者とは違います。支配者は「民衆は俺のものだ」と思っているのです。統治者はまだよいのです。「このようにやるのだから、俺に従え」と言っている間はまだよいのです。

そのうちすり替わってしまい、「お前達は俺のものだ。お前達民衆は全て俺の持ち物なのだ。俺のために働け」と言うのです。これが支配者です。

人間は統治者の段階から始まって、自然に支配者になり代わっていくのです。支配者はカン違いしているのです。最初は民衆のための指導者だったのです。それが、支配者のための民衆になってしまうのです。今の中国共産党はそうです。

民衆のための中国共産党ではないのです。中国共産党のための人民なのです。人民は、中国共産党幹部の奴隷です。だから、このような論理が成り立ってくるのです。武漢ウイルスが流行ったら、武漢には人口が7千万人くらいしかいません。中国の人口は15億人ですから、武漢を全滅させても7千万人です。「そんなものは、大したことはないから消してしまえばよいのだ」と考えているのです。

支配者は、「誰を消そうか?」ということができるのです。人民は支配者の物なのです。その支配者の物として人民がいるのだから、「俺に従えよ。お前らを消すか消さないかは俺の判断だ。全体を生かすためにお前らには消えてもらう」というのも支配者の判断です。それは支配者が決めることです。

支配者は、民衆のための王ではありません。民衆を支配する王なのです。中国共産党の政治体系はそのようになっているのです。人民を1億人殺しても何とも思いません。「米が穫れない? その地区は餓死させてしまえよ。3千万人くらい餓死すればよいのだろう。それで問題は終わりだよ」と言うのです。

毛沢東は、それをやったのです。「殺し合い? させればいいのだよ。3千万人と3千万人が殺し合いをすれば、半分は消えても3千万人は残るだろう。それでいいのだ、半分は余分だったのだ」という考えです。

「ジジイ、ババアは何の役にも立たない」と思ったら、「消してしまえばよいのだ」と言うのです。この考えは、北朝鮮にもおよんでいるのです。北朝鮮では、コロナウイルスに400人くらいが感染しています。

金正恩の考え方は、「コロナウイルスの感染者は全員、銃殺してしまえばよい。ここは金王朝という俺の王国なのだから、お前らが生きようが死のうが、そんなことは何の関係もないのだ」と思っているのです。

金正恩は、「400人くらい殺しても、国家から言うと痛くもかゆくもない」という考えです。支配者のための人民や国民なのです。共産党は必ずそのようになるのです。

最初は民衆のためと言い、「労働者よ、団結せよ! 労働者は不当に搾取されている。誰が搾取しているのだ? それは資本家だ。悪いのは資本家だ。我々は革命で資本家をぶっ殺すのだ。それで労働者の国を造るのだ!」と、そのように言うのです。

すると民衆の側から見ると「俺達は資本家に搾取されてきたのだな。共産党を立ちあげて、労働者のための国を造ろう!」というのが、共産革命です。共産党の旗は赤いのです。何故、赤いのでしょうか? 共産党の赤い旗は血の色です。共産革命を起こすと民衆の血が流れるのです。

現行勢力をもっている警察や軍隊は政府の意向で「かかれ!」と言うと、民衆に向かってくるのです。そこで、民衆の血が流れるのです。だから、必ず共産革命では、多くの血が流れるのです。それを覚悟するのです。そのために血の色の旗を使うのです。共産党の赤い旗は血の色の赤なのです。

それでソ連もできたのです。しかし、共産党が天下を取ってみると、邪魔者を粛清してしまうと、労働者には何もできません。この世の中を動かしていくのは、知的労働者です。

コンピューターにしても、建築物にしても、労働者からは生まれません。労働者はトラックを運転したり、畑を耕したりしていればよいのです。そのような人間は知的なものを生みだすことはできません。量子コンピューターを生みだすのは、労働者ではありません。知的エリートが量子コンピューターを生みだすのです。
それなのに、労働者だけになってしまったら、知的労働者が誰もいなくなってしまうのです。だから、毛沢東の中国共産党は、産業は何もありません。自転車しかない国だったのです。(②に続く)

徒然日記

コメント


認証コード4658

コメントは管理者の承認後に表示されます。